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うちの祖父

私には2人の祖父がいる。母方と父方。まぁ大半の人がそうだろうけども。
そして今年に入ってその2人が亡くなった。

母方の祖父は10年前くらいに大病してそれからずっと車椅子生活をしていた人だった。歩けないし喋るのもあまり上手くいっていなかったけど食べることは大好きで沢山食べていた。病気した人があんなに食べるのも珍しいよねって母と話すくらい。
琉球民謡が大好きで正月にいとこで集まる時にかぎやで風をみんなで演奏したらものすごい泣いていた。自分はもう弾けなくなった三線の音に悲しくなった意味も込められてたのかもしれない。
ここ最近は私もコロナで会いに行けないことも多くて、会っても私を孫だと認識していない感じもあった。亡くなったと聞かされた時はものすごく悲しくて寂しかったけど、なんだか心の準備はずっと前から出来ていたような感情だった。
祖父の骨は長年の車椅子生活で弱々しく、薬の影響で変色していたり祖父の人生を感じる姿だった。

父方の祖父は祖母が亡くなってから急激に元気をなくし、どんどんどんどん痩せていってしまっていた。私は最後に生まれた孫で多分1番可愛がってもらっていたと思う。あまり笑わない頑固な人と周りには言われていた祖父だったけど、私の記憶の中の祖父は常に笑顔で私に接してくれていた。とにかく激甘で卵の寿司が好物だった私にたまご寿司だけのオードブル的なのをくれたこともあった。私の発表会にはよく顔を出してくれ、毎回のようにお小遣いをくれた。孫の好きなお菓子を把握して遊びに来る時は絶対にそれを持ってきてくれるような祖父だった。(私にはかむかむレモンだった。)
GWに帰った時に会ったのが最後で、その時にはびっくりするほど痩せてフラフラになりながらも自分の意見をはっきり言う頑固なままだった。多分亡くなる直前まで「人の世話にはならない」と言い続けていた祖父だから直ぐにいってしまったんだと思う。

私は父を産まれたばかりの頃に亡くしている。だからずっと私のそばにいた祖父たちは私の父親代わりのようなものだった。私がどんどん成長していくにつれ親離れのように祖父とも会わなくなっていき、正直もっと話せばよかった、もっと会っていればよかったと今は後悔ばかりが募っていく。

まだ正直気持ちの整理は着いていないしこのnoteを書きながら思い出してしまってとても気持ちが沈んでいる。けれども人の脳は恐ろしいものですぐに色んなものを忘れていってしまう。その前に覚えていることだけでもここに書いて記録しておきたい、とこのnoteを書いている。

2人とも頑固な祖父だったけれど多分それは私にも遺伝しているので頑固な私で強く人生を歩んでいきたい。ふたりとの思い出はしっかり残して刻んでおいて、私が死んだ時に沢山思い出話ができるように、人生の話ができるように、これからを生きて行こうと思う。

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