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人を好きになるとは?

みなさんにとって”好き”とは”付き合う”とはどのような意味を持ちますか?

私は最近、好きになるという感覚がわからなくなってきました。
もしかしたら、誰かと付き合いたい感覚といった方が適切かもしれません。


私は大学院生になり、なぜか出会った人と恋愛・結婚についてのテーマを語ることが多くなりました。

奇跡的に出会えた、大学院の数少ない友達とも恋愛について語ることが多く
また、シェアハウスの友達ともそれぞれの好みの異性について夜遅くまで語ることが多いです。

しかし、それまで恋愛や結婚について具体的に語ってくることがなかったためか、

”人を好きになる” ”人と付き合う” 

ということについて違和感を抱くようになりました。

これまでの、私にとっては

「あの人ちょっといいかも。
あの人のこと考えること多いし、もしかして俺はあの人のこと好きなのかな?
付き合ってみたいなー」

のような感覚でいました。

しかし、大学生になり、とうじ多く時間をともにしていたのは留学生たちで
彼らは早かれ遅かれ1年以内でそれぞれの国に帰る運命にありました。

つまり、彼女たちのことを好きになったとしてもすぐに離れ離れになってしまう運命にありました。

実際に付き合ったこともありましたが、遠距離では実際に会えませんでしたし、ちょっとした価値観のすれ違いが深い溝を作り、心は離れていきました。

おそらく、この経験がもととなり、留学生といい雰囲気になったとしても、付き合わないようになったのだと思います。
(日本人学生との出会いはあまりなかったので、恋愛をするなら留学生という環境でした。)

おそらく、大学生の後半ごろから”好き””付き合う”が分離し始めたのだと思います。

そして、大学院生になり、恋愛について語るようになったときに私の中で
”好き””付き合う”は完全に分離しました。

そしてそもそも
”好き”とは何か?
”付き合う”とは何か?

という疑問を持つようになりました。

おそらく今のところ、大学院生活を通して考えているテーマは何か?

という質問をされた場合

”恋愛についてです!!”

と言えるほど考えているかもしれません笑笑

では、私にとって”好き”や”付き合う”とはどのような意味を持つのか?

色々と考えた結果、私にとって好きという感情は家族的な愛情でしかないことがわかりました。
つまり、異性として特定の女性に対して好きという感情を持つことが難しいのではないかという結論に至りました。
(もちろん男性が好きであるというわけではありません)

大学生前半までの私は自分の直感に素直に従っていました。
言い方は悪いかもしれませんが、私はある意味動物的な感じでした。
しかし、大学生後半から現在に至るまで、次第に私は恋愛においてはrationalな人になってきました。
(言い換えると、結構さめた感じの人になってきました。)

私自身、少し人間味が無くなってきたかも?
と思うほど、恋愛においてはすごい冷静になり、例え女性が一時的に女性が魅力的だと感じても”それは一時の迷いである”という心構えを持つようになりました。

面白かったのが、ある女性から
You are well educated...  NO, you are too much educated and became such a rational person so that you don't know my feeling. I am tired of hearing you.
Just say you like me or not.

この女性には、何度も

” Of course I like you, but the like is exactly the same towards my family members or friends. Sorry, I'd say I can't like you as a woman...”

と伝えました。

もちろんめっちゃ怒られましたが、私にはそれ以外に答える方法がありませんでしたし、今もこれ以外の言葉を私は持っていないと思います。

少し話がそれましたが、
私にとって”好き”とは

「その人と幸せを共有したいと思いうか、またはその人を幸せにしたいと思うか」

これによって定義されると思います。

そして、私の中でその”好き”に優劣はありません。
つまり、家族であっても、男友達であっても、女友達であっても
私は、全ての関わりのある人に対してその人たちを幸せにしたいという気持ちの大きさに違いはありません。

もちろん、私が、私に関わる人たちに与えることができる幸せには限度があるし、また、私以上に私の友達や家族に幸せを与えることができる人は多くいます。

このような考えにたどり着いたときに、
私は今までと違った意味で”付き合う”必要性を感じなくなりました。

詳しく書くと
これまで私が付き合うという選択肢をとっていなかったのは、すぐに終わりが見えていたからであり、そのような状態では付き合うことが良い選択ではないと考えていたから。

しかし、今の私はどちらかというと相手を幸せにすることにおいて”付き合う”という関係性は必要ないことであり、逆に”付き合う”ことによってそれまでの私たちを囲む関係性が変化し双方が受け取ることができる幸せが減少するのではないかと考えています。

そして、おそらく私の”好き”という概念はなかなか受け入れてもらえないのではないかとも考えているので、”付き合う”ことによって受ける制約が大きいのではないかとも考えています。


と、
これまで理論で固めたような私の考えをグッチャグッチャと書き連ねてきましたが、私自身これがいいのか悪いのかはわかりません。
ただ言えるのは、私の”好き”や”付き合う”に対するアイディアは一般的ではないと思います。

そしてなぜ、いまさら私がこんなことを書こうと思ったのかというと
私自身の恋愛に対する考え方を言語化し、見直したかったからです。

私はある女性と昨年の夏に出会い、忙しい中、時間を作って何回か会ってきました。私はその女性に会ううちに女性の笑顔や内面、そして共通するバックグラウンドを持っていて少しずつ惹かれているような感じもしています。

普段、あまり一人の女友達に連絡をとって何回も会うことはないので、私の認識していない私の心のどこかで無意識にその女性に会いたいと思っているのかもしれません。笑笑

さて、その人は私にとって例外なのか?

難しいですね。
個人的にはデータで表せないような、答えがたくさんあることについて考えることが好きなので、なかなか興味が尽きないくて面白いです。

という曖昧な感じですがここで本稿を締め括りたいと思います。

最後まで読んでくださりありがとうございます。

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