#みなさんのツイッター名の由来が知りたい
どうもこんにちは、たくさんです。今回はTwitterのTLに流れてきていたハッシュタグ「#みなさんのツイッター名の由来が知りたい」を見て久しぶりに意識させられた、私がTwitterだけでなくインターネット上で使う名前「たくさん」の由来の話です。
ギルティギアどころかゲームの話題でも無い上に、はっきり言って暗い話になります。ただの暗いおっさんの自分語りになってしまうと思いますが、気の向いた方はお付き合いいただければ幸いです。
1.自分の名前が好きになれなかった
何気にネット上では初めて話すことですが、実は私の下の名前は「たくま」といいます。「たくま」だからツイッター名も「たくさん」。
意外でも何でもない由来ですが、私はそんな「たくま」という自分の名前が好きではありませんでした。少なくとも中学~大学~就職後の数年間はずっとそうでした。
その理由は単純に、私のイメージに下の名前が一致していなかったこと、そしてそれ以上に苗字と私のイメージが一致しすぎていたことにあります。
私の苗字は日本に数人しかいないレベルのようなものではありませんが、少なくとも学生時代に同じ苗字の人がいなかったくらいには珍しいものです。
ですので「○○くん」や「○○ちゃん」呼びを推奨されていた小学校時代はまだ名前で呼ばれることもありましたが、中学以降は友達にもずっと苗字で呼ばれていました。それか「メガネ」「オタク」といった蔑称あだ名くらいでしょうか。
今でも覚えている当時のとある出来事なんですが、ある日高校の担任が不意に私を下の名前で呼んだ時、あまりにも私の名前が浸透していなさすぎてクラス中がザワついたことがありました。
笑い話のネタとしては優秀ですが、自分は苗字が先行しすぎている人間なんだと思い知らされた瞬間でもありました。
2.「たくさん」と呼ばれた日
それから数年経って大学を卒業し、就職して周囲の人が「友達」から「同僚」へ変わりました。会社の同僚を下の名前で呼ぶのはけっこう稀なことでしょうから、当然ここでも私は苗字で呼ばれ、私も相手のことは「○○さん」と苗字で呼ぶようになりました。ごくごく自然な流れだと思います。
しかし、就職してから数年後、そんな私のことを「たくさん」と呼ぶ者が現れました。そいつは私に初めて出来た年下の後輩で、陰キャの極みみたいな私からすると眩しくて直視出来ないくらいに陽気なやつでした。
「たくさん!ちょっと聞いてもいいですか!?」
始めは緊張していたのかやたらとかしこまっていた後輩ですが、すぐに持ち前のコミュ力を活かして職場に馴染んだだけでなく、あっさりと私の心のバリアーすらすり抜けてみせました。私とは全くタイプの違う人間ではありましたが、不思議と気が合ったんですよね。
そして何の因果か私と同じ課に配置された後輩へ、私は色々と仕事を教えるだけではなく、一緒にご飯を食べに行ったり、愚痴を吐き出すために飲みに行ったりするなど、コミュ障の私にしては珍しく良好な間柄を築いていくことになります。
そんなある日、ふと居酒屋で後輩に聞いたことがあります。
「なんでオレは”たくさん”なの?」
「え、だってそんな感じじゃないですか」
後輩からすれば、特に深い意味はなくただそう呼んでいただけなんだと思います。ただ、私は「ふ~ん」と素っ気ない相づちを打ちながらも、何となく嬉しく感じたように記憶しています。
その頃になると、あまりに呼ばれなさすぎて下の名前で呼ばれてもとっさに反応出来ないくらいの状態になっていた私ですが、やはり心のどこかでは悲しく思っていたのかもしれません。
私は後輩から「たくさん」と呼ばれることがどこか面白くて、その呼び方を止めさせるような真似はしませんでした。
3.突然の別れ
そこから一年くらい後、私は異動することになりました。涙ながらの別れ、とまではいきませんが後輩を含め送別会で盛大に見送っていただき、私は慣れ親しんだ職場に別れを告げました。
さらにその翌年、後輩も出身地付近の事業所へと異動することになりました。働く事業所こそ違えど同じ課に属しており、お互いに離れた場所にいながらもちょくちょく連絡は取り続けていました。
そして今から数年前のゴールデンウイークに突入する直前、仕事に関する話で、私に電話で相談してきた後輩と会話する機会がありました。それなりのアドバイスをしたつもりの私に、後輩はこう言いました。
「ありがとうございます!俺、がんばりますよ!」
私は仕事に対しては本来やる気の無い人間ですので、逆にそんな後輩からモチベーションを得ていたところがありました。連休明けは私も後輩に負けないようにがんばらなければならないな、と思ったその矢先の出来事です。
後輩が事故に遭い、帰らぬ人となったことを聞きました。
連休中に子供を連れ、行楽に出かけた際の事故だったそうです。小さくはないショックを受けた私ですが、出来たことといえば会社の経理に頼み、香典を送る手配をしたくらいのものでした。
4.最後に
それからまた時間が経って、後輩が亡くなったという実感は湧かないままでしたが、気が付けば私は下の名前どころか苗字でもなく、「役職」で呼ばれることの方が多くなっていました。
どの会社もそうだというわけではなくて、今は役職の人に対しても「○○さん」と苗字で呼ぶ会社のほうが多いらしいのですが、何かにつけて古臭い体制を捨てきれない弊社らしいです。
まあそんなもんだよな、と思う私でしたが、それからGGSTをきっかけにまた格闘ゲームを始めようと思った時、他のプレイヤーと交流しようとTwitterを動かした時、創作活動をしたいとnoteを始めた時、私は自分の名前を「たくさん」と入力していました。
その時は何気なくそうしたつもりだったのですが、今思えば呼ぶ人のいなくなった「たくさん」という呼び名を、どこかに残しておきたかったのかもしれません。
その後も、今まで適当に付けていたこうした名前を、全て「たくさん」で統一するようになりました。これが私のツイッター名の由来になります。
そしてこれからもインターネット上の片隅で、私はこうやってあいさつしていくのでしょう。
「どうもこんにちは、”たくさん”です。」
と。
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