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高揚感とバトン。


自室の殺風景な部屋の机の上に小さな絵が置いてある。一日の仕事が終わり家族とたわいのない話しをして部屋に入りその絵の前に座るといつも何故だか懐かしい香りがしてくる。そしてそれとセットで思い出す日の風景がある。


その日の『ホスト』は誰からみても赤黒の服を着た『父』だった。

大谷地駅から道のりをどこか得意げに「僕というゲスト」に案内する父の足取りは、そのはやる気持ちがスピードにあらわれてしまっていた。まだ小さかった娘を抱きながらそのあとを追う僕はまだしも、そのマイペースなスピードにおそらく僕を重ねていただろうもう一人のゲストの妻にはきっと不評だったはず。赤黒の服を着た人々が連なる会場までの道のり。その道すがら妻が笑顔で「ちょうどいいね」と言ったのは父の歩くスピードではなく、久しぶりに味わう北国の日差し、そして同じ場所に向かう人の距離感の事を言っていたのだと思う。良く晴れ渡った青空と爽やかな風。赤黒の人の歩み。そんなスパイスが妻と僕をも笑顔にし、腕の中ではしゃぐ娘のせいにして、なんだか自然と手を繋がせた。

会場に着き父は賑わう人混みの中立ち止まりリュックから出したチケットに癖のある角張った字で対戦相手を書き込むとそれを僕と妻に手渡した。
そして「お前はまだ必要ないよ」と僕に抱かれる娘の頭を軽く撫でた。

妻と僕は親父に気づかれないように顔を見合わせた。

娘が産まれた時、病院に面会に来て「抱いてみてください」というごく普通の妻のお願いを頑なに最後まで拒否した風変わりな親父にしてはその行為はちょっと不釣り合いで、娘も生まれて初めて目にするテレビアニメのキャラクターを見るような不思議な表情で父を見た。

満点の厚別の良き光と、気まぐれな風が父をそうさせるのか?
それともフットボールがそうさせるのか?

席についた僕は父から手渡されたビールを飲みながら考える。
高校を卒業して上京する朝。
父は搾乳の時間だと何も言わずに僕より早く家を出た。
それは後継ぎをしない一人息子への冷たい仕打ちというよりも照れ臭さを隠すいつもの行為だと思った。
母に見送られ家を出、数年前に廃止になった鉄道の線路を渡りふと振り返ると
そこには絵葉書のような牧場の風景と三角の屋根の実家が見えた。
そしてその横に寄り添うようにたつ大きなパラボラアンテナが遠くからでもよく分かった。

あのアンテナは「イタリアワールドカップ 全試合放送」の文句に小躍りした中学生の僕が父にねだった代物だった。

1つのビデオをフル活用してなんとか全試合を録り終えた僕は、その後卒業までの3年間、各試合をそれこそテープが擦り切れるほど見た。
海外の実況を真似てボールの渡る先の選手の名前を淡々と呼ぶ僕の後ろには何故だかよく父が一緒にいた。
僕が感嘆の声と同時にもらす

スルーパスという言葉も、
リベロのバレージも、
アフリカの身体能力も、
バルデラマの古典的サッカーの事も
父はただ黙って聞いていた。
フットボールが持つワールドワイドな側面。
それとは相反しクラブチームというその地域に根を張る存在。
ナポリの王様だったマラドーナがイタリアワールドカップでボールを持つ度にブーイングを受ける悲哀を。
そんなことを得意げに話す息子を父はどう思っていたのだろう。
ときおり選手のプレイに感嘆をもらす父に向かって
「あれはスキラッチだよ」と話す息子に父は目を合わす事なく黙ってうなずいていた。

無愛想な父に初めて厚別に、初めてのJリーグに誘われたのは、パラボラアンテナを振り返って見た10数年後だった。
「お前がいなかった時代」に北の地にできた
フットボールクラブを僕の隣に座って見る父は
あの当時の僕のようにボールが渡る赤黒の選手の名前を淡々とこちらに言って見せた。
僕はなんだか不思議な気持ちになった。

やがて赤と黒のチームが相手ゴール前でFKを得る。
その数十秒後。
体格のいい褐色のブラジル選手が相手チームのゴールへ見事に突き刺すと咆哮をあげこちらに向かって走ってきた。
その時、周りから溢れ出す歓声につられるように父が立ち上がった。そして拍手をしながら僕に
「立ちなさい」と一言、言った。

昔、無口な父がこちらに向かって何か言う度に強烈な拒否感を覚えたのに、その時僕は引き寄せられるように立ち上がる。
父を真似るかのように胸の前で静かにでも熱く手を叩いた後、赤黒の服を着たそのホストは僕に向かってこう言った。

「コンサドーレ札幌のフッキだ」

僕はあの時の父のように黙ってうなずいた。
父に渡したフットボールのバトンが10数年後、ホームに帰って来た僕に戻ってきた。

フットボールの持つ力。あの日のあの心地よい距離感で赤黒の人が連なる道のり。そして前をゆく父の背中…。そしてこれから楽しい事が始まる高揚感。それは毎夜、あの絵を見た時にあの子から感じる香りの正体。バトンを娘や息子に渡せるのかという不安。もう十何年もの昔のあの日。その代替かのごとく僕は毎夜あの絵を見つめていたのか?

そういえばもう一つあの日…。

父と並んでのちのセレソンに手を叩いていたその時。
厚別の風が手を叩く僕と父を吹き抜けた。
その風は、どこからか高揚感を運んできて僕をコンサドーレのサポーターにさせ、たしか小学生の頃以来の握手を父と僕にさせた…。

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