助言の力
たまにアドバイスを求められる。
せっかく聴いてくれたひとにはなるべく気の利いたことを言いたい。しかし難しい。「助言」の持つ力なんて無いに等しい。
むかし、「みんなで盛り上がれる曲を作れ」と言われたことがある。
「バラードを作れ」も言われたことがある。
「家族への愛を歌え」もある。
アホみたいな話だがマジだ。大マジの実話だ。
「なんだか知んないけどナメられてんなぁ」が心で鳴った。そして裏方への情熱みたいなものを、ひとつ諦めた瞬間だった。
あの方は僕を作家としてナメていたのだろうし、あなた方リスナーに関しては、猿以下だと思っていたのだろう。
世の中には漫画家のアシスタントさんに「ワンピみたいなの描きなよ!売れるよ!」と言える思考回路の人間が一定数いる。
彼らは少しおかしくなっている。90年代音楽バブルの蜃気楼で脳が溶けてしまっているのだ。
沈みゆくタイタニック号にもいろんなタイプのひとがいた。
レコード会社はもう沈みゆくタイタニックにしか見えない。
そして彼らは船に穴が空いていることにすら気付いていない。
海上は大荒れに荒れているのに、未だ豪華客船の装飾に目が眩んでいる。
沈没の最中、酔っ払い続けている。
船尾は浸水しているのに女を抱き続けている。
だけど僕らは沈むまで演奏を続ける楽隊なのかもしれない。
「世の中にはサイコが一定数いる」は揺るぎない事実だ。
「何も分かってないアホっぽいアドバイスもうしんどいっすわ」は超個人的意見だ。
でも「人の話を聞かないと成長しないぞ!」が無理のある迷言になってきたのは客観的事実だ。
と言うより人間はそもそも他人に対してそれぐらいには粗い。
自分自身にとっての話なら慎重にもなる。丁寧にもなる。
でも他人には粗い。
レコード会社の面接に受かって、業界で長らく働いてきた人間でもその言葉を吐くぐらいには粗い。
だからもう、他人の助言は置いとくといいと思うのだ。
どうせ聞くなら言ってもらいたいひとからの助言にしとくといい。それで充分足りる。
後はとにかくやってみることだ。話を聞くもいいが、結局やるしかない。
そしてやってみてミスったときに「仕方ねーな」と言ってもらえるやつになっておくことだ。
「どうしてくれんだてめー!」と言われないやつになっておくということだ。
僕も生きていくために「やってみること」を重ねている。仮説を立て、実験する。を繰り返している。
実際にやることの破壊力は侮れない。
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