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変わらないひとほど良い

自分に無いものは、他人が持っているからこそよく見える。しかしこれが、手にしてしまうとみるみる価値が失せる。

「もっと増やしたいもの」も大事だし「もっと良くしたいもの」も大事だ。向上心や野心が自分を高みに連れて行く。

でも「このままでいいもの」も同じぐらい大事なのだ。伸びなかったり変わらなかったりの毎日だって全然大事である。

音楽をやっていると、現在位置が全く変わらないで、時間だけが経過していくことがザラだ。時間と書くと軽いが、実情は「年数」というヘビーな単位が流れていく。

まわりが昇っていったり、螺旋から降りていったりしていくのが気にならないわけがない。

「誰かと比べてどうか」なんてものと関係なくなりたいから、芸術に身を投じたのだ。しかし実際は、誰よりもまわりに一喜一憂している。

と言うよりも、相対的な序列に一喜一憂してしまう人間性だからこそ、芸術に身を投じたのかもしれない。

だけど、芸術はそんな自分にとって気休めにすらなり得ない。

結局、自分の中に確固たる強度が無いと、相対的なものの見方しかできないのだ。

僕もどうすればもっと強度が増すのだろうか、と考え続けて、書き続けて、歌い続けてずいぶん経つ。

気が付いたら、永い時間が流れてしまっていた。年もとったし、遠くにも来てしまった。

九年前、「上京するぞ!」と海に出たわけだが、あのとき笑い合った乗組員はもう誰一人いないし、船は木っ端微塵に難破した。

これまで多くの人々と出会い、深く付き合い、泣き、笑い合い、そして別れた。

そのあいだ、考えがとまることは無かった。「どうすればもっと強度が増すのだろうか」と。

答えは未だ出ないが、「このままでいい」と思っているものの中にヒントがあるようなのだ。

物事には「本質」と「要素」がある。

「本質」とは「それが欠けては成り立たないもの。無くてはならないもの」であり、「要素」とは「それを構成しているいくつかのもの。とりまく素材」だ。

人間にも、人格にも、人生にも「本質」と「要素」がある。

「要素」を磨いていくことで「本質」が、より美しくたくましくなっていくはずなのだ。
逆に現状を打開しようと、「本質」をいじくりまわすと、すべてがおかしくなってくる気がするのだ。ブレる、というやつだ。

人間をやっているなら、「ここは変わらなくてもいい」という部分が、誰にでも一つぐらいあるはずなのだ。それこそがそのひとの「本質」だ。

もちろん「本質」は進歩を妨げるようなものであってはならない。ここを間違うと、「プライド」という言葉の意味を履き違えている馬鹿と同じになる。

その人格を形成するためのものなのだから「変わらないここのために要素を磨きまくる」という進歩を促す、「要素」の強化を導くパーソナルな根幹のようなものでなくてはならないはずだ。

逆に「要素」の強化に対して貪欲になれない時期は、「本質」の感度が甘いのだ。

「自分が何のために生まれて、このために死んでいきたい」という「本質」が鋭くて輝いているひとほど、「要素」の研磨に余念が無い。

「考える力が無い」というのは大概「感じる力」が弱いのだ。


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