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友人

Twitterを始めたのは2018年のはじめの頃。久しぶりの小説を読み始めたのはいいが、周りに小説を読む人がおらず、それならばネットで探そうと思って始めた。最初は情報収集だけして、ネットにはそこまで深く足を突っ込むつもりはなかった。しかし、気づけばアカウントを作ってからもうすぐ4年がたとうとしている。今となっては完全に生活の一部となった。Twitterで多くの友人ができた。高校では周りになじんでいたものの、これから一生仲良くしていくんだろうなと思えるほどの友人を作ることが出来なかったし、どうにも男子高校生特有の空気感を苦手としていた。そんな自分にとってTwitterは居心地が良かった。最初はろくすっぽ読めやしないのに、自分が読んでいるものは高尚なものなんだ、というよくわからん考えを持っていた。捨て去るのに結構時間がかかった。そんな中でも仲良くしてくれる人がいて、今でも続いている人たちがいる。「仲がいい」ではなく「仲良くしてもらっている」と書いたのは、本当にそう思っているからだ。人との距離感を図るのが下手で、自分は仲いいと思っていても、相手がどう思っとるかわからんくて不安になることがよくある。絶対表には出さんようにしとるけど。じゃあなんで書いとるねんって言われるかもしれんけど、なんか書きたくなったんやから仕方ないやん。自分が仲いいと思っていても、相手がどう思っとるかわからんくて不安になる思いをしたことがある人は、少なくないのではないかと考えている。自分は小学生の時に仲いいと思ってた人にいじめられたことがあるので、余計にそう考えてしまうのかもしれない。この時の話はまた今度するつもり。高校でも似たようなことがあった。仲いいと思っていたら、なんか距離を感じるようになって、気まずくて自分からさらに距離を置いた。でもひょんなことからその友達と卒業後に遊ぶことになって、人生何があるかわからんなって思った。昔から友人が残らないことが多く、卒業してしまえばそれまで、となってしまう友人ばかりだった。自分から連絡を取らないのが原因だと思う。それに、高校の友人に関しては自分から切ろうとしたのもある。中高はいじめられないように立ち回るのに注力してたから、振り返ってみると失敗したなって思ってる。大学入った時も、高校と同じようになるのは嫌やなと思ってたから、自分の好きなように振舞うことにしたし。そのくせ高校に遊びに行くってなんやねん。たぶん過ぎたことを気にしても仕方がないと思っとるんやろな。それか人間関係が苦手やっただけで、学校自体はそこまで嫌いではなかったということなんかもしれん。まあええや。

今、自分にしてはたくさんの友人がいる。勝手に友人としていいものかわからんが、仲良くしてくださっている方も大勢いる。大事にしていきたいと書きながら改めて思った。これからもよろしくお願いします。

下書きを読み直してたら、2年前くらいの下書きで同じようなタイトルがあったから、何書いとるんやろうと思って見てみたら、仲良い人に嫌われたと思ってたけど、杞憂やったっていうのをだらだら書いてて笑ってしまった。今と全然変わってない。

写真は過去のアイコンに使ってたもの。アイコンは1年に1度変えるようにしてる。

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