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「踏み出せばできる」ことに価値はない

人生はいつだって「一歩踏み出したその先に」の集合体だ。今日ある自分は過去の自分が起こした行動の結晶だし、「こうしよっかな!」と仕掛けたアクションの結果として現状は作られている。

目覚めた家は「この物件の賃貸契約しよ!」と思ったあの日があったからだし、もしもあなたが実家で起床したのであれば「一人暮らしせずに実家にいよ!」という行動の果てにある。

二日酔いなのであれば、昨日飲みすぎたからだし、早起きなのであれば早く寝たからだし、金髪で目覚めたのであれば、数ヶ月前にホットペッパービューティーに踏み出したからだ。

そんなささやかな踏み出しから、自分の存在そのものを叩きつけるほどの人生懸けた踏み出しまでピンキリだが、多かれ少なかれ僕たちは踏み出しながら生きているし、寿命を迎えるまでは一歩一歩決断して何かを選択して、日々を送り続けている。

もうサラッと書いてしまったがそうなのだ。
日々無数に散りばめられている踏み出しには「重要踏み出し」と「そうでもない踏み出し」がある。この差はどこにあるのかと言うと「成功の保証性」だと思っている。

「うまくいくか保証はないけど踏み出すぜ!」というのは怖い。とてつもなく怖い。
金髪を試みて色が抜けないひとはいないが、宇宙飛行士になろうとして辿り着けなかったひとは星の数ほどいるだろう。前者は成功の保証性が高く、後者は低いと言える。

冒頭に「過去の踏み出しの結果が本日のワタシ」と書いたが、逆に言うと踏み出さなかった場合、「踏み出さなかった自分」が将来的に訪れてしまう。この消極的な自分を受け入れていくとどんどん理想と現実は遠ざかっていく。

「うまくいくかいかないか、考えた通りになるかならないか、成功するか失敗するか」ももちろん大きいのだが「うまくいかないと思ったので、やりたかったけどやらなかった」というのは後々尾を引く。

なぜなら「やってみたけど考えた通りにならなかった。でもその最中にいろんなものが拾えた。そして違うカタチで近しい何かが叶った」なんてことがザラにあるからだ。少なくとも踏み出さないよりは踏み出したほうが近しいシチュエーションが訪れる。

案外、物事は「うまくいくorいかない」というふうにはできていないし成功失敗というやつはわりとグラデーションでできている。

たとえば「大リーガーになりたい!」と思って野球をしている子がいるとして、結局日本のプロ野球選手として20年の現役生活を終えたとする。

これはこれで良しとするのだ。
どちらも大枠で言えばベースボールプレーヤーだし、そもそも「たぶん大リーガーにはなれないので公務員になります」よりかは日本の野球選手のほうが元々の目標だった大リーガーに近い。

理想と現実をピッタリ一緒にするのは難しいが、近くすることはそんなに難しくない。ホールインワンは大変だけど、グリーンに乗せることは自分次第だったりする。
「それじゃ満足しないわよ!」なんて声もありそうだが、まるっきり真逆にボールを吹っ飛ばして目標から遠ざかるほうがおかしいと思う。

「叶うか分かんないから踏み出せない」というのはそれだ。ホールに向かって打たないで、真後ろにナイスショットをかます狂気そのものだったりする。

だけど「叶わなさそうだからやらない」という気持ちも分かるは分かる。やらないことによって「俺だってやればできる」という可能性を残しておきたいからだ。

踏み出す前から「できない」と言ってしまうことはたしかにある。あった。でもその一言が人生の大きな可能性をゴリゴリと音を立ててすり潰すことも知っている。

あしたを面白くするには、この可能性を消していくことだ。そりゃ考えた通りにならないことはつらいし、自分の無力さを突きつけられる痛みは耐え難い。そして残酷だが「やってもできなかった」という事例は存在する。

僕が前やっていたQOOLANDというバンドは「単独武道館をやる」と言っていたがまさしく「やってもできなかった」のだ。

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しかし全力で踏み出した結果であり、力及ばす敗れたが仕方ないことだ。仮説が否定されるのは何も悪いことだけではない。ひとつの「やればできる」という可能性をゼロにしたおかげで、メンバーそれぞれの人生は散り散りになれた。一緒にいても意味がない関係は、いつまでも一緒にはいられないものだ。

男同士で「これを目指す!」と言って集まったのだ。可能性が消えてまで一緒にいられるほど子どもでもない。
逆に言えば、それでもつるみ続けたのであれば、それは「幼い」と言わざるを得ない。熱くてピュアな三十路は良くても、幼い三十路は見るに耐えない。

「踏み出してもできなかったこと」があったからこそ次の「踏み出してみる」が生まれている。

うまくいった例もある。「自分のnoteを書籍化する」という踏み出しは僕の想定より遥かにオーバーランして映画にまでなってくれた。

「やったけど叶わなかった!」ということはあるし、人生思った通りにいかないほうが多いのは事実だけれど、たまに場外ホームランが出るのもまた事実だ。「叶いすぎるほど叶う。力量以上に飛びまくった」という試合だって無くはない。

先日、飲み屋で「若者には可能性がある!」とおっさんが喚いていた。と言うより喚かれた。

僕は「申し訳ないんですけどそんなん当たり前です。挑戦していないのだから、可能性があるよ、というだけです。逆に考えると可能性が残っている時点でやってないんすよ、その若者とやらは」となぜか言い返した。なんてイヤなやつなんだと思う。場は持っている生ビールぐらいキンキンに冷えた。

だけどそうなのだ。自戒を込めて言い続けないといけない。「可能性なんて大したものでもない」と。可能性なんて全員にある。全員持っているものなんて何の価値もない。

ウダウダ悩んでいることがあるならば、さっさと踏み出してしまわないといけない。「踏み出せばできる」なんて可能性は一銭の価値もないのだから。


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