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先輩の説いた道の選び方

伏線が回収される

「無理すんなよ、何とかなるから」と横山先輩が言っていた。
僕が「いや、でもそうは言っても安定もしたいじゃないすか」と返すと先輩は「自分に嘘つくほうがよっぽどキツイんだよ!人間にはそれぞれ合った生き方がある!合わない芸風で生きるのが一番キツイ!マジで!」とウホウホ怒鳴った。

横山先輩は慎重190cm、体重100kgのゴリラであり、僕に生き方そのものを教えてくれた男だ。そしてどことなくネアンデルタール人の面影を残す人物でもあり、ほとんど人間ではなかった。

「どんなふうに生きるかなんて正解はない。でもな。どんなふうに生きるかを決めることだけはしとけ」
「なんでなんすか?」
「伏線が回収されるからだよ」
僕は「はぁ……」と分かったような分からんような返事だけをした。

たしか先輩とは「好きなように生きる」vs「堅実に生きる」の議論になり上記のやりとりに行き着いた。青い。

「好きなように生きる」vs「堅実に生きる」

当時の僕は二十歳前後で何も考えずにボーフラのようにその日暮らしをしていた。ボーフラに「生き方の芸風を決めておく」という」ゴリラ式の考え方は目から鱗だった。

いつだって「好きなように生きる」vs「堅実に生きる」の図式はよくよく登場する。

特に音楽をやっていると出くわしがちだではなかろうか。
生き方って極端に0と1では出来ていないのだけど、「夢 or 現実」のトレードオフと考えるのは大きく間違ってはいない。やはりやりたいこととやらなきゃいけないことを両立させるのは容易くない。

本当はもっと課題を細分化して柔軟に考えたらいいのだが、視野が狭くなっていると極論と極論をぶつけ合うようになる。

そして横山先輩は「実際には選びたくない堅実ロードを選ぶと後悔するぞ。合わないもんは合わない。その無理は続かない」と事あるごとに言っていた。加えてすぐに伏線回収の話をするのだった。

法則はなかったのだが、ゴリラの教えは合っていた

僕はなんだかんだ、実際に「好きなように生きる」で行くことになった。

実家を出てからで数えると15年ぐらいは好きなように生きていることになる。これは横山先輩の言いつけの「どんなふうに生きるか」という教えの通りだ。

では結果はどうだっただろうか。

結論としては「良くも悪くも学生のときに思っていたものと実際はずいぶん違う」だった。

ここまで生きてきて感じたことがいくつもある。

●選んだとは言いつつも全部が全部「好きなように」で構成されてはいないということ
●好きなように攻めつつも、堅実さも拾えること
●「堅実=安定収入」というのは錯覚であること
●学生のときの仮説は役に立たないこと
●親、先生の言うことは的外れであること
●点と点が線になったりするということ。これが伏線回収であること

法則的なことは正直少なくて「やってみないと分からん」というシーンばかりだった。何事もやってみなきゃ分からないし気付けない。

しかし先輩が「進路選択に万能な対策はない。だから『どんなふうに生きるか』だけは決めとけよ」と言っていたのはかなり汎用性が高いと感じる。そしてこの「どんなふうに」が崩れると伏線は回収されないことが多かった。

好きなように生きると油断できない

「好きなように生きるコース」を選んだひと、そっちに向いているひとはキッチリ好きなように生きた方がいいということだ。

好きなことをやって、好きなひとと遊んで、好きなものを食べて、好きな場所に住んでしまうのだ。

「えー!それ最高じゃん!」と思うかもしれないが、案外甘くない。

もちろん好きなように生きると言っても「気に入らない奴は殺す!」なんて生き方はできない。節度と秩序と規則の中で「好きなように」やるのだ。このバランスが難しい。

バランスを崩すとまわりからは「好きなように生きてていいね〜」なんてチャチャ入れも飛んでくるし「自分のことばっか考えんな。いいかげんにしろ」と言われもする。

当然、嫌われも憎まれもするし陰口も盛りだくさんだ。

自分はそんなつもりがなくても、「見ていると生理的にムカつく」という性質と隣り合わせの道になる。だからこそ、できる限りまわりに気を配る必要が出てくる。

この視点で見ると、「好きなようにコース」は「堅実コース」に比べると外的なストレス、プレッシャーが多いことがわかる。

だけどキッチリと「どんなふうに生きるか」の道筋に沿ったスタイルで進まないといけない。もちろん「堅実コース」の場合も同じく徹底して堅実で貫くといい。

「恋愛コース」も「お仕事コース」も「おべんきょコース」も「お遊びコース」も「宗教コース」もきっと同じだ。その方向性で走っていくほうがいい。

点と点が線になる

するとどうなるか。
「点と点がつながって線になってうまくいった」という事例がちょくちょく増えてくる。この「点と点が線になる」こそがゴリラの言う伏線回収なのだ。

たとえば僕の話だけどずーっと音楽をやっていた経験が本になって、去年は映画にもなった。最初から映画という点を狙っていたわけではない。

「好きなように生きる」というスタンスから事務所を辞めて、クラウドファンディングを行って、これが今やっている事業の大元にもなっている。

「どんなふうに生きるか」を徹底するほうが、点の座標軸が近くなって、線になりやすい。これは私感だけど徹底していた伏線のほうがやはり回収されている。

今まであった何度か「堅実イベントの点」があった。就職するチャンスもあったし、大きな事務所に所属するタイミングもあった。

だけどそんなとき、横山先輩のゴリラそっくりの顔が浮かぶのだ。「ちげーだろ!無理すんな!魚が木登れんのか!」とウホウホ怒鳴るのだ。

たしかに「どんなふうに生きるか」で考えると、まぁ相性が合わなくなるのは肌で分かる。

ちなみに「点と点を結ぶ」というのはスティーブ・ジョブズのスタンフォード大学でのスピーチで浸透した哲学だ。
『既知感』とも言うらしいがすごく腑に落ちる。僕はこれを「ゴリラ式伏線理論」と呼んでいる。

「仕事のキャリアアップ」なんてかっこいい話ではない。ただのゴリラの言い伝えだ。

生きてると本当に訳のわからん要素と要素がつながったりする。「なんでやねん!」という展開抜きに人生は語れない。

横山先輩の「実際には選びたくない堅実ロードを選ぶと後悔するぞ。無理していることになる」は「それじゃ線ができないぞ」ということだった。

これはたしかに本当にそうなのだ。

それぞれ合った生き方、生き様というのは存在する。肌に合う生き方をしていると失敗が少ない。
いつも道を選ぶときは「俺の肌に合うかな?」と敏感肌になっておくと間違いにくい。ちょっと苦しくても無理しているよりはずっといい。

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