第六幕『すね毛星人』

――横浜北署刑事課――
「はい、報告あるやつ。」課長が切り出すと、刑事たちが順に立ち上がる。

「埼玉県北部の空き家について、亀田運輸や他の運送業者の配達員に聴き取りしたところ、北関東への配達の際の休憩場所として使用する人がいるという話があり、その存在を知っている人が複数いました。しかしここ数年ではあまり使われていないということです。」

落合が立ち上がる。「Nシステムから、本木陽香が11月2日の夕方と11月3日の未明に、河村俊夫が11月3日の夜遅くに空き家に立ち寄った可能性が強まっていますが、2人ともそれについては何も話しません。引き続き情報を集めながら、両名を追及してまいります。」

課長が尋ねる。「相良真帆さんの指輪が群馬の山奥で見つかったのは、11月3日の夜だろ?本木が空き家に行ったあと、そして河村が行く前。真帆さんが空き家に居たとすると、河村が指輪を捨てたというのは嘘の可能性があるな。

阿久津が答える。「11月2日夜から3日未明にかけて空き家で何かがあったと見て、関係者に引き続き聴き取りをしています。空き家は11月4日の火事で全焼しており、誰かがいた痕跡を見つけるのは不可能に近いでしょう。」

他の刑事が続ける。「真帆さんの死亡時期に関してですが、司法解剖の結果は、河村被告が10月15日に首を絞めて殺害したという供述と特に矛盾はありません。しかしエンバーミングの影響もあり、正確な死亡日時を特定することは難しいとのことです。また絞殺痕が通常よりも若干薄く、背中上部に不自然な注射痕があり、体内からアンモニウム塩が検出されたとのことです。絞殺以外の死因も視野に入れるべきかと思われます。」
「アンモニウム塩?筋弛緩剤か。」課長が問う。
 「その可能性はあります。本木陽香が高場花という看護士を脅して薬品などを横流しさせていました。高場花の勤務先の病院から流れたものと成分が同一か、調査中です。」

 会議が終わって戻る阿久津に落合が話しかける。
 「阿久津さん、前、すね毛星人の話してましたよね?」
「あ?それがどうした。」
 「もし、阿久津さんのすね毛星人の一人が、急に立ち上がって歩き出して・・・」
「気持ち悪いなお前。」
 「いや、そもそも無数のすね毛星人作ってる阿久津さんに言われても・・・。で、勝手にてくてく歩き出して、隣の家に侵入して、家の中をむちゃくちゃに荒らして、ガラスとか花瓶とか割って、テーブルとかひっくり返して。そうしたら、阿久津さんどうします?」
「そんなもん、俺が行って土下座して謝りまくって、全部弁償するしかねえだろ。俺のすね毛星人が怒られてこてんぱんにやられるわけにはいかねえだろ。」
 「・・・ですよね。」
「え、お前何が言いたいんだよ。」
 「分かってるでしょ、阿久津さん!」
「・・・・・・分かった。やろう。」

***

「部長!ちょっと、お話があるんですが。」
 「何かな?あ、じゃ、あっちで。」
亀田運輸カスタマーサービス部の太田黒部長は、石川を誰もいない給湯室へと誘導した。
 「僕に、できることがあれば、何でも、言ってね。」
「実は、去年11月に退職した小手川君についてなんですが…」
 「ああ、小手川君ね」

 石川は太田黒と数分間話し込む。

 「分かった。大丈夫!」と部長が言うと、石川は自分の席に戻って仕事を続けた。給湯室で太田黒が忙しそうに何本か電話をかけ、顔をしかめたり電話を持ちながら一礼する姿がガラス越しに見えた。それが終わると、石川の席に立ち寄った。

 「決まったよ。渡す書類、準備しとくから。」
「ありがとうございます!部長!本当にありがとうございます!!」石川は深々と頭を下げた。

***

――福井県のあるマンションの敷地の外――
 荷物の配達を終えて配送車に戻る大柄の男に、凌介が声をかけた。
「久しぶりだね、小手川君。」
 状況が掴めず、固まってしまう小手川。
いつの間にか小手川の後ろに回り込んだ望月が言う。「小手川君。分かってますよね。今、皆本当のことが知りたくて、必死で調べてるんすよ。どうしても小手川君の話が聞きたくて、神奈川からここまで来たんです。」
  「ちょ、ちょっと、まだ仕事中なので。」
 「今日はこの配達で終わりのはずですけど。」と石川が笑顔で指摘する。
そこまで調べられているともう逃げられないと思ったのか、小手川は堪忍する。
  「分かりました。お役に立てるか分かりませんが、話せることは話します。トラックを戻さないといけないんで、その後でも良いですか?」
「分かった。会社の門の外で待っとくよ。」

 トラックを止めてから数分後に小手川が出てきた。石川は電話を手に取った。
「望月さん、ちゃんと出てきましたよ!」
 念のため裏口に回っていた望月が合流し、4人は店へ入って席についた。

 客があまり入っていない静かな店の奥の四人掛けのテーブルを選び、3人は小手川を奥の壁際に誘導する。その向かいに凌介が座り、凌介の隣の通路側に石川が入る。最後に、小手川の隣に望月が寄り、ポケットに手を入れて録音のボタンを押してから凌介に向けて軽く頷く。

「小手川君、急に押しかけてすまない。でも、どうしても小手川君の話を聞かないといけないんだ。小手川君が、真帆と過去に一度会っていること、そして10月15日、真帆が失踪した日に、真帆を配送車の荷台に乗せて埼玉にある空き家に連れて行ったことが分かっている。でも、事件の全容がまだ掴めていない。小手川君がやったことを咎めるつもりは全くない。ただ知っていることを、全部話してほしい。」
 「相良さんは、本当にお辛い経験をされて、心中お察しします。でも、既に犯人捕まったんですよね?それで、もう良いじゃないですか?」
「犯人であるはずの河村の言ってることと、矛盾する事実がいくつも出てきてるんだよ。特に君に関連することで。君がちゃんと話すことで、この事件は本当の意味で解決に向かうし、正しい形で真帆を偲ぶことができる。だから、話してほしい。」
 「僕が、以前真帆さんと一度会ったことは事実です。でも、それ以上は・・・僕の口からは言えません。相良さんにはずっと優しくしてもらって、助けてもらって、心苦しいんですが・・・お願いです。察して下さい・・・。」
 
 小手川が脅されているのは明白だった。「石川ちゃん、あれ。」
 凌介がそういうと、石川はクリアファイルを取りだし、小手川の前に置いて言った。
 「これ、太田黒部長が、小手川君のことを思って、色々なところに電話をかけてまとめて下さったんですよ。」
 中には、退職届と、亀田運輸北海道支社の雇用契約書その他契約書類一式が用意されていて、どれも残すは小手川の署名のみという状態だった。さらに「引っ越し手当」という名目で少々の現金も入っていた。

「河村はおそらく君に口止め料を渡して、コネを使ってこっちの運送業者への転職を手配したんだろう。河村は鉄格子の向こうにいるから何もできないけど、もっと悪どい奴らが君の上司と繋がっている。だから君は恐れているんだ。それは分かっている。だから、太田黒部長にお願いしたんだ。」
望月が割り込む。「北海道支社で、ちょうど配送スタッフの枠があったみたいで。」
 「そ、そんなこと言われても…急に行けませんよ。」
 すると石川が涙目で訴える。「小手川君!お願いです!今この場所には、小手川君の安全を願っている人しかいないんです!小手川君を脅して福井に転職させた人たちは、自分たちを守るためにお金を出したり、コネを使ったりするけど、そんな人たちが用意した場所に居ても、恐怖に支配されるだけです。相良課長や太田黒部長は、小手川君を守るために、普段やらないようなことをして、色んな人に頭を下げて、亀田運輸に戻る道を用意してくれたんです。ちゃんと仕事も住む場所も、小手川君を脅している人たちが気付かない所に用意しているんです。大丈夫だから。お願い!信じて!」

 長い沈黙を経て、「分かりました。すべて話します。」小手川の心の堅城ついに陥落した。

 「10月のある日、配送中に真帆さんが僕を見つけて、近づいてきました。『久しぶり、覚えてる?』みたいな感じで。色々悩んでて、週末だけ家出をしたいから、前に一度会った時に話してた空き家に連れて行ってくれないか、て頼んできました。とりあえず携帯番号を教えて、その後計画を練りました。埼玉にちょうどいい空き家のがあったので、そこに決めました。10月15日金曜日の最後の配達に合わせて、真帆さんに亀田運輸の配達員の控室まで来てもらって、そこから僕のトラックの荷台に載せる計画でした。当日追突事故に遭ってしまい、ちょっと焦りましたが何とかなりました。
 埼玉の空き家は、高速から降りて数キロ、栃木にも群馬にも近くて、北関東への配達の時に偶に使っていました。以前は使っていた他社の配達員もいましたが、最近ではほとんど僕だけでした。僕は数年前に他社の知り合いから譲り受けた鍵をずっと使ってたんですが、真帆さんがそこに行くことを知って、万が一鍵を持っている他社の配送の人が来ても入れないように、鍵を変えておきました。
 真帆さんをそっちに送ってから、お子さん2人も行方不明になっていることをすぐに知りました。真帆さんは数日分の食糧しか持っていなかったので、栃木へ配達に行くついでに立ち寄って食糧を持っていきました。ただ、その荷物の住所が見つからず、結局存在しないことが分かって東京支社まで戻ろうとしたんですが、よく見ると差出人が『相良凌介』になっていました。何かおかしいと思い、帰りに空き家に寄りました。真帆さんと一緒に確認すると、男の子の冷凍遺体が出て来て、もう本当に愕然となりました。篤斗君ではなかったですが、パニックで、訳が分からなくて。真帆さんはすっかり怖くなって、戻るのも諦めました。僕はその箱をとりあえず望月君に渡して、相良課長に届けるように言いました。
 その後も2回ほど食糧の追加と安否確認のために行きました。しかし、3度目に行った時、その家が完全に燃えていたんです。真帆さんに何があったかも全く分かりませんでした。でも、警察に言おうか迷っていた時に、河村が僕に近づいてきました。
 僕が真帆さんを誘拐したという記事を書く、と脅してきました。書かれたくなければ指示に従え、と。お金を渡されて、退職して福井の別の運送業者へ行くよう言われました。『新しい上司とも話をつけている』と言っていました。こっちでも上司から『あっちであったことは、こっちで誰にも言う必要はないよな』と念押しされました。
 その後のことは、ニュースで知りました。河村の供述は、僕が知っていることと矛盾もありましたが、ひとまず解決ということで、今更僕から何か話すということはなかったです。僕が知っていることは、以上です。」
「小手川君、話してくれてありがとう。真帆と最後に会ったのは、10月29日に空き家に行った時、てことで良いかな?」
 「はい、そうです。」
「それまでに、誰かがそこに来たってことはなかった?」
 「いえ、誰も来ていない、と言っていました。・・・結局、僕が真帆さんを守れなかった。本当に、申し訳ありません。」
「いや、こちらこそ、小手川君を巻き込んでしまい、申し訳ない。」
ここで望月が割って入る。「小手川君、他に何か思い出せることはありませんか?空き家を以前使っていたときに、何か気になることはなかったですか?」
 「あの空き家は、最近では僕以外に誰も使っていませんでした。でも、2年ほど前に、一度鍵がなくなっていたことがあって。使おうと思ったらなかったんです。でも、次その家に行ったら、中に普通に置いてあって。」
「え、じゃ、誰かに盗まれた、てことですか?」と石川が言う。
 「いや、盗まれたって記憶はないですけどね…」
「もしかして、鍵がなくなったぐらいの時に、女の人にぶつかられたり、人違いを装われたこととか、なかった?」
 「あ、ありましたね。若い女の人が寄ってきて、知り合いかのように話しかけてきました。」
「え、それって・・・・・・・こ、この人ですか?」凌介はカバンの中を探ってから、本木陽香の写真を前に置いた。
 「そ、その人です!」

「ありがとう!じゃ、僕たちもそろそろ出ないと今日中に帰れないから。」 そう言って凌介は会計を済ませると、「次は、北海道で会おう!」そう言って、3人は車に乗って走り去った。
 後日、小手川は上司の机に退職届を置き、職場から忽然と姿を消したという。

***

 DNA鑑定の結果を前にして、阿久津と落合は愕然とした。「父子確立99.9%…鑑定結果は生物学上の父子鑑定の肯定するものである。」落合の案で、河村俊夫と本木陽香のDNA鑑定が行われたのだった。
「まさかな。何で分かった、落合?」
 「刑事の勘です!」
「ちぇ。」阿久津は舌打ちしたものの、内心では後輩刑事のセンスに瞠目していた。「もう一度行くぞ。人狼さんをさらに追い詰めてやる。」
 意外な展開に、世間で『炊飯器失踪事件』と呼ばれた事件の背景にあった壮絶な闇が、これから暴かれていくのであった。

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