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好きな言葉

はじめて note を書く。

誰も私に興味がないことは分かっている。私は私に表現すべきなにもないことを分かっている。だからこの文章は自分のために書く。自分で覚えておきたいと思ったことを書く。

私は「言葉の力」などの言葉を安易に持ち出す人のことをあまり好きになれない。確かに言葉には力がある。こらえきれず笑いだしてしまったり,幸せな気持ちになれたり,ものすごく落ち込んだり,やる気がみなぎったり,確かに力がある。こんなに劇的な効果をもたらしてくれる市販薬はない。市販されていない薬のことは知らない。

しかし,特に短い格言めいた言葉に限定していえば,何よりも大切なのは「誰が言ったか」だ。私は,見ず知らずの誰かが無責任に放った言葉に心動かされることはない。

だが,そんな私にも「好きな言葉」はある。何度も励まされ,背筋を正され,折に触れて思い返す言葉がある。それをここに,改めて書いておきたいと思った。

3つ、書いておく。

悩みというのはただの悲しい、どうしようもない事実であって、自分が悩みとして認定してるから初めて悩みなんだ  (ほぼ日刊イトイ新聞「人のしあわせを読む仕事。」第6回より)

そうだ,と思った。これだけでかなり気分が軽くなった。「ああ,いま自分は悩んでいるな」と感じたときにはこの言葉を思い出し,考えるように心がけてきた。

人は生まれながらに孤独なんだと、厳しく認識することですよ (マネたま「他人には構わない。自分の不機嫌をどんどん削って生きていく」より

孤独というのは,「周りに人がいない状態」だけを指すのではない。そもそも個人の内面など,他人からはわかりようがない。工業製品のセンサでさえ測定値に個体差があるのだ。人間の入力装置としての目,鼻,口,耳,指はみんな違ううえに,情報処理装置としての脳までも違うのだから,つまり人間の数だけ「世界」は存在するのだ。他人のことはわからない。仕方がないことなんだ。

言葉というものの根幹的な部分はなにかといったら、沈黙だと思うんです (ほぼ日刊イトイ新聞「沈黙の発見。」より

私は,それまで身を置いた環境のなかでは,相対的に「言葉が得意な者」として生きていた。しかしそれは,読んできた本の著者たちの功績であり,自分自身に何か特別なものがあるわけではない。口下手な同僚と比べて,自分のほうが能力的に優れているとも思えない。むしろ,口先だけで切り抜けようとしてしまう自分を嫌悪さえしている。そんな時に出会った言葉だった。その通りだと思った。その人が見せている部分で評価せざるを得ないということはある。「口は悪いけど,根は良い人」なんていない。その人はただ,周りに配慮できない人だ。しかし,それと,「うまく言葉で表現できていない」ということとは,分けて考えなくてはいけないと思うようになった。その人の魅力は,よくよく向き合わないとわからないのだと思えるようになった。

他にもあるけれど,まず思い浮かぶのは,この3つだ。