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英語という傲慢な言語

あれはシベリア鉄道でロシアを横断しているときだった。

冬のロシアには観光客があまりいないらしく、車内には私以外に徴兵前の最後の旅行にとやってきた韓国人男子3人のほか外国人はおらず、鉄道内は地元民の移動という雰囲気が強かった。

こんな真冬に女一人で旅しているのが珍しかったのか、車内ではよく声をかけてもらった。聞けばみんなイルクーツク行き、つまり3日間狭い車内でずっと一緒に生活するということだ。仲良くならないはずがない。

ロシア人は無愛想だと聞いていたのとは裏腹に、人は暖かく、一旦打ち解ければ、「ご飯は食べたか」「チョコレートは好きか」「ちょっとここへ座ってお茶を飲みなさい」と、まるで自分の娘のように目をかけてくれた。

 

ロシアで驚いたことの一つに英語の伝わらなさがあげられる。

ロシアでは英語があまり伝わらないというのは事前に知っていたが「Hello...?(友達に向かって)え、Helloって英語では挨拶するんだよな?」と挨拶すら戸惑いながら声をかけてくるレベルだった。なぜかやたら年齢を聞いてくるのだが、トゥエンティーフォーという数字すら英語で通じない。

何でも、この地域では学校で英語を学ばないそうで、おじいちゃんおばあちゃんだけでなく若者も英語に触れる機会は少ないらしい。

お互い言葉はわからなくてもGoogle翻訳で何とか意思の疎通はできる。電波があれば音声認識で翻訳機を介して会話できるんだけど、シベリアを走る車内ではほとんど電波は入らないので、基本的にはタイピングでやりとりする。

仲良くなって会話が弾んでくると文字を打つのが億劫になってくる。

ちょっとしたことを伝えたいだけなのにすごく時間がかかる。せっかく長い文章を打ったのに翻訳がうまくいかず、話がこんがらがったりするとみんなで「?」を抱え込むことになる。

今まで旅してきた国は英語圏が多く、英語圏でなくても誰かしら英語せるシチュエーションが多かった。ロシアに来てはじめて言葉が通じないという『もどかしさ』を体験した。

車内では代わり映えしない真っ白な景色を眺めるか、おしゃべりするぐらいしかすることがない。2日目に入ると少し退屈し始めていた。

せっかく1ヶ月もロシアにいるし、ロシア語が話せたらもっと旅は楽しくなるはず、と私は暇つぶしがてらロシア語を勉強することにした。

旅行前に少しロシア語をかじっていたものの、キリル文字がなんとか読めるレベル。まずは実用的なものをということで数字を覚え始めた。

大きな駅に停車したときに、外で待機している物売りのおばちゃんからピロシキやお菓子などを購入するのだが、商品に値札がついてないので価格を口頭で聞かなければいけない。

おばちゃんは当然のごとくロシア語しか話さないので「スコーリカ エト ストイト?(いくらですか?)」とロシア語で頑張って聞くのだけれど、肝心の数字が分からなくて結局筆談する、ということがよくあった。

また、車掌さんもロシア語しか話さないので、その駅に何分滞在するのかという重要な問題も数字の理解が必要だった。(一応一覧表があるのだが、モスクワ時間で書かれていてイマイチわかりづらい)

 

ダウンロードしておいた参考書を見ながら「アディン、ドバー、テュリー、チェティーリ、、(1、2、3、4、、)」とブツブツ言いながら練習する。私が呪文でも唱えてると思ったのか、仲良くなったロシア人たちが興味津々に集まりだす。

「何を言ってるんだ?」と聞くので「これはロシア語だ」と言い返すと、全然違うと笑われる。じゃあ正しい発音を教えてくれというとみんな意気揚々と「俺が教えてやろう」「いやこっちが正しい発音だ」と乗り出してくる。


ロシア人は褒めるのがうまい。ちょっとでもうまく発音できると「飲み込みが早い」と褒められ「実はロシア人なんじゃないか?」と謎のよいしょをする。

1から10までを覚えると「こいつは天才だ!」と褒めちぎられ、「私は24歳です、あなたは何歳ですか?」と言ってのけたときには(もちろんGoogle翻訳を使っただけ)「お前はもうロシア人だ!」とみんな手をたたいて喜んだ。(どうやらロシア人認定するのは常套句らしい)

教えたことを私が吸収していくのが嬉しくて褒めてくれるんだろうけれど、一文言えただけでロシア人になれるなんて、かなり豪快な褒め方だ。もちろん自分は真似しているだけで話せているわけじゃないとわかっているが、褒められることは嫌な気がしない。

年齢を聞いただけでそんなに喜ばれるなら、と今度は実践練習として車内の友達に「スコールカ テベ レット?(何歳ですか?)」と聞いて回ってみることに。普通に考えるとロシア語であってもいきなり年齢を聞くのは失礼に当たるんだけれど(特に女性に聞くのは超失礼!)、みんな快く練習相手になってくれた。

わたしの質問に「私は30歳です。たくみは何歳ですか?」と真面目に答えてくれる人もいれば、「何歳に見える?」と定番の年齢当てクイズで返してくるちょっとめんどくさい人も。ロシア人の年齢なんて見た目でわからないから、数をいっぱい言わなくちゃいけなくて、めんどくさいなと思いつつも良い練習になった。

お調子者もたくさんいて、明らかに40を超えてるサーシャが18歳だと言い張るので、「サーシャは若くない、おじいちゃんだ!」と知っている単語をつなげていうと、予想外の返答にみんな大爆笑。その場はまるで小さな子供を囲むような、とても和やかな空気に包まれていた。

英語というのは日本人のほとんどが関わったことのある言語だと思う。私は中学校で習い始めて以来早10年が経つが、思い返してみてもこのロシア語でコミュニケーションを取ったときのような優しい雰囲気にはほとんど出会ったことがない。

思うに、英語には『英語は話せて当たりまえ、話せないことは劣っている』という傲慢な考え方があるんじゃないだろうか?

例えばオーストラリアでロシアでやったのと同じように「ワン、ツー、スリー、」なんて練習しても誰も反応しないだろう。むしろ、1から10が言えなかったら「こいつ大丈夫か?」と心配されるかもしれない。24歳の成人女性が「How old are you?」とヨチヨチな英語で聞いてきたら、無礼者と怒られだろう。頭のおかしい不審者とみなされ無視されるかもしれない。

英語圏に長く住んでいるので、それなりに英語はしゃべれるようになったが、現地人に英語を褒められることはそうそうなく、むしろ「こいつ英語もわかんないのかよ」とため息をつかれた記憶の方が多い。

褒められたとしても、「日本人にしては」や「その学習期間にしては」と限定された褒め方で、ある種の上から目線を感じることも少なくはない。(もちろん私の被害妄想が入っていることは否めない)


こういった英語を当たり前とする考えは日本人にも見受けられる。

日本人のわたしもロシアに行く前は「英語が通じないって言っても、どこかの少数民族じゃないんだから多少は通じるでしょ」と高をくくっていた。これは「英語くらい話せるでしょ?」という押し付けから来てるんじゃないかと思う。

日本人の英語学習者の中に、十分コミュニケーションが取れるレベルなのに、ペラペラな英語じゃないから、恥ずかしくて人前で英語が話せないという人がよくいる。私自身も「ペラペラにならなきゃ」という思いから長らく日本語で「英語が話せます」と言うことができなかった。

日本人の思う「英語ペラペラ」を基準にしたら、英語話者のほとんどが「英語が話せない」にカテゴライズされるのではないかと思う。それでも「ペラペラにならなきゃ」と思うのは、「ネイティブレベルの英語以下は劣っていて恥ずかしいもの」という意識があるからではないだろうか?

英語がグローバルランゲージとして世界中で浸透していることはよく理解できる。世界で活躍したいなら、ロシア語が話せるより英語が話せることの方が断然有利だろう。

けれども、純粋に言葉を学ぶこと楽しむなら、英語ほどつまらない言語はないと思う。そしてそのつまらなさで英語に挫折してしまう人もたくさんいるとはずだ。

もちろん世界中を旅したわけじゃないから言い切ることはできないけれど、外国人が自国の言語を頑張って話そうとしてくれる姿を嬉しく思う人は多いと思う。

かなりの確率で英語が通じるエストニアでも「アイタ!(こんにちは)」とエストニア語で挨拶するとみんな笑顔になった。

世界随一の観光地バルセロナでは英語の話せる店員さんが多いのだけれど、「Thank you」ではなく「Gracias!」と声をかけるだけでたくさんおまけをしてもらった。

日本でも「ありがとう」「いただきます」と片言でも日本語を使おうとしてくれたら心がほっこりする。日本語を勉強してると聞けば「わざわざこんなクローズドな言語を勉強してくれてありがとう」という気持ちになる。

もちろん、「天才だ!」「ロシア人みたいだ」と褒めてくれたのはロシアでも外国人旅行客の少ない地域というのも起因していただろう。モスクワでは田舎での体験とは正反対に「この子はロシア語もわからないのか」とお店の人に呆れられたことも2度ほどあった。

けれども、「ロシア語を勉強している」と言えば多くの場合みんな嬉しそうに接してくれた。私のひよっこのロシア語にたくさんの人が耳を傾けてくれた。

同じようなことは英語以外の言語ならば結構起こるんじゃないかなと思っている。

 

英語の勉強は大事だ。けれども、もし「いつまでたってもペラペラにならない」と嫌気が差している人がいれば、ぜひ他の言語をつまみ食いしてみてほしい。できれば現地に行ってその言語にどっぷり浸かるのが望ましい。

そうすれば「言葉は完璧じゃなくてもいいんだ。会話できるだけでたのしいんだ」と気付いて、肩の荷が少し降りるだろう。

もし私にようにたくさん褒められれば、きっとその国そのものを、まるっと愛するようになって、言葉を学ぶということがもっと楽しくと思う。

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