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9年目の3.11 今思うこと。
前の自己紹介記事の最後に次は書きたくなった理由を書こうと言っていたけど、書きたくなったのでそのまま書き始めてみようと思う。
9年前のあの日。
9年前のあの日、自分はまだ12歳だった。当時通っていた学校があった和歌山も揺れたけれど、クラスの天井から吊るされた電灯が少し動いていたくらいだったし、最初のニュースでは、マグニチュードも誤って伝えられいたため、大人(僕が通っていた学校では先生のことを「大人」と言っていた)たちの緊張度もそこまで強いものではなかった。
でも、段々と状況は変わっていく。自分が通っていた学校は全国から学生が来ていたため、関東や東北から来ていた子たちの中には電車が止まってしまい、帰れずに寮に残る子も出てきた。
千葉に親がいた僕も、連絡を取ってみるが繋がらない。元々、その週は寮に残るつもりだったので、焦ってはいなかったけれど、いつもと違う状況に不安を募らせながら、寮に帰って夜ご飯を食べながら、テレビを見たその瞬間、愕然とした。
忘れられない、テレビ画面一面の海
テレビの画面には、一面の海が広がっていて、その端を情報の羅列のように死者・行方不明者の方々の名前が流れていた。
行ったことない土地だったけど、すぐに理解した。
ここには町があったんだと。信じられなかった。SF映画が描く「世界の終わり」みたいな映像に、ただただ呆然とした。
そして、あの時が初めて「原子力発電所」の存在を知って、その怖さを感じた日だった。
あれから、9年。
あの時から、9年。僕は成人式も終わり、21歳になった。
安倍首相は、政府関係者の追悼式の中で「幾度となくあった「国難」ともいえる危機から、勇気と希望を持って乗り越えてきた」と言っていたし、午後の各番組ニュースを見ていても、震災に負けずに今・これからを生きる人たちのようなポジティブな情報が比較的多く見られた。
もちろん、ポジティブな情報を卑下するものではない。悲劇を乗り越え、強い意志を持って活動する人は最高に素敵だし、あの日から変わってきたものもコトも、たくさんあると思う。
それでも、震災関連死者は岩手・宮城・福島県の3県だけでも、3701人に上り、前年から、36人増えている。この数字は、「東日本大震災による負傷の悪化又は避難生活等における身体的負担による疾病により亡くなってしまい、災害弔慰金の支給等に関する法律(昭和48年法律第82号)に基づき災害が原因で死亡したものと認められたもの」とされていて、自死も含まれる上、昨年発表された震災関連者の内、1割を超える408名の方が、21歳以上〜65歳未満と比較的若い方だった。
それ以外にも、汚染土・汚染水の処理の問題だけではなく、国際的にエネルギーシフトへの関心が高まる中、日本では原発に関する真っ当な議論が交わされずに、未だに再稼働だけではなく、建設に向けて工事再開などというニュースまである。
もちろん、三陸鉄道の全線開通など進んでいる部分も確実にあって、そのために手を尽くしている人がいることを思うと、頭が上がらない。
ただ、素人目にみてもまだまだ問題が山積みの中で、「勇気と希望をもって、乗り越えた」というのには、どうしても見て見ぬ振りをしてるようにしか思えない。
今、思うこと
今日、Twitterでいろんな記事を読んでいると、こんな記事を見つけた。
記事では、原発問題と新型コロナウィルスを通して、問題が引き起こす心理的・経済的影響も十分に考えなければ、科学的なリスクの大小に関わらず、人の命に直結する事態になる、と述べられている。
この記事を読んで、もっとも印象に残ったのは、
「人は中々命を絶てないけれど、追い込まれてしまった時に場合によっては簡単に絶ってしまうことがあります。お金の重さは個人個人。そして政治はより一人でも救う事に本質があります」という言葉だ。
問題の大小はあれど、政治の本質は変わらない。
9年目の今、改めて「政治」を見つめ直そう。
進んでいることも忘れずに。
合掌。
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