3月17日(金)の梅里中央公園

障害者と公園③

視覚障害のある傷痍軍人のための就労訓練施設

 近所の図書館で借りたい本が二冊あった。
一冊は成田図書館、もう一冊は高円寺図書館が所蔵していた。
自転車で順番に回った。
成田図書館から高円寺図書館へ向かう道中には、梅里中央公園がある。
公園の前の道を通ろうとしたが、工事中だったので迂回した。
ところが、高円寺図書館でお目当ての本の書棚へ向かおうとして使った階段で、梅里中央公園の昔の写真と遭遇した。

 何やら、昭和時代の高円寺周辺の風景写真を展示しているのだった。
そのなかで目に留まったのが、もともと梅里中央公園の場所にあった国立東京光明寮という視覚障害のある人たちの就労訓練施設へ、昭和天皇・皇后が慰問に訪れた際の写真だった。
国立東京光明寮は、傷痍軍人などの中途の視覚障害のある人たちのために、はり・灸・あんま等の技術を指導する施設として、1948年に開設された。
天皇・皇后が訪れたのはその翌年のこと。
その後、国立視力障害者センターを経て、1979年に埼玉県所沢市の国立障害者リハビリテーションセンターへ移設。
跡地は1983年に梅里中央公園として整備された。

 なるほど、梅里がすでに南阿佐ヶ谷と新高円寺の中間かつ青梅街道より南側という中心地から離れた立地をしているが、そこからさらに地方へと移設された歴史があったのかと思う。
視覚障害のある人だけでなく、さまざまな障害のある人たちを一挙に引き受ける巨大施設ともなれば、梅里でさえ土地の確保が困難だったのだろう。
もっとも、30年も経てば、当初の目的は果たし、役割は終えつつあった。
逆に、住宅街に貴重な大きな公園が生まれた。
となれば、地方と都心で土地を等価交換した、誰も大きな不幸を被らない流れだった可能性もある。

 なお、どうやら所沢市の土地は、米軍基地の跡地だったようだ。
戦争が障害者と障害福祉を生んだ。
戦争がもたらした歴史の断絶がここからも感じられた。

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