怒れる者たち

怒っているひとをよく見かける。

店員にキレる。若い女性社員をいじめる。有名人を中傷する。

他者を追い詰めたり、気の弱い人間を萎縮させるのはよろしくない。見てるだけで気分が悪くなるから勘弁してほしい。
だけど「怒り」という感情が不要かと言われると、また違う。

常識や惰性、大きな力が作った理不尽に対する怒りは要る。もう一つ「自分を律する」という自分に対する怒りも持っておくに越したことはない。

「俺は不甲斐ない男だ 」という自分に対する怒りが己自身を目覚めさせるときがある。下記の男もそうだ。

自分の限界や弱さが許せない夜がある。いくつになっても訪れる。昨日もほんのり訪れた。些細なミスだったが、自分自身を許せなかった。

でもこれはいいことだ、ともう身体で覚えている。『猛省』という言葉に収まるのかもしれないが、「自分への怒り」という方が僕自身はしっくりくるのだ。この怒りの後に0.2ぐらいレベルが上がる。

反対に「僕はダメな男だから」と、ただスネてしまいそうになる夜もある。このスネが苛烈すると「稼げないや」に変形し、「モテないし」に派生し、「別にいいや」に着地する。

ここ一年ほどは『スネ夜』が無いが、一時期はひどかった。人間のクズだった。まぁでも僕だけでもないだろう。あなたにもそんなスネ倒したくなる夜があるはずだ。

スネたときの男たちにはある共通点がある。それが「自分に対して怒らない」だ。怒らない代わりに、あきらめてしまう。

これが末期になると何かを見るだけの趣味に遊んでしまうか、飲み食いに没頭していく。

一日へこむぐらいなら気持ちも分かるが、数年単位になると同情の余地もない。ただの「自分に対して甘いひと」だ。

人生に本気を出していない人間の完成形とも言える。無害で長所は「やさしい」だが、男としては役に立たない者がほとんどだ。

世の中には一定数の暴君がいる。暴君が自分や自分の大事な人間に猛威を振るってきたら、立ち向かわねばならない。

基本的には「俺はやってやる」という気合満点の人間が好きだ。バンドでもそういうバンドが好きだ。そんなのは演奏を見れば分かる。

「俺はなんてバカなんだ」「まだまだこれからだ」という自分に対する怒り、というと大げさだが、戒めがほどよくあるやつはいい。

ひとの本質はあまり変わらない。違うのは考え方ひとつだったりする。破滅的なのかもしれないが、自分自身に原因があるという考え方が未来を作る。

こういう人間が僕は好きだが、もちろんこれが過ぎるとまわりを遠ざける。若いときは遊びたい友人たちがいなくなり、中年以降は気力を無くした友人たちが煙たがる。

「おまえ、早く大人になれよ」とか言われてしまう。批判する人間には「力を失くした自分は偉い」という謎のスタンスがある。

世の中の多くは「楽しければいい」と「暗いのはお断り。ラクに生きよう」なのだから仕方ないのかもしれない。

だけど「俺は自分の情けなさに絶望している」という人間だっているのだ。だからどこかしらに同じようなやつがいると思っている。そいつに幸あれ、だ。

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