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#日プ女子 お気持ち表明②【与えられたものだけを食べる雛鳥】

さて日プ女子に対する批判・文句を出していきたいんですが、考えれば考えるほど多く出てくるし相互に関係していることなのでどういう風に整理すればいいのか苦慮しています。とはいえこれは論考ではなくお気持ちなんだから気にせず書けばいいんですけどね。ということで深く考えず直近で感じたことから放出していきます。

放送終盤、1pickになってからSNSでのファンダムの活動が活発化していきました。その中で「布教待ち」という言葉を知りました。

こういうやつですね。「日プ 布教」みたいに検索すると腐るほどいます。そして数百件のリプがついている。
要するに誰に投票すればいいか決めたいから教えてくれよ、または決めてくれよということですね。笠原さんのファンダム「ぴちぺんず」のツイートにも「布教待ちの方にリプしよう」みたいなことが書いてあったのでサバイバル番組界隈で文化として定着しているんでしょう。愚にもつかない文化だと思います。ま、これに関してはすでに違和感を覚えている方も多いでしょう。布教待ちをしてしまう理由は正直どうでもいいです。承認欲求だろうがなんだろうが、それを満たそうとすること自体は悪くないと思います。問題は、その醜悪さに気づいていないことです。醜悪なものは醜悪だと明言していく必要があると思うので書いておきます。

醜悪ポイント①
善意の皮をかぶっている。
個人的にはこれが一番救えないなと思います。「救済したい」「魅力を知りたい」「ファンの手助けをしたい」こういった言葉で飾り立て自分の醜さを隠している(つもりになっている)。

醜悪ポイント②
責任を回避している。国民プロデューサーを名乗りながら「選ぶ」という責任から逃げている。決められないなら投票しなければいいんです。投票しない自由も与えられています。

醜悪ポイント③
正解を求めている。「リプが多かったから」みたいに投票の正解を求めている。正解などない、その中で自分なりに悩みながら選択していくことに耐えられないその弱さを見つめずにごまかしている。

醜悪ポイント④
失敗を恐れている。「自分では気づけない魅力が知りたいから教えて」というのは一見ポジティブな提案に感じます。でもそれは後々「あーあの子の魅力に気づかなかった!なぜ投票しなかったんだ自分」と落ち込んだり失敗することを恐れているだけです。転びたくないからといって抱っこしてもらっていてはいつまでたっても歩けるようになりません。

僕がハロプロを知った当初、ファンの言動で驚いたことがありました。メンバーの些細な行動や仕草を逐一観察して「あの子の移動の仕方がすごい」とか「この子がしゃべっているときに後ろで真剣にうなずいていた」みたいにスポットライトが当たらないところまで魅力を語っていたのです。与えれたものだけではなく、自分から積極的にその子の魅力を見つけ出そうとするその熱意に感動しました。

布教待ちはそういった意識とは対極にあるものです。与えてもらったり教えてもらうことを当然と考えてただ待つだけの、親から与えらえるエサだけを食べる雛鳥の群れでしょう。いやそれは雛鳥に失礼か。本当に雛鳥であるならそれは許されます。彼らにはそれしか手段がないからです。しかしあなたたちは違います。その手に持ったスマホやパソコンで自らエサを探すことができるんです。すでに自分でエサを取れるにも関わらず口を開けて待っているだけの雛鳥モドキ。それが布教待ちの醜悪さです。


もうひとつ。雛鳥モドキたちにエサを与える方にも問題があります。いかに布教待ちが多かろうと、布教してあげる側がいなければ消滅していくはずなんですよ。でも悲しいことに雛鳥にエサを与えてしまう他人(他鳥?)がたくさんいるのです。
もちろん気持ちはわかります。自分の推しが落ちるかもしれないと思ったら、あまり良いことではないなと思いながらも布教してしまうでしょう。手段を選んでいられないと思うでしょう。でもね、手段は選ばなきゃだめなんですよ。手段を選ばないというのは最悪の思考停止であり、その先にあるのは暴力であり戦争です。でかいことを言っていると思うかもしれませんが、本気でそう思っています。

僕は自分だけが笠原さんに投票し、布教もしなければ家族友人にも声をかけませんでした。考えた末に自分で決めたやりかたです。だからこそ僕は笠原さんが落ちる可能性も受け入れました。票が足りずに笠原さんが落ちてしまったら僕はすごく後悔していたと思います。くだらん意地を張らずに布教しておけば良かったと自分を責めていたでしょう。そういう未来があることを受け入れた上でやり方を決めました。
失敗して後悔する可能性を受け入れることが「選ぶ」ということなんだと思います。

当然、これは僕個人の選択であり他人の選択にどうこう言うつもりはありません。ただ、自分が何を受け入れて何から逃げてその選択に至ったのかを自己洞察してみることをお勧めします。

そして「選ぶ」ことから逃げた雛鳥モドキの群れに対しては無表情な視線を向けるのみです。

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