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社会人をもう一度、やり直すために

【プロローグ】

1月某日、めったに話すことのない部長との面談。

「失礼します」

「ああ、座って」

内容は、昇進試験の結果について。社内規定で回数が決まっている、最後のチャンス。

「何回目?」

「最後です」

ああ、興味持たれてないんだな、という小さなショックを受けつつ、表情には出さないようにじっと部長の顔を見つめる。

「気負ってから回ったのかもしれないけど……」

けど?

「残念ながら不合格だ」

「そうですか……」

「『これから』は考えてるのか?」

「……考えないといけないと思って受けました」

「そうか」

それからは、事務的な説明と普通のフィードバック。正直に言って普通過ぎる淡々としたやり取りだった。もっと冷たく突き放されるか、もっと熱っぽく叱咤されるかと思っていただけに、少し拍子抜けした。時間にして10分にも満たない時間で、この会社での自分の将来は大きく閉ざされた。昇進に例外はない。この試験に規定回数内に合格しないということはそういうことだ。

今年で36歳になる。同期や後輩がどんどん課長に昇進していくなか、何度も課長試験を受けては、今回含めあと1点足りない(それが本当に1点なのか、落とした後便宜上の点数で1点としているのかは知らない)と言われ続け、最終的には会社から「あと25年、平社員の給料しか払わないから(いやならやめれば?)」という通告を受けた。

【正直な気持ち】

悔しい。働きぶりや会社への貢献度は考慮せず、試験の演習で合否を決める(と公式にはアナウンスされている。実際は知らない)ので、入社以来の仕事を丸ごと否定された気分になる。

「誰かが見ていてくれる」と言われ、地道な仕事やだれもやりたがらない損な役回りも少なからずやった。

誰も見てないじゃん。

少なくとも、人事権のある人は見ていない。私が泥をかぶったところで、客先で土下座したところで、昇進とはまるで関係ない。また、自分でもここまでできるかなと思う課長がいる反面、なんでこの人が課長なんだろうということも少なからずある。そんな試験に、私は受かることができなかった。

そう、結果がすべてだ。

この会社の外から見ればその人は「課長」で、私は「平社員」だ。しかも試験に全て落ちた「出来の悪い平社員」だ。それ以上でも以下でもない。

そして、25年このまま大きな権限をもらうことなく、若い人がどんどん大きな仕事を任されるのを横目に、最大限に評価されて月給が2千円くらい上がることを目標に(そもそも業績が下がったら同程度マイナスされていく)頑張る道をとぼとぼ歩いていくことになる。

何故ここまでコケにされなくてはいけないんだ。

【「正直な気持ち」を見た自分】

だせぇ。突っ込みどころがありすぎる。

そもそも、そういう会社を選んだのは自分だ。就活の時に「なんとなく営業マンていやだよな」というだけで、営業職をほぼ切り捨てたくせに何を言うか。業界再編で人事制度が変わったのはあるが、そもそもイノベーションがなく業界自体が縮小途中であったことは知っていただろう? そんな会社の人事が特別優秀なことがあると思うのか?

受かっている人材に納得がいかないふうだが、一つはそんな程度の人材を上にあげて好待遇をする程度の会社・人事であることを見抜けないお前が悪いし、そんな程度というのであれば、なぜおまえは受からない? 見限って早々にやめることも、あっさり受かることもできずにぼんやりとしていたのは誰だ?

試験が悪い、と言いたげだが、そもそも試験に受かるために全力で、それこそすべてをなげうって努力したのか? 受かってしまえば、お前の言う微妙な仕事ぶりでも給料をくれるようなぬるい会社なんだろう? その努力を惜しんだ上に受かった人や会社に恨み言をぶつけるダサさ。まさに負け犬の遠吠え。

そんな負け犬を、あと25年、年収500万程度で抱えようという会社のほうがこのご時世貴重だと思うけどね。まあ、そんなことを世間や経済の原理が許容できないだろうけど。

他責で、ろくな努力もせず、自分の能力を半端に信じるぶらさがりサラリーマンの典型だよ、お前は。

【正直な気持ちと突っ込みを書いて】

すっきりしました。どちらも自分の偽らざる気持ちです。憐憫の情を起こさせるような振る舞いをしたくなる時もあれば、またそうしそうになる心の動きを蔑み馬鹿にしたくなる残忍な性分が顔を出すときもあり、安定した心持とは程遠い日々を過ごしてきました。

ただ、ずっとその思いを抱えていつか収まるのを待つよりは、前に進むためにまず自分の思いを書き殴ろうと考えました。

それは、この相反する気持ちを抱えていたことは、時がたてば忘れてしまうかもしれなくて、この年にして心をぐちゃぐちゃにされたことを、そんな簡単に忘れるのは「しゃく」だなと思ったからです。(ナイーブすぎる甘っちょろい心の動きかもしれませんが)

10年以上勤めていますから、今の会社には愛憎入り混じる思いがあります。それは、会社を盲信して何もしなかったせいじゃねぇか、という、一番堪える厳しい突っ込みが聞こえてきそうですが、でも、今この年で、ここからスタートするしかないんです。

課長にもなったこともない36歳になる百貨店勤務の男性を雇いたい、しかも現状より待遇をよくするから、なんてオファーあるわけないのはわかっています。キャリアもスキルもなく10年以上会社にぶら下がっていた、という風にしかまわりからは見えないんですから。

私さえそう言えば、きっと会社は25年間飼殺すつもりで動いていくでしょう。今のところは、ですが。それはそれで、見方を変えればよい会社だと心から思います。

だけど、今回試験がダメだったことで気が付いたのは、25年間飼殺されるのは嫌だ、ということです。それをこの段階で気が付いている時点で使えない社員であることは自明なのですが、それでも、そんな使えない人が使えないことを自覚した時点から、どこまで何ができるのかを必死に考えて行動してみたら何がどうなるのか、単純に自分が見てみたいと思いました。

世の中には「スーパーサラリーマン」なる存在がいて、その人たちの発する言葉が世に広がっています。自分もそういう方々の言葉を聞いて影響を受けて仕事に取り組んでいるつもりでした。落ちるまでは。

どこかで思っていたんですよね。自分もそちら側に属す可能性がまだあるんじゃないかって。36になるのにこの状態で何言ってんだ、と恥ずかしくなりますが、最後の最後の時までそんなことを思っているお花畑脳なので、会社もそういう結果を出したと思えば腑に落ちます。

そう、私はそちら側ではなく、そういう人たちが嘲り、挑発し、蔑む側、いや、言及もしない鼻くそ以下の側なんだろうと思います。

とはいえ、そんな私ですが結婚をし、子供もいる一人の親です。鼻くそ以下でも、次世代を鼻くそ以下にしない責務があります。

この世に生を受けた以上は、たとえ鼻くそでも、鼻くそなりに世のため人のためになり、何かを残さなければ、ただ時間と資源を使っただけになってしまいます。

これからは、家族を守りながら、少しでも家族以外の人に何かを残せるよう行動し、それを記録していきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

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