闘劇’03の会場に一番乗りした話
どーも、2022年があと半月程度で終わるという事実に驚愕しているたくさんです。私はちょうど一年前の今頃に異動して今暮らしている土地に越してきたのですが、それからもう一年も経った実感がありません。
そして来年は2023年。
そう、オッサンの格ゲーマーなら忘れもしない夢の祭典、
「闘劇」が初めて開催されてからちょうど20年が経つことになります。
今回は、そんな記念すべき第一回目の闘劇にまつわる思い出を語っていきたいと思います。どうかよろしくお願いします。
1.闘劇とは
思えば、最後に闘劇が開催されたのは2012年。もう10年も前のことになります。GGST絡みで最近格闘ゲームを始められて、私の記事を読んでくれている方の中には「闘劇」というもの自体を知らない人も普通にいるんじゃないでしょうか。時間の流れって怖いですねえ。
簡単に説明させていただくと、「闘劇」はアルカディアを刊行していたエンターブレインが主催していた大規模な格闘ゲームの全国大会です。
全国どころか、海外も含めた世界規模の大会が当たり前になった現在ではあまりピンと来ないかもしれません。しかし、当時これは相当なインパクトがありました。新作のタイトルだけならまだしも、2003年当時からしても9年前に発売された古参の『スーパーストリートファイターII X』を含む全7タイトルで同時開催されたからです。
当時はもう格闘ゲーム自体が下火になってきていたこともあり、こういった大規模なイベントが開催されることに大きな驚きと期待を覚えた記憶があります。
更に、まだ現在に比べてネット環境が整備されていなかったことも大きいと思います。ネット対戦は一般的ではなく、対戦動画を視聴できるようなサイトも少なかったです。
そして、全国のゲームセンターで闘劇の予選が開催され、本戦の出場権を賭けて熱い戦いが全国各地で行われていました。闘劇は第一回目が開催された後、最後の年となった2012年まで合計10回行われ、その後諸般の事情により一旦の閉幕が発表されています。
2.闘劇と私
で、そんな闘劇に私がどのように関わっていたかって話なんですが、
特に関わっていません!!
はぁ…。
そう、当時まだ学生で地方の一般プレイヤーでしかなく、世間のつまはじきもの達が集うはずのゲームセンターでなお孤立する私には「闘劇」に関わることなど夢のまた夢でした。
せいぜい地元のゲーセンで行われた闘劇’05のカプジャム予選に友達と一緒に参加したことくらいでしょうか。たしか2回戦くらいでフツーに負けましたが。
そんな私がなぜ「闘劇’03の会場に一番乗り」したのかというと、わざわざ地方から闘劇を観戦するためだけに千葉の幕張メッセまで行ったからです。いやぁ、若気の至りって感じがします。
というか、今でこそようやく「格闘ゲームを観戦する」という文化が根付いてきた感じがしますが、まだ2003年当時は「格ゲー大会の観戦者=参加者」が当たり前な時代です。
↑上記のどれにも該当しない、
自分や知り合いが闘劇に出るわけでもなく、会場から新幹線の距離に住んでいるのにただ観に行っただけの人は恐らくそんなにはいなかったのではないかと思います。
3.友人G君
この話をするのに避けて通れないのが私の友人であるG君です。前述したカプジャムの大会に一緒に出た友人でもある彼は、私が見た格ゲーマーの中でも非常に変わっているヤツでした。
仲良くなったのは高校からなのですが、それまで小中とサッカー部に所属しており、高校一年時からレギュラーに抜擢されるほどの腕前だった彼は、「ゲームがしたいから」という理由でサッカー部を辞めました。
彼のすごいところはその理由が建前ではなくマジだったところです。両親や部活仲間による必死の説得にも応じず、あっさりサッカー部を辞めてゲーム三昧の日々を送ることになりました。
最初は主にRPGをやっていたG君ですが、ある日格闘ゲームの魅力、その奥深いゲーム性に気づき、共に格闘ゲームをする仲間を求めて私に声をかけてきました。
「たくさんってオタクなんでしょ?」
サッカー部故なのか、そんな底辺をピキらせにくるカースト上位な声かけから始まった関係ではありましたが、私はG君と徐々に友人として交友を深めていくことになります。
彼は格闘ゲーム好きではありましたが、どちらかというとオタク的な楽しみ方をする人で、プロゲーマーというものが無い時代なのに格闘ゲームの有名プレイヤーを追っかけたり、ゲームの音楽や声優に興味があったりという感じでしたが、肝心の対戦自体はいくら教えても上手くなりませんでした。
「そんなに好きなのになぜ?」と当時は不思議に思っていましたが、私のように格闘ゲームに勝利の快感だけを求め、刹那的な楽しみ方をするプレイヤーではない、グラフィックや音楽など他の部分も含めた楽しみ方が出来る人だったのでしょうね。
そんなG君が闘劇開催の報を知って黙っているはずはありませんでした。ある日彼は、今からすれば旧式中の旧式みたいなLoppiで闘劇’03の観戦チケットを2枚申し込み、支払いも済ませたことを私に電話してきました。
「え、闘劇?観に行くの?千葉まで?」
「金が無いなら貸すから!一緒に行こう!」
こうして親には内緒、かつ宿も決まっていない一泊二日の弾丸闘劇観戦ツアーが決定したのでした。
4.闘劇’03 前日~初日
金が無かった私とG君は、少しでも安く交通費を抑える必要がありました。そのため、行き帰りには夜行バスを使用することに。
んで、東京駅に着いたらすぐに電車で千葉の幕張メッセまで向かいます。会場に着いたのは朝の7時とか8時くらいではなかったでしょうか。
会場の入口まで行くと、ただ一人先に到着したと思われる明らかに同類な方がいました。そしてそのまま何とはなしに後ろに並び、開場の時間(確か9時とか10時くらい?)まで、ああでもないこうでもないと雑談しながら待ち、ようやく闘劇の会場に入りました。
感想としては、
暗い!
広い!
誰もいねえ!
でした。
初めての闘劇、スタッフの方も混乱しているのかあちこちを走り回っており、床の至るところに配線がありました。時期的にもまだ3月で、屋内でしたが寒かったのを覚えています。
その後どんどん人が増え、初めて見る有名プレイヤーの姿に胸をときめかせたり、気合を入れてリュウのコスプレをしてきたものの、他にコスプレしてる人がおらず恥ずかしそうにしている人を見ていたたまれない気持ちになったり、カプエス2の当日予選でSグルーヴのレシオ4ザンギ一人で挑んだプレイヤーに歓声を上げたりと、非常に楽しい時間を過ごしました。
初めて生で見た有名プレイヤーと、今まではゲーメストやアルカディアの記事から想像するしかなかった、有名プレイヤー達のスーパープレイは私とG君の胸を熱くしました。
しかし、その一方で言葉には出さずとも、お互いに気にしていたことがありました。
…そう、闘劇’03は二日間に渡って開催されます。今日の夜~朝までを、どこでどうやって過ごすか私たちが全く決めていないことへの不安です。
5.闘劇’03 初日の夜~二日目の朝
途中色々とトラブルもありましたが一日目のタイトルが無事終了し、プレイヤーも観戦者も、幕張メッセを出て駅に向かいました。とりあえずその人の流れに乗る私とG君。
しかし、私たちが向かう先は決まっていません。
とりあえず、近くにあったハンバーガー屋(マクドナルドかロッテリアどっちか忘れた)で夕食を摂り、今日一日の熱いバトルを振り返りながら私とG君はこれからどうするかを話し合いました。
金は少ない、よって宿を取ることは出来ないしやり方も知りません。お上りさん丸出しの田舎者なので地理にも疎く、あまりここ幕張メッセから離れるのも危険だという判断を下しました。
そこで、夜中までやっているファミレスで一晩過ごすのが金もかからず一番良いのではないかという結論に至りました。
当然どこに何があるか分からないため、テキトーに歩いて宿(ファミレス)を探す私とG君。だんだんテンションも落ち着いてくると、疲労もあることから二人の口数は少なくなっていきます。
今はどうか分かりませんが、当時の幕張メッセの周辺はほとんどお店がありませんでした。まあ立地的にいってもそうですよね。なんだかんだと歩き回った末に、ようやくファミレスを見つけたんですが夜中2時までしか営業していないことが分かりました。
ですが、他に選択肢はありません。入店してとりあえずドリンクバー2つを頼み、私とG君は一日の疲れからほとんど会話もせずに2時まで席に座り続けました。
そして、迎えた夜中の2時。閉店したファミレスを出た私とG君は、あてもなく幕張メッセ周辺を歩き回りました。その時はまだ3月、そして海が近いことから周囲には強い風が吹き荒れていました。寒い、死ぬ。
どこに行くでもなく、結局私とG君はしばらくして幕張メッセ会場の入口に戻って来てしまいました。
「もうしょうがない、ここで入口が開くまで待とう」
吹きすさぶ風に震え、時代の波に逆らいギリギリ残っていた暴走族が奏でる爆音に怯え、徹夜組を注意しに来た警備員のおっちゃんには事情を話したら同情されて見逃され、私とG君は長い長い一夜を過ごしました。
そして迎えた朝日の美しさ、会場のガラスドアを開けて中へ入れてくれたスタッフの方への感謝の気持ちを、生涯私は忘れることはないでしょう。
そんなわけで、闘劇’03二日目の会場に一番最初に入ったのは私とG君でした。
6.闘劇’03 二日目
夜が明けた直後は徹夜でハイテンションになっていた私とG君ですが、当然そんなものが長続きするはずもなく、二人とも会場の観戦スペースになるはずの位置で力なく座り込みました。
まだ若干の余裕を残していたG君に対し、この時点で眠さの限界に達していた私は、
「試合が始まったら起こしてくれ」
と、G君に頼むと闘劇会場の床でバッグを枕にしてガン寝しました。
闘劇’03の会場に訪れた方の中には、その時の私のことを覚えている方もひょっとしたらいらっしゃるんじゃないだろうかと思っています。そのくらいありえない位置で何時間も寝てました。試合が始まってからも半分以上は寝てましたから。本当にあの時は申し訳ありませんでした。
その時の会場では、
後に伝説になったがまの油さんの電波実況が生まれたり、
スパⅡXの「ソニックの数を数えろおおお!!」(ちなみに現地では誰も数えてなかった)という後に語られる名実況が生まれたりしていましたが、
私はとにかく眠くて眠くて、都度都度G君に起こされながら半覚醒状態で試合をぼんやり見るだけで精一杯でした。
「おい、起きろって!!」
そんな私を癒してくれた、冷たく、固いコンクリの感触だけはいやにはっきりと思い出せます。
そうしてなんやかんやで二日目の種目も無事に終わり、私とG君は幕張メッセから東京駅へ行き、帰りも同様に夜行バスに乗って地元へと帰ったのでした(その時もずっと寝てた)。もうその辺は記憶も曖昧です。
7.おわりに
闘劇’03の二日目に、ずっと床で寝ていたアホは私です。重ねてお詫び申し上げます。本当にすいませんでした。
まあでも、今どころか当時ですら二度と同じマネは出来ないであろう強行軍でしたが、思い返せばそれでも楽しかったですね。大人抜きでこんな遠出をしたのは初めてでしたし、ずっと見たかったウメハラさんなどのプレイヤーを生で見ることが出来た貴重な体験だったと思います。
そしてあれから20年が経ち、色々と環境は変わりましたがそれでもEVOをはじめとした格闘ゲームの大会は今も開催され続けています。またいつかこういった大会を観戦しに行く機会を作ってみたいですね。
それでは長々とここまでお付き合いいただいた方はどうもありがとうございました。次回はGGSTの調整内容についての記事にする予定です。ではまた。
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