就職活動の「成功」とは何か?

ボクの就職活動は成功だったのか?

最近そんなことをよく考える。

だが、いつも一瞬で決着がつく。

否。失敗である。

明らかに失敗であるにも関わらず、
ボクは、自分の失敗を認めたくないが故に、
繰り返しこの問題に向き合っている。

人は、「自分の選択は間違っていない」と思いたい。
そして、その選択に一貫した行動を取り続けようとする生き物だ。

だが、この一貫性の法則に身を任せ、
思考停止していては、自分の可能性を狭めるだけである。

そこで、この記事では、
改めて就職活動の成敗を結論付けるとともに、

そもそも就職活動の成功とは何か?
どんな人間が成功し、失敗したと言えるのか?

そんな事について書いていこうと思う。

それでは本題に入る。

そもそも就職活動の成功とは何だろうか?

大手企業の入ること?
年収が高い企業に入ること?
自分がやりたい仕事につけること?

どれも正解であり、不正解かもしれない。

ここでの「成功」とは、色々な形があり、
一般化して定義づけるのは難しい。

それに、成功か失敗かは入社して数年後、
あるいは十数年後になって初めて分かるものである。

その上であえて定義づけるのなら、
成功=納得感があることだと考えている。

つまり、世間の目や親の意向は関係なく、
「他の誰でもない『自分』が、この会社に入社すると決断した」
という納得感が重要なのだ。

この納得感さえあれば、
たとえブラック企業に入社したとしても、
「自分のせいだ」と認識し、成長の糧にできるはずである。
そして、その経験は必ず後になって自分の財産となる。

逆に、納得感がなければ、
一流企業に入ったとしても、
「他の会社に行けばよかったかも」という不満が残るはずだ。

ボクはまさに後者。

自分が何をしたいのか、
将来どうなりたいのか。

それよりも、

大企業に入れば、親が喜んでくれる、
社会的な信用も大きい、
合コンに行けばモテるかも・・

こんなことを優先した。
納得感よりも、承認欲求を優先したのだ。

ここで一度、考察を深めるために、
逆の方向からアプローチしてみようと思う。

就活における「失敗」とは何だろうか?

常識や親の意向に囚われ、
よく考えずに、大企業に入社すること。

自己分析をろくにせず、
就職人気ランキングだけを見て、企業を選ぶこと。

「楽」「安定」そんな言葉に誘われ、
何のスキルもつかない会社に入社すること。

「やりがい」「成長」そんな言葉に誘われ、
超ブラックの会社に入社すること。

人生の目的を考えず、
目先の初任給だけを見て、会社を決めること。

などなど、失敗はまだまだ挙げられる。

これらの失敗の具体例というのは、
ボクやボクの友人が経験したことである。

そして、ボクらに共通しているのは、

リサーチ不足

ということ。

自己分析なんかしても、やりたいことが見つかるはずはない。
自分の人生なんだから、分析する必要などない。

そんな風に思い、
ボクは早い段階で自己分析を捨てた。

さらには、

OB訪問はめんどくさい。
どうせ良い事しか言わないし。

と思い、企業分析をネットで完結した。

結果、
納得感がない状態で就職活動が終わったのだ。

つまり、就活における失敗とは、
「リサーチ不足」から来るのではないだろうか。

自分のことも知らず、相手のこともよく分からない。

そんな状態で就活が成功するはずもないのだ。

例えるなら、どんな女性がタイプか
どんな女性が苦手か、どんな生活を一緒に送りたいか
そんなことも分からない状態で、
これまたよく分からない女性と結婚するようなものであろう。

『孫子』の中に、こんな有名な教訓がある。

「敵を知り、己を知るもの、百戦危うからず。」

さらに、こう続く。

「敵を知らず、己を知らざれば、戦うごとに必ず危うし」

就活の成功・失敗を分けるのは、
この言葉にあると、ボクは思っている。

つまり、自分を分析し、企業を調べ上げ、
納得感のいく決断が出来た人間が、就活における勝者である。

その点、ボクはやはり敗北を喫した。

もし、あなたが大学生であるならば、
孫子の言葉を胸に留めておいてほしい。

それでは、以上。

また明日!


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