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頑張って耐える日々は大事だけど~楽しむことも忘れないで~

自分がまだ大学病院にいたころの、
6-7年前の話です。

「お母さんが元気ないの、食事もあまり食べなくて」
と娘に連れられてきた80代のおばあちゃん。
表情も硬くて、以前自分が見た時とは別人のようでした。

何か悪い病気があるんじゃないのか?
そう娘さんが心配して連れてきたわけです。

でも検査の結果は特に問題ありませんでした。
「血液検査も、CT検査も問題ないですよ!」
安心して笑顔がみられるかなぁ~?
と覗き込んだおばあちゃんの顔に、
笑顔はみられませんでした。

「う~ん、普段は笑ったりされてます?」
本人と娘さんにはキョトンとされました。
「あれから、何か楽しいことありました!?」
考える娘さん・・・

1.そのおばあちゃんと出会ったのは

あれからというのは、
そのさらに半年ほど前のことです。
一人のおじいちゃんが肝臓がんで入院してきました。

おじいちゃんは外来予約も守らず、
薬もあまり飲まず、
決して優等生な患者ではありませんでした。

いよいよ苦しくなって、
今回は観念しての入院でした。
そして家族を呼び出しました。
その時来たのが、この娘さんとおばあちゃんでした。

「もう病気を治すことはできません。なので苦痛に対しては鎮痛剤を使います。でもそれにより残された時間を短くしてしまうかもしれません。」
言葉を選びながら家族に説明しました。
「いいの!昔から家族に暴力ばかり振るう父だから。特に最近は酷くて、お母さんが可哀そうで!!」
真っすぐな答えが来ました。

それから数日後、おじいちゃんがなくなりました。
でも娘様は晴れやかな顔をしていました。
「でもこれでやっとお母さんも開放されたね」

2.幸せな日々が待っていたはずなのに

それからの日々を、娘さんから聞かせて貰いました。
自由を、贅沢を許さなかった旦那様が亡くなり、やっと解放されたおばあちゃん。
でも旅行に行くこともありませんでした。
観劇や外食をすることもありませんでした。

それどころか食事を食べなくなり、笑顔もみせなくなりました。
時間が解決してくれると思い、娘さんが寄り添ってきましたが、
3ケ月の時間を費やしても笑顔が戻らなかったそうです。

3.楽しむ練習を積まなかった結果~病院では治せないもの~

愛する人を失った悲しみなのでしょうか。
違います・・・旦那さんが亡くなったとき、涙も見せませんでした。

それはきっと、ずっと楽しむ事を封印してきたから。 
「大変だね、凄いね、偉いね」
そう言われて、
節約が大切で、我慢が大事で、耐えるのが正義で育ったから。
それが価値観の全てになってしまった。だから。

「もう自由にしていいよ!おいしいもの食べる?旅行に行く?」
自由、贅沢、旅行は「悪」としてきた価値観だから・・・

そんなことだろうなぁ。

自分は思ったことを家族と本人にそのまま伝えました。
それが本当に正しいか、それとも間違っているのかは分かりません。

ただそのおばあちゃんは、もう外来には来ませんでした。

4.コロナの中でも、必要なこと・・・

昨日、自分のマンションの出入り口で、
真っ赤な顔のおじいちゃんが消毒スプレーを噴霧していました。
「さっきフザけた若者が、マスクもせずにウロウロしていたから消毒してるんじゃ!!」
と語気を荒げているおじいちゃんは、
マスクをしていませんでした。

自分を見失うほど感染対策に本気になっている姿を見て、
少し心配になり、少し愛らしくもなりました。

頑張るのもいいけど、自分を大切にね!!

都内はコロナの感染状況が落ち着いてきました。
でも多分11月からまた感染が拡大してきます。

自分を見失わないように、
1ケ月は楽しもう!

来月は1年ぶりに嫁と外食します。
11ケ月遅れの結婚記念日です。

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