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15分だけの有名人もしくは悪名は無名に勝る

ポップアートの産みの親であり、現在でも盛んに取り上げられるアンディ・ウォーホル。キャンベルのスープ缶を題材にした作品は、大量生産と大量消費を批判的的な視座で捉えた傑作と高く評価されている。彼の興味は日用品に留まらず、エルヴィス・プレスリーやマリリン・モンローといったポップアイコン、はたまた毛沢東やジャクリーン・ケネディといった政治家や有名人までモチーフにした。

同じ人物をモチーフにしながら、異なるパターンでいくつも制作されているが、特に有名なのはマリリンの肖像画だろう。なんと254億円もの値段が付いた本作は、カラフルでポップでありながらも、鑑賞者になんとも言えない不穏な感情を抱かせる。虚に見えるマリリンからは、彼女自身に訪れた突然の死をも思い起こさせる。

改めて考えれば、他人が撮影した写真を拝借してコラージュしただけの作品だし、今やスマホのアプリで誰でも気軽にできることだ。でも、1964年にその手法を用いてアートとして成立させたウォーホルは、やはり天才と認めざるを得ない。数々の著名人を題材にし、自身もさまざまなメディアに登場したウォーホルだが、こんな名言を残している。

In the future, everybody will be famous in 15 minutes.
人は誰でもその生涯で15分だけは有名になれる

俳優もアイドルもお笑い芸人も次から次へと現れて、やっと顔を覚えたと思ったらテレビ画面から消えてゆく。バラエティ番組に出てくるコメンテイターや専門家と呼ばれる人々も、一時はもてはやされるが数年後には忘れ去られる運命にある。数年前から頻繁にテレビに進出してきたYouTuberにおいては、よりそのサイクルが短い。

さまざまな情報で溢れかえるSNS(その多くはTwitterとTikTok)には、まさに15分だけの有名人が大量生産されている。取るに足らないドッキリ動画は許容できるが、いわゆるバカッターと呼ばれている、外食チェーン店などでのマナー違反(というか犯罪でもある)動画や迷惑系YouTuberには目も当てられない。

備え付けの醤油差しを舐め回したり、他人が注文した寿司を勝手に食べたり、ワサビを入れたり…。そんな動画がTwitterで拡散して大きな話題となった。本人は軽い悪戯くらいの感覚なのだろうし、身内で目立ちたいだけだったのだろう。

多くの人が指摘しているように、そうした低劣な悪戯は大なり小なり昔からあったのだろうし、こうした悪戯の類はこの世からなくなることはないだろう。けれど、SNSによって可視化されて大きな衆目を集めることになり、まさにウォーホルが指摘した“15分だけの有名人”が次々と現れては消えていく。

普通の人は他人が嫌がることをしてまで有名になりたい、注目を集めたいとは思わないが、普通じゃない人が結構いるものだ。さらにこの現象は日本だけでなく、海外でも似たような事例がいくつも見受けられる。

承認欲求ばかりが強く、悪名は無名に勝ると本気で思っている若者たちが今日もまたSNSで炎上している。一方で政治の世界でも、N党のガーシー議員はドバイでのうのうと暮らし、方々へ悪態をついている有様だ。分別のある大人たちがこんな状況を野放しにしているものだから、子供たちにだって影響することは容易に想像がつく。

15分だけの有名人を予見していたウォーホルだが、まさかこんな低俗なことで有名になりたがる人間が多く、ここまで劣化した社会を見たらさぞ驚いたことだろう。


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