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NASAの火星ローバーは人の心で走る

このnoteではNASAで働く日本人エンジニアの筆者が、2020年に打ち上げられる火星探査機の開発現場で感じたことを言葉にしています。

人類が初めて手にする火星の土

2020年、NASAは火星に向けて新たな探査機を打ち上げる。「Mars 2020 Rover」という名のそのミッションは、火星にかつて生命が存在できる環境があったのか調査し、生命の痕跡そのものを探す。7月に地球を出発し、2021年2月に火星に到着する。

いま火星では2012年に着陸し、岩石の中から初めて有機物を発見したローバー「キュリオシティー」が探査を続けている。キュリオシティーは小さな "実験室" をその体に備えていて、岩石や土などのサンプルをその場で分析してきた。

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2012年の着陸から探査を続ける火星ローバー「キュリオシティ」写真はキュリオシティのヴェラ・ルービン尾根での自撮り。

一方で、その後継機となるMars 2020 Roverは、火星のサンプルをより詳しく分析をするために地球に持って帰る準備をするのが役目。そのため "実験室"の代わりにサンプルをチューブに詰めるための "工場" が搭載される。

2019年12月。ローバー全体での試験はすでに完了していた。残すはその "工場" の詳細な試験。これがMars 2020 Roverの開発における最後の試練となる。技術的なハードルは高い。しかし、上手くいけばこれが人類が初めて手にする火星の土になる。

試験開始前日

時計はちょうど夜の12時を指したところだ。その日は試験開始の前日で、深夜まで作業が続いていた。他にいたメンバーはほとんど帰宅していて、残ったのは僕を含めた数人だけになっていた。肉体的にも精神的にも疲労は限界まで来ていた。

それでも、ついにスペースチャンバーのドアを閉めて試験を始めるときがきたことに僕は高揚感を覚えていた。それに、いくら準備しても何か抜け落ちがある気がして落ち着かない。高校の文化祭の前日に似た感じと言えば何となく分かってもらえるだろうか。

作業を続けながらここまでの道のりを思い返していた。この2カ月間は長かったようであっという間だった。

Mars 2020 Roverを作っているときの様子。パーツの削り出しから組み立て、試験まですべてNASA/JPLで行われた。

試験の準備は11月から進めてきた。毎朝まだ暗いうちからミーティングが開かれる。クリーンルームでのハードウェアの組み立て、オペレーションによる動作確認、試験に向けたドキュメントの作成など、タイトなスケジュールに遅れずに開発を進めるため、その日の作業内容を細かくチェックする。

スペースチャンバー
温度や圧力をコントロールして宇宙空間や惑星の環境をシミュレーションできる装置。

クリーンルーム
惑星探査機を組み立てるための施設。 探査機をきれいに保つために空気の清浄度がコントロールされ、外部から汚れが入らないように管理されている。

チタンの銀色

クリーンルームに入っていくときの緊張と楽しみが混ざりあった、あの空気が好きだ。

バニースーツと呼ばれる白い作業着に着替えながら「スケールは違うけど宇宙船に乗り込んでいく宇宙飛行士も同じような気分なのかな」と想像をふくらませる。

エアシャワーを浴びホコリを吹き飛ばし、狭い通路を通って突き当りのドアを開けると、目の前に天井の高い明るい空間が広がる。

その真ん中には、実際に火星へと飛んでいくハードウェアが座っている。

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ACA (Adaptive Caching Assembly)
火星のサンプルをチューブに詰めるための "工場"。Mars 2020 Roverの機体前部に搭載され、小型のロボットアームとサンプルを検査する各ステーションから構成される。左側に並んでいる筒がサンプルチューブ。全部で43本持っていく。

初めてACAを見た時の感動が今でも忘れられない。艶やかに光るチタンの銀色。なめらかな曲線と力強い直線の組み合わせ。いつもコンピューターの画面で見ている設計図とはずいぶん印象が違って見えた。もちろんまだ完成には程遠い状態だったが、僕を魅了するには十分だった。

ACAは火星のサンプルを詰める装置なので、特に厳しく管理されている。地球からの物質で汚れてしまうと、それが火星から来たものなのか、地球から紛れ込んだのか分からなくなるからだ。可動部も多く、下手に接触すると壊れる。細心の注意を払って、常に緊張感をもって作業を続けた。

クリーンルームから出た後は自分のオフィスに戻って試験計画書などのドキュメントを制作する。家に帰った後も再びパソコンに向かい、寝る直前まで作業を続ける。そんな過酷な生活が2ヶ月ほど続いた。やっとのことで振動試験を完了させ、ACAをスペースチャンバーへと搬入し、いよいよ試験が始まるというところまで辿り着いた。

サンプルチューブが出てこない

クリスマスの数日前に試験を開始した。試験は1カ月ほど続く。シフトは3交代制で24時間カバーする。今年は年末年始返上で試験だ。

試験ではACAを火星の大気圧 (地球の100 分の1) で高温 (+70 ℃) と低温 (-135 ℃) に曝し、異常が出ないか確認する。さらにその後、火星の温度でシステムが正常に動作するか、実際に動かしてみて確認する。

試験の出だしはスムーズだった。高温に曝しても低温に浸してもACAに異常は見られず健康状態も良好だった。僕自身も「試験を始めるまではいろいろあったけど、一度始めてしまえば案外楽勝だな」などとのんきに考え始めていた。

ある朝、シフトを担当しにチャンバーがある建物に入ると、深夜シフトのメンバーが暗い顔をして座っていた。いつもと明らかに様子が違う。いったいどうしたのか聞くと「サンプルチューブが出てこないんだ。何かがおかしい。今は上の指示を待っている。」という。

耳を疑った。安心しきっていた分、不意を突かれた。その日の朝すぐに、主要メンバーを集めて、緊急のミーティングが開かれた。

ありとあらゆる可能性を挙げて議論した。温度変化による金属の体積変化、空気中の湿度の低下、低温によるケーブルの硬さの変化、力センサーのエラー。いくら議論しても答えは出ない。

原因が分からないまま先に進むことはできないため、一度チャンバーを開けてハードウェアをチェックするという結論に至った。一度閉めたチャンバーのドアを開けるということは試験をもう一度最初からやり直すことを意味する。

そのとき僕の頭によぎったのは「2020年の打ち上げに間に合うか?」ということだった。そのくらいスケジュール的に追い込まれていた。火星探査機の打ち上げウィンドウは地球と火星の位置関係で2年に一度しか来ない。今回のチャンスを逃すと2年待たなければいけない。この計画変更で残っていたマージンは全て使い果たしてしまう。もう後がなかった。

スリルを楽しめ

僕はこのハードウェアを打ち上げに間に合うようにフロリダまで届けられるのか不安になった。それと同時に、どんなにシミュレーションを駆使して、様々な可能性を検討し、考えうるベストの設計をしても、実際に作って動かしてみるまでは、上手くいくか分からないものだと実感した。それが物作りの面白さなのかもしれないけれど、いまはその面白さは求めていない。

変更された計画に対応するため、自分のオフィスで作業をしていると上司のGCが覗きにきた。

「ACAの試験は順調か?」

「…実は今トラブルが起きてて一度試験を止めてるんです。」

僕の顔に不安が表れていたのか、GCは椅子に腰かけ、話し始めた。

「お前らは、まだ誰もやったことがないことをやってるんだ。上手くいかなくて当然さ。」

「それにしても、お前のチームはみんなピリピリしすぎだ。試験前の審査会にいたやつら、みんな死にそうな顔してたぞ。そうだな。ストレスレベルでいうと、溺れてるのに水面から鼻しか出てない、みたいな感じか。」

返す言葉もない。

「ただな、火星ローバーのサンプル採集システムを作るなんて、誰でも経験できるような仕事じゃないんだ。今はきついかもしれないが、振り返ったときに必ず大きな経験として残る。この状況のスリルを楽しめよ。」

スリルを楽しめとは…。さすがいくつものプロジェクトで修羅場をくぐり抜けてきた人の言うことは違う。GCの言うようにすぐに楽しむことは出来そうもないが、ただこの言葉を聞いたおかげで少し気が楽になった。

それと同時に、あまりにスケジュールや細かいことに囚われすぎていたことに気が付いた。自分は今、夢だったNASAジェット推進研究所という舞台で、その夢を見るきっかけになった火星ローバーを作っている。しかし、その存在が近くなりすぎていたせいで、すっかり忘れていた。大きな地図を思い出したことで再びチャレンジする気力が湧いてきた。

スピーディーに、冷静に、正確に

一度チャンバーを開けて、ハードウェアをくまなく点検した。ペンライトで怪しい個所を照らして確認する。少なくともいくつか原因となりそうな箇所の目星はついた。コマンドを修正することで解決を試みる。

悠長に時間などかけていられない。全ての作業は可能なかぎりスピーディーに、かつ冷静に、正確に遂行した。仕切り直してもう一度トライする。再びドアが閉められたチャンバーの横に置かれたモニターには、LEDライトで照らされたACAが映し出されている。

ロボットアームが肩と肘を振り、サンプルチューブのストレージの下へと移動する。ここまでは順調だ。ロボットアームが徐々に上昇し、サンプルチューブにドッキングする。次が問題のパート。ストレージから出てくるロボットアームの指先にその場にいる全員が注目する。緊張が走る。

白く光るサンプルチューブがゆっくりと降りてくる。「チューブだ!」誰かが叫んだ。その瞬間、拍手が起こった。ハイタッチして喜ぶ人もいれば、あるものはガッツポーズしている。僕は本当に安心して、椅子にへたり込んだ。

その後何度か繰り返して試験したが、問題なく成功した。これなら大丈夫だと偽りなく確信できた。その後の試験はスムーズに進み、無事に終了した。こうしてACAはローバーの輸送から遅れること3週間、無事にフロリダのNASAケネディースペースセンターへと到着した。

人の心が火星ローバーを走らせる

先日、ローバーの名前が発表された。

「PERSEVERANCE: 忍耐」

精神論はあまり好きではないのだが、結局のところ、ミッションを成功させるために必要なのは、どんなトラブルが起きたとしても、決してあきらめることのない人間の姿勢だと思う。

火星に探査機を飛ばす理由が人間の好奇心、冒険心、知りたいという欲求だとしたら、それを現実のものにするのは、失敗にも困難にも負けない、情熱だ。人の強い心が火星ローバーを走らせる。

以前、僕をNASA/JPLに導いてくれた恩人の一人にキュリオシティのような壮大なミッションを成功させるために一番重要なファクターは何かと尋ねたことがあった。その人も「人間。ミッションを成功させるためにはプロジェクトメンバーが団結してモメンタムをもって挑まなければいけない」と言っていたことが思い返される。

このプロジェクトには全部で1000人近くの職員が関わってきた。その一人ひとりの努力が積み重なり、ローバーを形にしたのだ。

7月にはMars 2020 Perseverance Roverを載せたアトラスVロケットが打ち上げられ、2021年の2月には火星に着陸する。

ちょうどそのころに、ワクワクしながら夜空の赤い点を見上げてみてほしい。僕たちが作った火星ローバーが、その歩みを始めているところだろう。


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