5月27日(月)のホルマリン・ホスピタリティ

 一軒目のいきつけのBarに、サイケ音楽家だという18歳の新規客Aがいた。
彼の話によれば、光熱費を滞納して、1870円する話題の『みどりいせき』を買ったらしい。
その小説について若者みんなに読んで欲しいと語っていた。
私も刊行前から注目しており、何度も書店で買おうか迷っていた本だが、いよいよ買う時が近づいているのかもしれない。

 カウンターの離れた席では、常連客Bが殺人事件好きの新顔常連客Cに対して、66年前に高円寺で起きた少年誘拐ホルマリン漬け事件について話していた。
今はなき若松湯という銭湯で目星をつけた少年を自宅へ連れ込み、わいせつならびに殺人行為に及んだ猟奇的犯行らしい。
現在、若松湯の跡地には、コインランドリーだけが残っている。
また、13年前まで、カルトビデオショップ「バロック」が中通りに存在したという。
すっかりクリーンになってしまったこの街だが、こういう地層を知ると身が引き締まる思いがして良い。

 さて、Barの裏マスターに、「公園で両親を絞殺/考察する」という文章を寄稿したアラザルの新刊をご購入いただいたところ、その場で読んで頂き、感想まで頂戴した。
「凄い良かった。たくにゃんは売れる人。強い文章だけど構成がしっかりしていて、ホスピタリティもあって最後まで面白く読めた。バランス感覚が見事。自分の両親や兄弟について考えさせられた。たくにゃんは家族について書くことにおいて、みんなの遥か先を独走してる」
恐れ多いお褒めのお言葉に感謝するとともに、感じたことがある。
それは、自分は「障害」について書くこと以上に、「家族」のことを書く作家だったのだなという気付きである。

 なるほど、確かに私は昨年書いた「きょうだい(児)の自己表現」という文章の中でも、自ら「妹の障害や家族の機能不全について言語化」したいと述べていた。
この宣言が、今回の原稿につながっていることには無自覚だった。
これが「私自身に対するケア」であり、「私の自己表現≒文学」なのか。

 だとすれば、これ(今回の寄稿文)は安里君へのアンサーになっているだろう。
安里君には、昨年、「その言語化した文章自体を読みたいと思ってしまった」と言われた。
まだまだ未熟だとは思うが、是非とも謹呈したい。

2軒目のいきつけのBarでは、店を出た後の男性客のストーカー的行為に対する女性客からの相談が増えている、という話が出た。
男性客が閉店時間まで粘ったりして、女性客と同じタイミングで退店するそうだ。
これが、この街の現在進行形の事件か。
低俗だが、男性が恋愛を頑張ろうとしているが故の過ちなのであれば、希望はあろう。

2カ月振りのいきつけのBarだったが、充実した夜を過ごせた。

 

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