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第5回たくみちゃん杯 審査を終えて

 北千住BUoYはボウリング場跡地と銭湯跡地の2フロアを持つアートセンターで、第5回たくみちゃん杯は地下の銭湯跡地フロアで行われた。前回会場のPARA(=民家)とはまた全然違う雰囲気である。たくみちゃん杯は毎回、会場と二人三脚の感がある。5回目にして、BUoY―設立されてこのかた話題性のある上演芸術を多数興行してきた―で開催の運びとなったのは感慨が深い。
 当日、僕が到着すると何組かの出場者がすでに準備を始めていて、出場者の村上裕さんが一番乗りで音響機器のセッティングを仕切ってくれていた。BUoYは空間のカラーが強い。まず、真ん中にでかい柱がある(この柱をどう処理するかはいつも、ここを使うカンパニーの腕の見せ所になっている気がする)。床面は一様にコンクリートで天井は意外と低い。奥で存在感を放つ風呂場の遺構を除き、感じとして横にのっぺりと広がっている空間だと思う。そののっぺりした床の上で、主催者の到着する前から各々希望に沿うようにテキパキ機材をセットしている。「頼もしいな」と思った。
 「演技中マスクはどうするべきか」という質問が、出場者二人ほどから出た。発表者にはそれぞれ「つけたい」「外したい」の両方があり得るので、個人の意向に沿うという意味で「どちらでもよいです」と答えた。今思い返すと印象的な出来事だ。
 件の柱に、今回のトーナメント表を書く大きな紙を張り出して会場の準備は整った。お客さんが入り、開会の挨拶をして、くじを引き、第1ラウンドが開始する。

 Aブロック先攻、山口静。Tシャツに短パンで、耳にイヤホンをして、「いつも家でやっていることをやります」と言ってスマートフォンを操作する。はい、と言って4分間のパフォームが開始。みんなをおいていくように柱の反対側スペースに移動する。イヤホンから音楽が鳴っているのだろう、踊り始めた。観客が観ていることは意に介さないように見える。けっこう激しめに動いている。あ、と途中で言ったりもしていた。
 後攻の村上裕。風呂場を背にして、卓上に並べた機材を使ってパフォームする。プロジェクションの映像が風呂場の凹凸に映る。即興的につくるリリックの歌唱と、ジェネレータを使ったメロディ、そしてボリューム感のある身体から繰り出される意外としなやかな踊り、を全部乗せてくるスタイルは堂に入ったものだなあと感じさせる。審査である。山口静さんは「いつも家でやっていること」と言うが何人もの人が見ているという点できっといつもとは違うだろう。村上さんのパフォームは対照的で、みんなで村上さんを見ている様子は「ニューシネマパラダイス」みたいな野外上映を想起させた。で、ここは銭湯だったんだなということをなぜか思い出した。それを踏まえて山口さんのパフォームを思い返す。一人の人間がイヤホンをつけて踊っている。彼女には聴こえている音楽を、こっちは想像するしかない。が、間接的に踊りとして音楽を「観る」ことができる。それがよかったので、山口静さんの第2ラウンド進出とした。

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山口静
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村上裕

  Bブロック先攻 Domina Akiho さん。会場を真っ暗にして始める。何か光源を彼女は持っていて(それはカラフルに色を変える)、裸の身体が照らされている。「光」という発話がある。僕は遅れて気づくのだが、お尻も光っている(点滅している)。蛍みたいだ。で、「音をください」と言って会場の皆が手を叩いたり声を発したりを始めた。Akihoさんは寝そべり、不思議な声を出す。
 後攻の弁弾萬 最強(ベンダマン グレート)さん。いつでもOKですと言わんばかりの身軽さで、銀色の(断熱シートだろう)大きな袋を持って出てくる。進行の「よーい、スタート」の合図で彼のパフォームが始まる。「でんぐり返しします、たぶん前が見えないので危なさそうだったら補助をお願いします」という言葉で、袋に入り、でんぐり返しを始めた。百聞は一見に如かずなのだが、断熱シートの感じとでんぐり返しがとてもよく合うのだ。銀色の表面は身体に沿ってごつごつした形になり、その形を維持したままゴロゴロと転がるので、岩が転がっているようにも見える。ぴかぴか光るので、隕石のような感じもする。つまり見応えがあるのだが、お客さんの方に転がってくるとちょっと危ない、というか介助してあげなきゃという気持ちにもなる。これが、「見るもの」と「巻き込まれるもの」の二つの状態を細かく激しく往復しているように感じられてたいへん興味深かった。
 審査。この二人もよい組み合わせだった。暗い空間/明るい空間で、見慣れない身体がパフォームする。ところで「パフォーマンス」にも「パフォーミング」にも回収されない動詞原型として「パフォーム」という呼称を今回は用いている。この二つのパフォームを見て、僕にとってはその呼称でしっくり来ていてよかったと思った。蛍光灯が煌々と明るい普通の空間の中でなんだこれはとして存在した、ベンダマングレートを第2ラウンド進出にした。

Domina Akiho
弁弾萬 最強(ベンダマン グレート)

 Cブロック先攻、斎藤健一。台車をゴロゴロと持ってきた。それで、なにか不思議な動きをする。太極拳みたいな。交通誘導員みたいな。最後に台車の上で肩倒立みたいな動き。衣装のボーダーロンTと白いオーバーオールも絶妙だ。作業員っぽさを醸し出している。全体を通して何をやっているのかよくわからない。4分のあと、「シャッターチャンスです」と投げかけてみんなが写真を撮った。
 Cブロック後攻、umeさん。佇んでいる。「私は今、恋をしています、皆さんにもそんな瞬間はありましたか? 今、その方からのメールを開いています。」これは目が離せない。そのあとバレエのような動きで裸足でぴょんぴょん飛び跳ねるような踊り。恋を表現しているのだろうか。
 齋藤健一の健やかな踊り、umeの恋する乙女。両者とも踊りという領域に、発話による強い意味を持ってきていた。「シャッターチャンス」と、「私は恋をしています」。プライベートなことを、「皆さんにも…」と分かるものに昇華したumeを第二ラウンド進出とした。

斎藤健一
ume

 Dブロック先攻、のあんじー。今度たくみちゃんに出演してもらう『走れメロス』の演出を今日の場を使って決めきっちゃいたいとのこと。のあとあんじーの二人が舞台(風呂場)上で、「走れメロス」の冒頭を読み合わせる。最初に叫ぶのがアリかナシか、実際に39キロ走るのはどうか、などああでもないこうでもないと演出を話し合う、という芝居を時間いっぱい行う。
 後攻、小野寺成月+酒井風。スクリーン(映像)がセットされ、会場は暗転される。ビニールテープを床に貼りながらこのBUoYの周りの環境についての発話をする酒井風。通奏的にノイズ音が響いている。日光街道の歴史の話、道の重力の話、自分も知らない間に南に向かっていたという話。小野寺成月はバドミントンのシャトルをぽいぽい投げる。小野寺成月に発話がバトンタッチしたところで時間いっぱい。
 小野寺成月+酒井風は、リサーチに基づきながらも即興性の高い内容だったのだろう。まだ、固い感じがした。暗がりのBUoYの空間の強さに対してエネルギーの足りない感じだ(これが、ラウンドを進めるに伴って「なじんで」ゆくことはこのあと分かる)。が、パフォームの終了とともに蛍光灯が煌々と照らしだす、床に散乱した黄・緑・青・赤のビニールテープバミリ、バドミントンシャトル、そしてはさみ、これらが一番鮮やかだったと審査中に気づいた。でもパフォームの内容ではないよね?と僕が言うと、それも内容だと切り返される。Dブロックのこの二つは「道」というイメージを共有する。そしてバドミントンの意味がこの時はまだ分からなかった。でもそこに孕んでいるものがあるなという、つまりは強度を感じて、小野寺成月+酒井風を第2ラウンドに進めた。

のあんじー
小野寺成月+酒井風

 Eブロック、先攻豊島彩花。木の棒を持ってきて置く。3歳くらいの小さい女の子(娘)が隣にいる。ゆっくりとした動きの踊りを踊る。女の子はママをみたり、頭をぽんと触ったり。暗い方にすーっと移動して、またゆっくり動いて。女の子はじっと見ている。BUoYの中でこれらは美しい光景である。
 後攻、新見聡一。黒の海パン一丁で、一箱の不織布マスクを持って登場。スピーカーから、ヒーロー主題歌っぽい曲が流れる。一箱ぶんのマスクの前に胡坐で座り、シュバッ!という感じでマスクをつける。その上から連続して次のマスクをつける。顔の上にマスクが重なっていく。やがてマスクの集合は張り子のように厚く顔全体を覆っていき、まさに「マスク」だ。曲の終わりに「光戦隊、マスクマーン!」という歌詞が入り、そういうことね!となる。ラストはすたっと立ち上がり、マスクマンとして見栄を切る。
 筋肉、マスクの意味、曲、所作。強い空間の中で全てが強い作品を披露してくれた新見聡一の第2ラウンド進出である。

豊島 彩花
新見聡一

 Fブロック、先攻、たくみちゃんの番だ。白状するが、前日、小中の友達の結婚式があり飲み過ぎてしまった。朝から猛省していて、そんな中でのインプロヴィゼーション(トランスフォーめいそう)だった。今朝起きて、腕時計を探した。昨日失くしたかもしれないその電波式腕時計は、10年くらい使っていて、思った以上に愛着があって大事なものだと気づいた。見つかったらもう失くさないようにしようと思った(幸い、ベッドの脇から出てきた)。そして時間について考えた。それぞれの時間が、ひととき一つところに集まっているという、得難い出来事。ここが銭湯だったころは皆裸で。今日は服を着てそれぞれの役割をもって。(パフォームしている僕は褌だ)。
 パフォームは「この時間」という発話から始まる。「腕時計を今朝探していた」。腕時計のイメージは短針と長針に抽象されることを発話を用いて示し、同時に身体上の長針と短針であるところの手足に置き換える。それを空間に接続(頭上の換気扇、それはサウンドスケープでもある)。のっぺりした床の上を辿るとたまたま置いてあるコンクリートブロックに行き着き、戯れた結果、筋肉とコンクリートブロック(マンションの見立てを経由)がイメージの上で融合する。かくして「コンクリート人間」となった自分であるが、ここで周りを見渡すと人間がたくさんいる。さて人間とは何か。それは「ぼく」とどう同じでどう違うか。表象をあえてテキストで説明するとこんな感じなのだが、出色のトランスフォーめいそうができたと思う。
 後攻、ズッコケ三人組の出番である。まず三人同時に一杯の水を飲み、「毘沙門の、出でたてたもうところに…!」という言葉から始まる謎の儀式。毘沙門?はオペラ座の怪人みたいな形の黒い仮面をつけている。儀式は太鼓(ラップを張ったバケツ)を叩きながら歌とともに進行する。人を喰ったような、形式化された所作、いんちきの感じ。でも雰囲気は、よくわからないけど、たしかに神事を見ているときのそれかもしれない。毘沙門?は後ろ手に介錯され、なぜか後ずさりをしながらはけていく。あとで聞いたが、前回の上演では川で行ったらしい。川もよかっただろうと思うが、今回、BUoYの強い空間にフィットしながらも強く場を支配することに成功していたのもよかった。フィットしていた理由を考えるに、ここは様々な上演作品が積み重ねられた場なのだと、審査中に気づいた。この儀式のいんちきさによって逆に、BUoYの持ってるガチな雰囲気を鎮めるというか。ズッコケ三人組を二回戦に進めました。

たくみちゃん
ズッコケ3人組

 Gブロック、先攻はカキヤフミオ。下はブルージーンズ、上は青のロンTに黄色いTシャツの重ね着という服装。マスクの上にヘッドセットをつけていて拡声器で声が増幅される。コロナでできない、旅をしたくなったんだという前説。西アフリカのマリ共和国に言ってみたいなあと思って、テキストを書いてみましたとのこと。パイプ椅子に腰かけて、「アニエスとラシーナ」という自作テキストを朗読する。手を取り合って暮らす、アフリカの二人の子供の話。一人は耳が聞こえない。抒情的な物語。朗読はマスクと拡声器越しに聞こえる。パイプ椅子から立ち上がり木の枝で椅子を叩いたり、色んなノイズが載ってくる。カラフルで動きやすい服と拡声器が、なにかの作業員みたいだ。
 後攻の喫茶みつる。曲「スカボローフェア」で踊る。みつるさんはこの曲が好きなんだなあ、ということが踊りから伝わってくる。ふらふらと歩き、何をトリガーにしているのかわからないがばたん!と倒れる。それを繰り返す。シンプルでよい。どう歩きどう倒れているのか、今はブラックボックスに入っているこれらのタスクが少しだけ透明になると良いのかもしれない。
 さて、甲乙つけがたいとはこのことである。みつるさんの踊りはとても良かった。スカボローフェアと空間に合っていた。強いて言えばもっと広く、つまり近くでも遠くでも観られたほうがよいかも。ばたん!と倒れるポエジーは言語化できない領域で、だからこそ、距離という要素をもっと遊べたかもしれない。「言葉ってやはり強いですよね」と審査の中で言ったが、併せて言ったように、「踊り・身体だって強い、どちらも強い」のである。実際、強かった。が、様々な要素を組み合わせ「言葉ってやはり強い」と思わせた、カキヤさんの詩情が第2ラウンド進出。

カキヤフミオ
喫茶みつる

 第一ラウンドが終了した。ここで、今回導入してみた「希望者の再エントリー」制度について説明し、実際に再エントリーを募る。口頭で説明するまで誰にも伝わっていなかったようだが、希望するだけで自動的に第2ラウンドに組み込まれる、というのがこのシステムの画期的なところである。つまり、希望者には必ず最低2回のパフォームの機会が保証されているということである(それがこのシステムをつくった目的でもあり本意だ)。「第1ラウンドって…」という声が漏れ聞こえたが、第2ラウンドでは再エントリー組をいっぺんに審査するので、1ブロックの人数の面で正規の第2ラウンド進出組が少し有利なのだ。というのも、希望者を募ると見事に全員が希望したからである。この展開を予想していなかったのは主催である僕のタイムスケジュールの甘さであるが結果的にイベント終了時間が予定よりも1時間半くらい押してしまった。すみません。

 ということで、第2ラウンドAブロック、第1パフォーム山口静。村上裕のピアノとコラボレーションして踊る。さきほどと服が違う。ピアノ、たいへんよい。動きの質がさっきと全然違う。第1ラウンドを思い出しながら、二部作のように観てしまう。絶妙なところで「あっ」と鋭い発声。これは明確にお客さんの前での踊りだ。
 第2パフォーム、ベンダマングレートさん。「でんぐり返しします、今度は後転でやります」。後転だと、後頭部を壁に強打するという可能性が出てくる、というのはやってみて分かったことだろう。審美的対象/巻き込まれの図式で言うと、巻き込まれのウェイトが第1ラウンドよりも強くなっていた。
 第3パフォーム、umeさん。下腹部に羊のぬいぐるみを装着している。ヴァイオリンの弓を身体に当てて、身体を弾いている感じだ。弾いていると同時に弾かれてもいるというのはたいへん面白い。波の音が聞こえてきた。だんだん強くなる。最後は「たまごたまごひろいたい…」という意味深な歌を歌う。
 第4パフォーム、小野寺成月+酒井風。「そう、それでさっき言ってた大橋の…」。さっきの続きだと明示して始まる。ビニールテープを扱うのが小野寺でシャトルを投げるのが酒井と、役目が入れ替わっている。スクリーンの位置が少し奥に進出した。空間はさっきよりも明るいだろうか。なじんできていると思う。二回目なのでこちらもより落ち着いて見られるということもある。会場周辺の様子を映像を使いながら説明するのはレクチャーパフォーマンスの文脈とも言えるが、ノイズの音程と音量が少しづつ変わりどんどん大きくなり、小野寺の発話をかき消す。言葉の情報が音楽的情報にかき消されるのがアリなのはレクチャーパフォーマンスと違うところで、面白い。ラウンドごとのパフォームの展開で、していることを少しづつ分からせるのが上手だ。
 審査。繰り返される各出場者のパフォームが空間の中に情報として累積されている。その中で、言葉とマテリアルの散らかりが空間によく調和していて、「しっくり」くるなと感じた小野寺成月+酒井風を決勝進出に決めました。

 続いて、第2ラウンドBブロック。第1パフォームの新見聡一だ。スピーカーから再び「光戦隊マスクマン」のイントロが流れると、観客席からは「天丼」の笑いが起こる。つられて少し新見の口角が動いていた。があくまでソリッドに、第1ラウンドと同じ段取りでマスクを着け続ける。初めて観たときの新鮮さはないが、動きがより機敏に、熟達したものとなっている。
 第2パフォーム、ズッコケ三人組である。紙コップにペットボトルからミネラルウォーターを注ぎ、観客に配布する。(この時点で、あ、これはルール違反だ、と思った。のであるが飲んでください、と言っているわけではないので止めなかった)。風呂場上で行ったさっきと比べてアクティングエリアが観客側にせり出している、これがなんかよかった。またも後ろ手に毘沙門(?)は引っ張られながら客席の間を縫い退場してゆく。で、終わり。くせになってきたなあ、と思った。
 第3パフォーム、カキヤフミオ。今回はテキストを暗唱している。テキストは再び「アニエスとラシーナ」だ。浴槽にあおむけに寝て、壁の、やかんみたいなものに結びつけられた糸電話的なスピーカーを足(第4回たくみちゃん杯でも使っていた虎の足袋)でこする。このやかん、前からあったっけ?と思う。これはさすがにBUoYの空間をよく知っているからこそできることで、折り重なる多次元の情報が上演として機能している。
 審査である。空間の中に「印象」が重なってゆく(それはある種の印章でもある)のがたくみちゃん杯の特徴だと思っていて、通時的に生きている我々はこういうイベントをその形でしか組織できないということでもあり、面白いことでもあり、つまり後攻が若干の有利性を持つのは致し方ないことだろう。でこのBブロックは見事に印象の重ね塗りがなされていた。が、「審査」となったときに敢えてそれを切り離して考える操作が必要とされるのだろう。最終的に全部「持っていった」のはカキヤさんだが、それは本当に必要十分なことだったのだろうか?アニエスとラシーナにとって? ズッコケ三人組のパフォームはやはりちょうどよかった。折り重なる情報の上に透明なレイヤーとして重ね描きされる彼らの「儀式」。それはあくまで段取りに忠実であるのだが結果的に空間との絶妙なブレンドとなっている。そして新見聡一のマスクマンは空間に対して最も独立している。「ルールを遵守する」ということも判断材料にはなったわけだが、つまり時空間という「所与の」条件の中でポテンシャルをいかに十全に発揮できるかということでもある。こういうわけで新見聡一のマスクマンを決勝に進めた。

 第2ラウンドCブロック(希望者の再エントリー枠)、第1パフォームの村上裕さん。即興の演奏、その内容で勝負というスタンスが潔くて良い。音楽を生成させて、歌をそこに乗せる(電子的に反復する)、踊りを踊る、最後に服を脱ぐ。パンツ一丁になったところで4分の笛が鳴る。
 第2パフォーム、Domina Akiho 。ジプシーの音楽が流れる。バケツの水に髪を浸し、振り乱す。びちゃびちゃびちゃっ!という音が聞こえ、次に水を輪になった観客の両手の器に移す。水は順繰りに回される。水がなくなっちゃったらなにか他のものを回してくださいということ。印象的だったのは指示を出すAkihoさんの優しい眼差しである。ジプシー音楽も効果的で、厳しい世界の中の優しさみたいな雰囲気があった。
 第3パフォーム、斎藤健一。まず照明を調整する。そして、準備に2分、そのあと自動的にパフォームに入るということで始める。最初に脚立を持ってくる。椅子を並べたり、色んなものを並べる。ここでもオーバーオールが効果的だ。台車にコンクリートブロックを積んで運んでくる。暗い中でこの作業をやる必然性はなんなのだろうか。並べ終わったあと、またさっきの動きになる。交通誘導のような。もう少しその動きを見たいというところで制限時間となってしまった。
 第4パフォーム、のあんじー。今回はたくみちゃんが舞台に上げられる。走れメロスのマル読みの読み合わせ。ちょいちょい演出が入る、ビシバシと。やっていることはシンプルだが客観的に観ると結構面白くて、実は複雑なことが起こっている。たくみちゃん杯の主催かつ唯一の審査員が役者として入り、演出家の言うことを聞かなければならず、その全体をあとで自分で審査しないといけない。映像を見返して、面白いな、と思ったのであるが、リアルタイムにはそれを自分で観られないのである、つまり審査しようがない、それが面白い。だがリアルタイムにはそれを自分で観られないのである、つまり(繰り返し)
 第5パフォーム、豊島彩花。コンクリートブロックを積んで、その上に氷を乗せている。メトロノームの音が鳴る。大きめの木の枝を扱う。隣に娘がいる。枝が娘にこつんとぶつかってしまい、泣いてしまった。抱き上げてあやす(そこから先、娘はご機嫌斜め)。全てに一生懸命なのが美しかった。メトロノームを置くことをなぜ選択したのだろうか。
 第6パフォーム、たくみちゃん。さっきのインプロは越えられないと思ったので、全然違う(?)毛色で攻めました。褌スタイルは踏襲。配電盤の前をメインアクティングエリアとし、照明、換気扇、エアコン、のスイッチをいじる。当然、光、音(ゴオオオオ)、風、気温が変わる。そして誰かの足音(マンホールを踏んでゴトンと鳴る)に反応したり、椅子のギイという音に反応したり、気温に反応したりして、自分の中で砂漠が表象されたので、発話によってそれをパブリック化する。「ゴビ砂漠… 連鎖して、ゆっくり確実に歩いている、確実に、着実に」。
 第7パフォーム、喫茶みつる。パイプ椅子の上に色々な調味料を並べる。蜂蜜、からし、唐辛子チューブ、レモン、チョコレート。こんなかから選んでください身体で表現します、とのこと。「んー、ハラペーニョ」。みつるさんの持ちネタとして確立しているのだが、BUoYではちょっと空間が強すぎて合わないと思った。僕的にはこれは、口の中という極プライベートの極小空間にいかに見るものの想像力を飛ばすかということなので、諸刃の剣が今回は味方しなかったという印象。
 7組を一気に見て(うち一人は自分だが)、3分の審査時間で決勝ラウンド進出者を決めないといけないわけで、時間が足りないが、村上裕に決まったのは今反芻してもこれでよかったと思う。インプロ演奏というパッケージに突っ込んだ/発生した内容が、端的によかった。それから、今回4分にこぼれて結果的にパンツが一枚残ったわけだが、村上さんがライブ中に全裸になることの意味を僕は知ってしまっているので、逆にそれがよかった。逆に強く、概念の上でそのことが機能した。

 そしてついに決勝ラウンドだ。第1パフォーム、小野寺成月+酒井風。バドミントンのラリーをマイムで行う。激しい運動。さっきと打って変わってアコースティックなシステムだ。同時に発話、「北千住と南千住の違いって何」「北千住と南千住の境界線ってどこ」「地形で国が分かれるのかなあ?」これらの言葉からだんだんと二人のテーマが明らかになっていく。会場が暗転する。ハンドライトを用いてラリーの動きを続ける。電車の音が入ってくる。境界線としてのイマジナリーなネットは、逆に、彼らを繋ぐものとなっていた。「かつて橋だった」というのが最後の発話となり、高密度な4分間が終了した。二人の北/南千住のリサーチの中でなされたであろう会話が、凝集するためのものとしての3回のインプロヴィゼーションなのだろう。そう、これはインプロヴィゼーションだからこそできることで、それを発表する場としてたくみちゃん杯があれたことは嬉しく思う。
 第2パフォーム、新見聡一。予想通り、マスクマンで勝負に来た。全く同じ段取りだが、小野寺成月+酒井風のビニールテープが残っている(残している)。そして、「決勝戦」ということで見るこちらにもリキが入る感じ、ここまでは予測していた。マスクを着ける所作の洗練がハイレベルに達している。マスクのひもの広げ方など一つの様式である(変身ポーズのようである)。で、どんどん分厚いマスクになっていく。このまま取れずに進めばいい、と思った。が、ばっ!と取れてしまい素顔がさらされる。そのとき客席から笑いが起きるのである。これが、予想外。考えて見れば批評性がある。鼻と口が出ちゃいけないものになっている世の中で、すぽーんと見えてしまって、それは笑えるのだ。これはいわば、包容的な笑いだ。
 第3パフォーム、村上裕。曲の感じが前ラウンドまでと違う。マイナー調、というか。僕らは一つ、ということを歌い上げる。元銭湯の空間で。こんなことが未来にあると、かつてここの風呂に入っていた誰が想像しえただろうか。最後は村上スタイル、裸になってはけるのだが、舞台奥の浴槽を利用して隠れる。これが風呂に入っているみたいでもあり笑えていいな。
 最後の審査が始まる。「誰が優勝してもよい、とはいえ決めないといけない」。村上さんのパフォームについてのコメントは、「やっぱいいですね」といったボキャ貧になってしまった。しかし、審査においてそうなってしまうのは本質的なことかも。BUoYの空間から北千住へと思索を伸ばし、さらに北と南という方角の問題、境界線とは何かという問題に言及した小野寺成月+酒井風の構成力と手つきは称賛に値する。そしてBUoYからの広がりで語るならば、新見聡一は共時的に世界を覆う感染症の状況を捉えている。そして彼は3回パフォームをするためにマスク3箱を「箱買い」していることも思い起こさなければならない。それは僕たちの日常の姿でもあるのだ。この射程でソリッドなショーをまとめあげ、3回の繰り返しの中で常に発見をもたらしてくれた新見聡一のマスクマンを第5回たくみちゃん杯の優勝に決めました。

 この世は物理法則が支配していて、なにかをやるとなにかが起こる。僕たちは原子の配列だし、DNAだってそうで、ウィルスはこれを利用して悪さをする。脳も物質だ。しかしそれでもまだ、自分が自分であるというこの意識が実のところなんなのかを我々は説明できていない。それは他者の存在の問題でもある。ならば翻ってDNAとは何だ(それは人と人との出会いから生まれる)。何が言いたいかというと、人が集まるのはすごいことであってBUoYはそれをやるのに適していたなあと感じている。

写真:石原新一郎

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最後まで読んでくれてありがとうございました。よければ、たくみちゃん杯へのドネーションとして「サポート」を頂けると幸甚です。
たくみちゃん


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