審査にあたって
以下は、第1回たくみちゃん杯の開会宣言のときに読み上げた文章です。
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多様なパフォーマンスが行われ、それらはおよそ一つの評価軸に当てはめることができないと思われる。しかし、私は審査をして勝者を決定しなければならない。 あえて言い換える。私の責任において勝者が決定されなければならない。
次に述べるようなことは、できないだろうか。 パフォーマンス自体(≠作者)が戦う「場」として、私が存在する。
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このトーナメントにまつわるあらゆることは、私の 100%の意志で決めたことではない。
私は今日、審査をする。そして優勝を決める。それは 100%の私の責任のもとに行う。
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2009 年、村上春樹がイスラエル最高の文学賞「エルサレム賞」授賞式で行ったスピーチが話題になった。イ スラエル軍によるパレスチナ自治区ガザ地区攻撃で 1000 人以上の死者が出た直後のことである。 〈高くて頑丈な壁と、壁にぶつかれば壊れてしまう卵があるなら、私はいつでも卵の側に立とう〉
彼が小説を書いている時、いつも心に留めていることだという。ごく大まかに言うと壁は「体制」、卵は「個人」の比喩だ。『どんなに壁が正しく、どんなに卵が間違っていても、私は卵の側に立ちます。』と続けている。
スピーチは概ね好意的に受け取られた。(僕も好意的に受け取った)。しかし以下のような批判の声も上がった。
絶対に私は卵の側だと、なぜ言い切れるのか?
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