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半生

1年の振り返りをしたついでに、これまでの人生も振り返ってみようと思った。こんな軽いノリでするものでもないと思うが。

思ってたより長くなった。レポートもこのくらいのノリで書ければええのに。

産まれた時の体重は何グラムやったか正確な数値は覚えてないけど、自分も兄も4キロ近い重さで生まれ、看護師さんに「将来はお相撲さんやね」と言われたらしい。保育園に通っていた頃は、周りよりも一回り大きく、運動会のかけっこではぶっちぎりの一位だった。小学生になってからは背の順で真ん中より少し後ろといった感じだった。小学生の頃はいくつか習い事をさせられた。水泳、空手、公文。どれも行きたくなかったのでたまにさぼってたらばれて怒られた。努力をしなくてもある程度できてしまったため、さぼり癖がついた。今もなおってない。特に小学校で出た宿題を全然しなかったため、親が学校に呼び出されてた。直接言っても無駄だと思ったのだろう。卒業アルバムで授業風景を撮った写真があるのだが、みんながまじめに授業を受けている中、一人だけ頬杖をついていたのには笑った。めちゃくちゃ恥ずかしい。当時は男友達よりも女友達のほうが多く(今も変わらんかもしれんけど)、自分を含めて男2人に対して、女子6人くらいでよく休み時間に遊んでた。その女子6人も学年のかわいい子集めました!みたいな構成やった。初恋の女の子もその6人の中にいて、まわりにはバレバレやった。当時の自分はクソガキ中のクソガキで、自分が一番偉いと信じていたので鼻についたのだろう。男子の中心人物からいじめの標的にされた。仲良かったと思ってたんやけどな。いじめられたといっても、今思い返してみるとだいぶ軽い部類だったのかもしれない。それでも当時は結構辛くて、お昼ご飯の時に泣いてしまったことがある。その時にすぐ「私は味方やで」と声をかけてくれたのがいつも一緒に遊んでいた女の子だった。その一言にだいぶ救われた気がする。自分が男子を苦手として、女子に対して優しくしているのはここから来ている。受けた恩はその人ではなく他の人に還元するべきだと思っているので、優しくされた分優しくしている。いじめられた件は帰ってすぐ親に泣きついたらすごいスピードで解決した。頼るって大事。すぐに収まったおかげでほとんど心に傷を抱えずに済んだ。しかし、中学からも同じ学校に通うのは嫌だったので、他県の私立中学校に行くことにした。第一志望には受からず、初めて学力面で挫折したのがそこやった。小学校時代に心残りがあるとするなら、いじめてきたやつに仕返しをし損ねたのと、卒業式の日に好きな子と写真を撮れんかったことぐらい。学校での出来事はこれくらいで、学校以外の出来事で言うと小学3年生の時にアメリカに行ったことが一番思い出に残ってる。見るものすべてが大きく感じて、そのすべてに憧れの感情を抱いたことは言うまでもない。日本文学よりも海外文学のほうが読む量が多いのはここが原点なのかもしれないと考えている。あとは塾の行き帰りに食べたアイスとおでんはおいしかった思い出。今考えるとまじで甘やかされてたな。でも、怒られて家から追い出されたり、叩かれたりしたので、自分の中で父親は怒らせてはいけない存在になり、最近までびくびくしながら過ごしてた。怒らせないようにしたいんやったらまじめに勉強しろよって話なんやけど、どうやら自分には難しかったらしい。

そんなこんなで中学生になった。相変わらずクソガキやったけど、それなりに楽しかった。クラスで友人もできたし、部活に入ってそこでも友人ができたから一人ぼっちになることはなかった。今は一人で過ごすことにも慣れたけど、高校卒業するまでは学校から一人で帰ることすらできないほど、一人になることに怯えてたんよな。浪人生時代に一人行動に慣れたんやろうな。俺の世代は先生たちからの評判がすこぶる悪く、「最悪の世代」って呼ばれてたらしい。本当かどうかは知らんけど。俺もよく先生にお世話になった。あの頃よりは確実に大人になったと言える。まあ、中学高校の頃なんてみんなクソガキなんやろうけど、特にひどかった気がする。不良自慢できるほど悪いことをやらかすでもなし、かといって優等生でもなく、中途半端に迷惑をかけ、勉強もできないという自分で書いててなんやこいつって思うくらいダメダメやった。このころから楽観的やったから、余計にたちが悪かったんやろうな。まあ、どうにかなるやろうっていう思考で生きてた。刹那的な生き方とはまた違うやろうけど、その場のことしか考えてなかった。学校生活を送っているとやはり多いのが恋の話。課外学習や修学旅行などで恋バナは何回かしたことがある。告白もされた。因みに告白してきた子とはいまだに仲がいい。学生時代はそんなに仲良かった記憶はあんまりないんやけど、卒業してから何回か遊びに行ってる。クラスメイトに好きな人とユニバに行くためのだしにされたこともあった。そのクラスメイトとはそれがきっかけで仲良くなれたからいいんやけど。なんだかんだ楽しい思い出はあるけど、どんどん最近の楽しかった出来事にアップデートされてる。いいことやな。

中学から高校はエスカレーター方式なので、特に何の試験もなく高校へ。高校受験はしたかったなと後になって思った。けど、してもせんくてもそんなに変わらんかったかなって今は思ってる。大学受験してもそんなに変わらんかったし。高校から、自分の無駄に高いプライドがいい方向にも悪い方向にも働いた。いい方向は下ネタが苦手になったこと。下ネタでしか笑いをとれん奴は3流以下やと思ってる。悪い方向は、素直に楽しめない場面が増えたこと。恰好をつけてしって、本当は馬鹿なことをしたいのに、なんか見守る側の立場になってた。今は楽しむ時は割り切って楽しんでる。こっちのほうが楽しいことに気づけたのはよかった。Twitterを始めたのも高校の時やったけど、趣味垢しか作らんかったから、俗世とは切り離されてて、俺だけ人間関係の話題についていけないことがしばしばあった。どこから情報を仕入れてきとるんやっていうくらい詳しい人がおった。高校時代で一番楽しかったのは修学旅行。北海道に行った。1週間くらいの旅程で網走刑務所とか釧路湿原などいろいろ巡った。また行きたい。カメラを買ったので、知床半島などの自然が豊かなところに行きたい。ぐらいかな。振り返ってみるとあんまり楽しい思い出ないな。探せばもっとあるんやろうけど。通ってるときはそれなりに楽しかったんやけどな。その前と今のほうが楽しいから相対的にすくなくなるんやろうか。わからん。学校外の出来事やと、この時期からまた本を読むようになった。電子辞書に青空文庫が入っていたので、それを読んでた。繰り返し読んだのは『ガリバー旅行記』やシャーロックホームズシリーズ、ポーの作品とかの海外文学が中心で、数が少なかったから繰り返し同じ作品を読んでた。

浪人1年目は予備校に通ってた。意図的に高校の同級生とは違う場所にして、今までとは違う環境に身を置きたかった。友達の作り方がわからなかったので、担任の先生以外仲いい人がいなかった。担任の先生とは今でもたまにご飯に行く。電車で通っていたのだが、駅から予備校までの間に古本屋が3軒と大きめの本屋が1軒あって、めちゃくちゃ通った。初めて古本屋というものを知り、その安さに驚いた。めちゃくちゃ買った。基本ずっと一人で過ごしてて、自分を制御するのが自分しかいないので、浪人は自分との闘いって意味がよくわかった。自制心のじもないので、中途半端にさぼってた。授業は出たし、予習もしてたけど、復習しなかったから身につかなかった。ことあるごとに担任の先生のところに行って話をしてた。そのせいで、他の担任の先生とか事務の人にまで顔を覚えられてた。受験自体は失敗した。これからどうしようかなーとグダグダしているうちに、2年目の浪人期に入った。祖父が亡くなったのもこの時期。

2年目の一発目の出来事は沖縄へマグロを釣りに行ったこと。その前の年に兄が行ったので今年は自分の番らしく、父親と父の仕事仲間数人で沖縄へ。めちゃくちゃ楽しかった。こういう時にちゃんと楽しめるのは自分のいいところやと思ってる。1日目は波の高さが2~3メートルくらいで、船がすごい揺れて二人ほど船酔いでダウンしてた。マグロも数匹しか釣れなくて、早々に引き上げた。2日目は天気が良くなり、波も穏やかで絶好の釣り日和となった。1日目にダウンしてた人も、酔い止めを飲んで頑張ってた。めちゃくちゃ釣れて楽しかったけど、あんまり大きいのは釣れなかった。最初の方は、小さいのでも針にかかるとすごく重たいので、「これは大物が来た!」って思うんやけど、そのうちだんだんわかってきて、「あー、またね」ってなる。それでも楽しいことに変わりはないけど。2泊3日の旅程で、1日目の晩御飯は地元の居酒屋に行って、沖縄料理を楽しんだ。てびちとかミミガーとかの関西やとなかなか食べる機会がないものをたくさん食べた。ソーメンチャンプルーも食べた。そういやゴーヤを食べてない。2日目は、同行者の知り合いがやってるお店に行って、釣ったマグロを捌いてもらった。びっくりするくらい美味しかった。地元に帰った次の日に、マグロが届いたので、父の仲いい仕事仲間を呼んでマグロパーティーを開いた。美味しくないわけがなかった。そこからはあんまり変わらん日々を過ごしてた。家でダラダラして、たまに家の仕事を手伝いに行っての繰り返し。6月あたりから免許を取りに行った。7月23日に人生で初めて蜂に刺された。Twitterで報告したので、写真が残ってた。このころちょくちょく全統模試とか受けてたんやな。忘れとったわ。8月に高校の同級生と花火をしてる写真があった。今でもかかわりがある数少ない高校時代からの友人。写真を見返してたら、買った本と食べ物と景色の写真しかない。本格的に受験をしようと思ったのが年明けからで、自分でもよく受かったなと思った。受からんかったら京都の植木屋に10年くらい修行に行かされる予定でした。大学に入ってからの振り返りはこの前したのでこのくらいで。これまでなんだかんだ良いことも悪いこともあったけど、全体的にはよかった気がする。2浪したのはよくなかったかもしれんけど、そのおかげで逆に好きなように生きようって割り切れたところがあるので、捉え方次第やなと思った。長々と拙い文章でしたが、ここまで読んでくださってありがとうございます。

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