3月27日(水)のパターン・チェンジ

 闘うこと――それは、責任と覚悟を持つこと。

 育児、あるいは子どもを育てながら働き、芸術活動まで為し得ることは、生半可な姿勢では難しい。
ということを、この3カ月で痛感している。
私は疲れが溜まると妻とコミュニケーションが上手く取れなくなり、
言い争いをふっかけてしまう。
妻に申し訳ないばかりではなく、赤ちゃんにも悪影響を及ぼしている。
(言い争いの雰囲気は、言葉のわからない赤ちゃんにも伝わってしまうようで、赤ちゃんまで不穏になってしまうのだ。)
闘うこと――この生活に責任と覚悟を持つことが必要だと、気づき始めたところである。

 私は自分の愚かさに打ちひしがれることさえ満足にいかない人間だが、
少しずつ変わっていければとは思う。
疲れが溜まらないようにすることは、これ以上は難しい。
思考や行動パターンの抜本的な変革が重要だ。
具体的には、逃げないこと、未知のことを恐れないこと、勇気を出すこと、柔軟に取り組むことなどができればと考えている。

 ただし、いずれの方法でも良いから、とにかく言い争いだけはふっかけず、
赤ちゃん最優先で生きていけるようになることが肝要なのだが、
これが難しい。
というのも、私は論理的に納得しないと行動できない非常に面倒くさい人間で、
ゴールがわかっていてもそこにたどり着くまでにあらゆる角度から石橋を叩かなずにはその橋を渡れない習性があるのである。
よって、たいていの場合、私は橋を渡り損ねる。
とっくに橋を渡り切っている妻(赤ちゃんを抱いた)が辟易していることに途中で気づいても、
私は腕が疲れるまで叩くことを止められない。

 しかし、この病を、成育歴のせいにしたところで、私は幸せになれないだろう。
えいやっ!と橋を渡りたい。
考える前に、行動するのだ。
そういう覚悟で、親になった責任を背負って、闘え。

 ところで最近、嘘や虚構、フィクションといったものをつくることが、自分は苦手だなと改めて感じている。
これも、上記の話と通じていると思う。
私の思考はどんどん現実的なことに囚われてゆき、まったく現実を越えていけない。
大切な現実を守ることはできても、大切な現実を生み出すことはできない。
ノンフィクションとかドキュメンタリー的な人間だった自分から、
フィクショナルでパフォーマティブな自分へ。
演出したり演じることの重要性もまた、意識していきたい。

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