好き嫌いが分かれる。

「好き嫌いが分かれるね」という話がある。

音楽の話、本の話、人の話、トランプ大統領の話。何の話をしても、好き嫌いが分かれる。

だいたいのコンテンツに好きか嫌いかがある。これらに好みがあるのはみんな分かっている。

だけど考えてみると、もっと際どいものにだって好き嫌いは分かれる。

地球人、全員が好きなものなんて無いし、好みなんて分かれるに決まっている。

だけど、「チケット転売は好き嫌いが分かれるね」とか「覚せい剤は好き嫌いが分かれるね」とか「不倫は好き嫌いが分かれるね」とか「原発は好き嫌いが分かれるね」なんて書くと、不謹慎に思われる。

それらはタブー視されているし、絶対悪だからだ。「好きではいけない」というレッテルを貼られているせいだろう。

しかし実際にはそれらが好きな人がいる。だから、問題になる。

戦争や殺人、犯罪だってそうだ。
何かを満たす上で、手に入れる上で、それを一つの手段として、選びとる人が好き好んでいる人が、一定数存在するから、法律がある。
誰も犯罪に無関心ならば、法律なんていらない。

そもそも「好き嫌いが別れる」という表現は、「好きと嫌いがおもいきり分別される」というところに力点がある。

「どっちでもない」とか「好きでも嫌いでもない」という人が少ないよ。という表現だ。

言うなれば、興味を示される確率が高いものだ。
街角アンケートをとれば、「別に」と答える人が少ないものとなる。つまり好き嫌いが分かれるものほど、人に関心を持たれ、注目されるものだと言える。

「アンチがいるからファンもいる」も焦点の近い表現なのかもしれない。

許せない、憎らしいと思わせるほど、強い輝きを持っているものは、「好き嫌いが分かれるもの」なのだろう。

その物事の本質が明晰なものほど、好き嫌いが分かれるように思える。

「人を殺して金を奪う」という行為は、絶対悪だけど、本質は明晰だ。分かりやすい。

殺人の概要がもっとややこしければ、「殺人ってどう思います?」という街頭アンケートに「どっちでもいい」と答える人が出てくる。

たとえば殺人に比べれば、音楽の著作権まわりの問題は「どっちでもいい」になっている。街頭アンケートで聞くと「よく分からんしどっちでもいい」という答えが返ってきそうだ。それは殺人よりも本質が「よく分からない」からだ。

ただ、ひとの好み、好き嫌いはなんとなく分かりやすい。
「別れてからもそのひとの声が耳の中で鳴っている」ということがある。離れたってそばにいることがいくつもある。

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