自分中心じゃない考え方
「他人からどう思われてもありのままの自分でよい」
という考え方は、人生にもダンスにもあてはまる。
大いに賛成で、自分の考え方、生き方、暮らし方、趣味など周りと比較することなく生きていくつもりでいる。
自分の中で
「いい年をした部下があいさつすらスムーズにできない」
「機嫌の悪い患者がいる」
「先輩にゴマをするのがうまくて踊りの練習していない」
「40代が高校生と付き合っている」
「待てない患者ばかり。日本人はモラルが低い」
「他の患者もいるのに待合室で大声で電話している」
「会社は挨拶もできないし報連相もできない薬剤師をなぜやとうのか」
という疑問が日々浮かんでいた。
自分は周りに生かされているし、人と人とのつながりで人生も仕事も踊りも成り立っている
のは良く分かっている。
しかし、上記した疑問に対して、
イライラや落胆の感情を抱いてしまうのは
「自分中心」に考えを進めてしまっている
ことに気づいた。
「悪魔とのおしゃべり」/さとうみつろう
「世界中の億万長者がたどり着く心の授業」/Nami Barden
上の2冊の本を読んでいて気づきを得られた。
「いい年をした部下があいさつすらスムーズにできない」
→なんで良い年をして挨拶をできないんだろう?
→患者やDrから、挨拶を指導していないんじゃないかと自分が思われてしまう
「機嫌の悪い患者がいる」
→なんでこういう場所で機嫌の悪さを出してしまうのだろう?不愉快
→自分に当たってくる患者あたまおかしい
「先輩にゴマをするのがうまくて踊りの練習していない」
→BATTLEのまえにお菓子くばっていたり、プライドないのか?踊りの
クオリティ上げて踊りで勝負してくれ
→自分まで同類に見られそうで嫌だ
「会社は挨拶もできないし報連相もできない薬剤師をなぜやとうのか」
→挨拶も報連相もできないの頭おかしい
→自分は新人のころから意識していたしできるように努力してきた
etc
とこんな感じに。。
すべて自分中心に考えてしまってるが故の落胆やイラつきなのだ
「他人に期待しない」
ことが大切
挨拶を教えられずにここまで来てしまったのだろう。損をしてしまっていてかわいそう。
何か機嫌を悪くするような出来事があってこういう言い方になっているのだろう。
人のやり方があるし、嫌なら組まなければいい。
人手不足のところになかなかない応募が来て採用しているのかもしれない。
よくよく考えればこういったバックグラウンドが想像できる。
かわいそうだなと思えるものから、関わらないほうがいいものまで様々。
「期待しない」ことを前提に自分を自分が眺めているようなメタ認知の状態でいられればイライラや落胆は避けられる
今後はそういうマインドで生活して、たびごとにこういう
アウトプットしたうえで振り返ることをしていこうと思う。
自分で書いていてすごく心が静かになる。