いそがしくてもやめる

男の順序

いまの鹿児島県、薩摩藩は島津家の教えに「男の順序」というものがある。

一、何かに挑戦し、成功した者
二、何かに挑戦し、失敗した者
三、自ら挑戦しなかったが、挑戦した人の手助けをした者
四、何もしなかった者
五、何もせず批判だけしている者

「それな!」と言いたくなるぐらいには腑に落ちる。

どれほど世界には序列や優劣、順序というものがあるのかは分からない。

たとえば「売れてるバンドと売れてないバンドだと前者の方が序列が上なのか?」と問われるとなんとも答えられない。

その点、「男の順序」の評価基準は主体性の強度だ。ひとと比べてどうこうではなく、「自分から率先してやれるやつが男として偉いぞ」というアクティブさを評するシステムである。

薩摩男子はそういうところがあるのだろうか。

関西人の僕にはわからないが、「何もせず批判だけしている者」は関西でもスベっていると言える。

しかし一定数こういう人物はいる。たしかに彼らは男の世界から外されてしまう傾向にある。

何かをやるぞ、というときに仲間にいるとモチベーションを下げる一方だからだ。そして勝負した際の結果だけで物事を判断してくる。

時の運なのだから勝ったり負けたりを繰り返すのが勝負だ。全勝はできないし、負け方がむしろ大切だ。

一、何かに挑戦し、成功した者になりたいものである。


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