2015.11.16

最近の僕の日常においておきた出来事といえばちっぽけなものしかなく
「特筆すべき」ことなんて何一つ無かった。

でも、社会では大きな出来事が起きた。
テロである。僕には政治がわからぬ、なのでテロそのものについて云々語ることは避けたい。僕はテロについて語る人について語りたい。

「なぜフランス、パリだけ? トルコでも、そして中東シリアでも悲劇は起きている! どうしてフランスにだけ連帯を示すのか!?」

と憤る人が居た。たしかにそのとおりだ、なんでだろう?
考えてみた。

人の命はみんなにとってそれぞれが平等じゃない。正直そうだろう。
日本の何処かで起きた交通事故のニュースは全然ショックじゃないはずだ、そのニュースを見ながらご飯だって食べれるだろうし、なんならそのニュースの途中でテレビの電源だって消すことだって容易なはずだ。まさに茶飯事。
でももし、あなたの家族が、友人が交通事故で死んでしまったら・・・?
その悲しみは想像すら出来ないはず。ひょっとするとその事故を起こした人間に私刑まで企てるかもしれない。

近い人、遠い人という分類が、物理的な意味でも、精神的な意味でも存在する。
近い人が逝けば、人は悼むし、遠い人が逝っても、正直な所、響かない。

もしあなたが
フランス生まれの人が国際的に活躍していれば
フランス生まれのアスリートに心酔していれば
フランス生まれに音楽に心をつかまれていれば
フランスは皆の心に近い。
きっとこの日本ではフランスのものに親近感を覚える機会はトルコ、シリアよりもずっと多い。
日本以外の国でもそうじゃないのだろうか? きっとフランスは色々な国にとって「近い」存在だったのであろう。

その「距離感」による「親近感」の違いというものは、どうやったってなくせないものだと思う。距離の違いがある限り。

皆が皆、近い時代が来る!とはさすがに言えないし、それはそれで薄気味悪い気もする。
皆、自分の大切な人を「えこひいき」してあげたいものだし。

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