【読書ログ】2020年1月読んだもの

年明けから本を読む時間が取れて幸せでした。日本語ばかり読んでいるので、来月は洋書もはさんで読んでいければと。時間的に読んだもの毎に読書メモを残しておくことができないので、ある程度まとまったら書くことにし、またここで書けるものは多めに書くことにしました...

今までアマゾンのURLを直接埋め込まないで編集してて、見返したら殺風景すぎたので、今月から埋め込みます~。


2020年1月読んだもの(10冊)

ラトゥール, B. [伊藤嘉高訳](2019)『社会的なものを組み直す―アクターネットワーク理論入門』法政大学出版局.

科学社会学出身のラトゥールだが、社会学においても影響を残し、この度日本語版が出たとのことで先輩に誘って頂き読んでみた。長いけど、思ったより読みにくい箇所はなかった。「アクター自身に従え」というアクターネットワーク理論(ANT)の標語は共感する。好き嫌いが分かれる異端児という位置付けみたいだが、真新しくて面白く、個人的には好きである。また、研究者自身の外在性・内在性の議論や研究のプロセスにまで言及しているのところが興味深かった。批判社会学者(とりわけブルデュー)を仮想敵にしているが、批判社会学の学説史をしっかり読まない限りこれで本当に批判社会学を批判できているのかについては慎重になった方が良いと感じた。


久保明教(2019)『ブルーノ・ラトゥールの取説―アクターネットワーク論から存在様態探求へ―』月曜社.

上記『社会的なものを組みなおす』の副読本として読んだ。筆者の「ラトゥールは簡潔に言えば、胡散臭い」という記述に「えええ、そんなにバッサリ言うんか」と思った。ラトゥールの立場は(一時的にでも)構築されたものこそ事実であると主張する「ノンモダニズム」であるとの解説になるほどなと思った。


久保明教(2018)『機械カニバリズム―人間なきあとの人類学へ―』講談社選書メチエ.

ANTを踏まえて書かれた具体例。機械が身の周りにあふれる状況が発生していることにより、我々人間自身の在り方が問い直されている。「他者の視点から自らを捉え、自己を他者としてつくりあげるための営為」というヴィヴェイロス・デ・カストロのカニバリズム(食人)の定義を踏まえ、将棋ソフトと人間の勝負を事例に、「人間」なるものの存在のみによって世界を規定できない状況として現在を読み替えることで、人間はいかなる存在でありうるのかに応える「人間なきあとの人類学」への可能性を示唆する。...という本。かなり簡単に言うと、「将棋AIと人間どちらが強いか?」をどう考えればいいのか、という問いは「人間って一体何だったっけ?」という問いを連れてくるよね、と理解した。強さの確定は実は難しいという話が面白かった。


タルボット, M. E. [中野善達・清水知子訳](1994)『エドゥアール・セガンの教育学ー精神遅滞児教育の理論』福村出版.

西洋の知的障害教育の源流。個別指導計画や知的障害教育の制度化に貢献した人物。当時セガンが知的障害教育の制度化に成功した時代背景(社会的・経済的等)が一緒に載っていて、彼の教育学の位置付けが分かったのは良かった。理論や主張を読むときには、当時の何に対抗しているのか、既存の理論をどう受け継いでいるかをちゃんと意識して読まなきゃ読んだことにならんな...と思った。


東村知子・麻生武編著(2016)『発達支援の場としての学校―子どもの不思議に向き合う特別支援教育―』ミネルヴァ書房.

専門家の知、家族、教師の関係についての対談(専門家と非専門家の分断)、保護者の認識と子どもの実情をすり合わせていくものとしての教員についての言及が興味深かった。加えて、対象とする領域によってはそもそも「専門家」など存在しないのではないかという問題提起が印象的だった。こういった特別なニーズのある子どもの学校経験を読むと、一番のFull IEの難しさはやはり態度障壁にあるのかなと思った(最初から特別支援学校に行かせたい親の存在+親をそう思わせているのは何なのかも解き明かされるべき多と思う)。「どうにもならない存在」「自分が消して思い通りに制御できない者」としての他者という記述は覚えておこうと思う。


高橋真琴(2016)『インクルーシブ教育時代の教員の専門性―複数の障害種に対応する―』ジアース教育新社.

筆者があらかじめ「この障害種についてはこの専門性が必要」という話ではないと断っているように、IE教育の教員の専門性を考えるうえでの、歴史的・学術的な背景の記述を中心としている。他の書籍と併せて読むとよいと思った。


前川啓治・箭内匡・深川宏樹・浜田明範・里見龍樹・木村周平・根本達・三浦敦(2018)『21世紀の文化人類学―世界の新しい捉え方』新曜社.

重要なキーワードを人類学の系譜に則って整理。「表象の危機」は知らなかった...。ラトゥールにも影響を与えているみたいだが、ポスト多元主義の考え方は面白かった。モルの書籍は時間が許せば読んでみたい(『多としての身体』とか)。


岸上伸啓編著(2018)『はじめて学ぶ文化人類学―人物・古典・名著からの誘い』ミネルヴァ書房.

過去の著名な人類学者の功績、立場を整理している。一つ上の本の副読本として読んだ。ブルデューが挙げられているのは何とも意外だったが、初期のブルデューは人類学者としても読めるらしい。


メイヤロフ, M. [田村真・向野宣之訳](1987)『ケアの本質―生きることの意味』ゆみる出版.

読書メモの通り。他者への専心ほど難しいものはない。


田中智志(2009)『教育思想のフーコー―教育を支える関係性―』勁草書房.

筆者の言う「自己創出支援としての教育」は個人的にとても好きな考え方である。フーコーというと規律化権力が教育議論では有名だが、著者はフーコーの「存在論」を中心にハイデガー、カント、ニーチェ等の関連議論を用いてお話を組み立てている。自己創出支援としての教育には、他者との深い「関係性」が不可欠だという結論で、一見するとメイヤロフと主張が一緒。しかし、メイヤロフが自己の拡張としてケアの対象を捉えていたのに対し、著者は他者との関係性の中に「生の本態」という異なる水準のものが見いだされ、その生の本態を他者と分かち合うのであり、他者と同一化していくわけではないと述べている所が相違点だと思う。また、こういった意味で教育を捉えると、教育と学習は対置されるものではないなと今思った。実は3年前にもこの本を読んでいるのだけれど、あの時と理解度がまるで違うところに自分の変化を見て取れる。

月10冊読むのはなかなかタフだったので、効率的にかつ集中して読ませられる。来月も頑張ります。

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