働き方改革への違和感−改革の先にあるものは?

フラリーマン現象

連日のように「働き方改革」に関するニュースが目に入ってくる。各企業ではこんな取り組みをして労働時間の削減を行っている、みたいなやつ。

そんな中、先日News Picksでこんな記事を目にしました。

男たちがまっすぐ帰らない理由

この記事によると、働き方改革の結果、残業が少なくなって早く帰れるようになったサラリーマンが、まっすぐ家に帰らずにゲーセンやバッティングセンターなどに寄って時間を潰した後に、家族が待つ家に帰るケースが出てきているという。この記事の中ではそんなサラリーマンのことを「フラリーマン」と表現していた。

この記事を読んで、なんとも言えない虚しさと「働き方改革」に対する違和感を覚えたのです。

強制型フラリーマン

仕事が早く終わることで、自分1人の時間を確保できるようになり、その時間を趣味などに使うこと自体はいいと思うのですが、フラリーマンの中には、「家に早く帰っても奥さんに煙たがられるから」などという理由で、仕方なく適当に時間を潰して帰っている人もいるという。

このように、いわば「強制的」にフラリーマンになっている人にとっては、働き方改革に伴う労働時間の減少は思いの外辛いものなのかもしれないと思う。この強制型フラリーマンはむしろ、適当に会社に残って残業をし、残業代を稼いでいた方が幸せなのだろう。家族に煙たがられることもなく、その上お金も稼げるのだから。

とは言っても、僕は働き方改革に反対しているわけではありません。これまでのようにダラダラと残業をして残業代を稼ぐということは、企業経営視点では人件費の高止まりにつながるし、本当に早く帰りたい人にとって上司がダラダラと残業していることで帰りづらくなったりと、組織にとっては何もいいことがないと思うからです。それならば、さっさと会社を出て「自分の時間」を過ごした方がよっぽどいいと思います。

早く帰って何をするのか?

しかし、働き方改革には大事な視点が抜けていると思っています。それは、早く帰れるようになり生まれた「自分の時間」を何に使うのか?という議論です。

冒頭で紹介した記事にあるように、仕事後にフラフラと時間を潰して家に帰るという非生産的な時間の使い方は、そのフラリーマンにとっても社会にとってもいいことがなく、むしろフラリーマン個人の視点からすると「残業代を失う」という結果しか残らないのではと思うのです。これでは働き方改革というよりは、ただ企業の人件費削減を国を挙げて後押ししているようなものです。

そうならないように、早く帰って生まれた「自分の時間」を何に使うのか?という議論が必要だと思っています。しかし個人的には、残念ながらこの議論をしている企業や個人はあまりいないのではと感じています。

「自分の時間」を何に使うかについては、例えば企業視点から言えば、「企業のさらなる成長のため」に使ってもらうような仕組みを作ることも考えられます。グーグルでは、従業員が勤務時間のうち20%程度を新規事業のR&Dなど自分の好きなことに当てられる制度があることは有名ですし、僕が今勤めている会社では、働き方改革で生まれた自分の時間を「新規事業を生み出すヒントを得るための活動に当てる」ということが明確にテーマ化され、新規事業コンテストが定期的に行われていたりします。

個人視点で言えば、趣味の時間に使うのはもちろんいいのですが、それ以外にも副業など生産的な活動をすることで、これまでの残業代以上に稼げる可能性に時間を投資できたりすると思うのです。実際に僕も仕事以外の時間でできる副業を始めていたりします。

このように、働き改革による労働時間の削減とセットで、「早く帰って何をするのか?」ということを企業や個人が考え行動を変えていくことが大切だと思います。

働き方改革の成果が「街に大量のフラリーマンが発生する」ということだとしたら、あまりにも虚しい国になってしまうなという憂いたサラリーマンがお送りしました。こちらからは以上です。



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