第三幕『そばにいる』

「カニじゃん!!」
 阿久津は興奮したように言う。阿久津と落合は、福井県坂井市にある東尋坊に来ていて、近くの料理店で昼食をとっていた。東尋坊は、福井県北部の日本海に出っ張った有名な岩場で、自殺の名所としても知られている。この地域は越前ガニが大人気だが、あいにく夏は捕獲が禁止されていて、店のメニューからも外れてしまう。カニの足が一本入った味噌汁を出す店が数店あるのみだ。

 「いや、カニって言っても、味噌汁に脚が一本入ってるだけじゃないですか。しかも冷凍ですよこれ。」
「だから何。冷凍でも脚一本でも、本物のカニはやはりカニカマなんかよりずっと上なんだよ。」阿久津はカニの殻と格闘しながら言う。
 「いや、母ちゃんのカニカマの方が絶対うまいですって。」
「まあ、季節外れの冷凍のカニならカニカマも太刀打ちできるかも知れねえが、旨味がギュッと詰まった旬のカニが出てきたら、もう完全におしまいだ。この辺で冬にカニカマ食う奴なんていねえんだよ。偽物はな、ホンモノがまだホンモノらしさを見せていないときは偽物同士で競い合って、その中で一番の偽物がホンモノに見えるかもしれない。だがホンモノが旬を迎えた瞬間、偽物は消え去るしかない。」
 「炊飯器失踪事件も、ホンモノが旬を迎えそうですかね。」
「そうかもな。」
 「いやぁ、再調査に消極的だったの阿久津さんでしょう。」
 
 阿久津は、一瞬鬱陶しそうな顔を見せて舌打ちしたが、すぐに強張った真剣なまなざしで「よし、行くぞ」と言って席を立った。

***

「小手川匡志さん、警察です。」荷物を届けて配送車に戻ろうとした小手川を、阿久津がいつもの淡々とした口調で呼び止める。
 「は、はい…。」今は福井県の運送業者で配達員をしている26歳の小手川は、警察を見るや百キロ近くある巨体をピタリと止めた。顔に滴る汗水は、暑さゆえか、それとも・・・?
「何点か聞きたいことがあります。神奈川県警が福井まで来るということは、察しがついてるんじゃないですか?」と阿久津は揺さぶりをかける。
 「いやあ・・・分からないです・・・。」
「とりあえず、車の中へどうぞ。」落合の促しに、小手川は素直に従う。

 阿久津と落合は、2021年11月末に急遽亀田運輸を退社したこと、誰にも行き先等を話さず携帯も変えたこと、相良真帆の痕跡が残っていた毛布が以前亀田運輸で使っていた配送車に残っていたこと、埼玉県の空き家に何度も足を運んだことなどについて問いただした。しかし小手川は答えを悉くはぐらかし、明確な成果は得られなかった。ただ、河村の写真を見せた時に一瞬だけ表情を変えた。その目に恐怖が宿っていたのを、阿久津は見逃さなかった。
 小手川の勤め先の社長にも事情を聴いたが、彼も肝心なところでは口を割らない。ただ、彼の方は河村ではなく、強羅の写真に反応した。

「真帆さんの失踪について何らかの事情を知っている小手川が口を割らないように、河村と強羅が独自のコネを使って遠くに追いやった、てことですかね。」
 「まあ、そんなとこだろう。ある程度の口止め料も渡してあるんだろう。」
 阿久津はそう言って、金沢駅で出発時刻を待つ北陸新幹線の車内で缶コーヒー口にした。

「でも何でですかね。河村は結局2件の殺人で捕まって、最悪死刑もあり得る。小手川を黙らせることに何の得があるんですかね。」
 「誰かを庇っているか、より大きな悪事を覆い隠すためか。既に捕まった河村はともかく、強羅は底知れぬ闇を生きる人物だ。」

 次こそは旬のカニを食べに来る!という願望を胸に秘めて、二人は神奈川へと帰っていった。

***

 相良家一家三人失踪事件の捜査本部は、真犯人の逮捕・起訴を受けて一旦解散されたが、複数の新情報が明るみに出てから、再び臨時で設置されることとなった。刑事が次々と報告を上げる。

「亀田運輸の従業員からの情報で、小手川匡志が度々寄っていた埼玉の空き家は、11月4日に火事で全焼しています。建物以外に被害はなく、出火の原因も分かっていません。」

「小手川匡志が以前使っていた携帯電話の所在は分かっていませんが、番号の通信履歴から、10月中旬から11月中旬ごろまで、相良真帆さんのものと思われるプリペイド携帯と通話やメッセージの送受信が行われていたことが分かっています。」

「真帆さんのプリペイド携帯は、河村は海に棄てたと証言していて見つかっていません。記録によると、真帆さんが携帯を手に入れたのは2021年の7月。また小手川以外に、同じ団地に住んでいたママ友の菱田朋子ともやりとりをしていたようです。今後菱田への聞き取りを行います。」

「河村は10月15日に真帆さんを殺害して以降は、真帆さんに成りすましてやりとり中だった数人にメールを送っていたと言っています。ただし、メールの内容からして、少なくとも10月中の送受信は真帆さん本人の可能性が高いと考えられます。」

落合も報告をあげる。「防犯カメラの記録などから、小手川が福井にいることを割り出し、接触してきました。彼は11月末に亀田運輸を誰にも告げず退社し、福井県にある小規模の運送会社に転職しています。転職理由を知る人は誰もおらず、彼は事件について話そうとしません。ただ、彼の転職には河村と強羅誠の手回しがあったと考えられます。引き続き関連を捜査していきます。」

***

「日野っち、何から何までありがとうね。色々苦労をかけてすまない。あと、鼓太郎君も石川ちゃんも、たくさん調べてくれて、本当にありがとう。バーソー丼は、僕に請求してくれていいからね。」

 相良凌介は笑って言った。日野は、阿久津から連絡を受け、捜査の大枠を知らせてもらった。阿久津は凌介に連絡しようとしたが、日野は自分から先に話すと言って阿久津を説得した。真帆が小手川と連絡を取っていたこと、小手川が使っていた配送車の荷台にあった毛布に真帆の痕跡が見つかったこと、埼玉の空き家のこと、真帆のプリペイド携帯の記録から菱田とも連絡を取っていたことなど、一連の新情報を日野は凌介にくまなく伝えた。

 「なんか、すべてが終わったと思ったのに、また凌介の苦悩が続くと思うと、本当は伝えたくなかったんだけどな。光莉ちゃんも篤斗君も、必死に前を向いて、頑張って生きているのに。」
「いや、それは違うよ、日野っち。本当に何があったか、それがちゃんと分かって、初めて僕も光莉も篤斗も、本当の意味で前を向いて生きていける。また真帆にとっても、真実が語られていくことが大切だと思う。これから大変になるかもしれないけど、鼓太郎君も色んな細かいところに気付いてくれるし、石川ちゃんも以前の二宮さんみたいにバリバリ働いてくれるし、日野っちは相変わらずここ『至上の時』で皆を支えてくれる。そして何より、また毎日、真帆がそばにいると感じながら生きていけると思うと、そんなに辛くもないか、て思えるんだよ。」
 「凌介、お前は強いよ。」
  「あの、私たちにできることがあったら、何でも頼んでくださいね!」と石川が言うと、
   「石川さんは、必要があれば二宮さん以上に女を使って解決してくれるんで。」
  「え?」
 「これは本当。」
「おお!それは心強いなあ!」
四人は一斉に笑った。凌介は続けて言った。

「あ、鼓太郎君、ちょっとお願いがあるんだけど。」
 「はい、何ですか。」
「実は、菱田さんから話がしたいって僕に連絡が来てたんだ。事件のことで、もう一度ちゃんと伝えたいことがある、て言ってて。明日会うんだけど、鼓太郎君も一緒に来てくれないかな。」
 「分かりました。良いっすよ。じゃ、僕たちは先に。」
そう言って望月と石川は席を立った。

「よし、じゃあ、もう一杯飲んでから帰ろうかな~」
そう言っていつもの「バーボンソーダ・濃いめ」を頼むと、凌介は本棚から小説を一冊取り出して読み始めた。

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