第七幕『女性実業家』

「これ。娘さんだったんですね。」
 「まあ、科学がそう言うなら、そうでしょうね。」河村は阿久津と目も合わせず面倒臭そうに答える。
「あなたは娘さんの犯行だと分かって、それを庇うために自分がやったというストーリーをでっち上げている。はい、いいえ、どっち?」
 「いいえ。私がすべてやりました。」
「河村さん、10月15日に真帆さんを資料室で殺害したことは嘘だと分かっています。いつ、どこで、どのようにやったんですか?」今度は落合が聞く。
 「結構前なんで、微妙な点で思い違いはあるかもしれませんけど、資料室で殺したのは確かですよ。」
 薄笑いを浮かべながら答える河村に、協力する気がないのは明らかだった。その後、本木陽香や本木の母親との関係性についても尋ねたが「知らない」「覚えていない」の一点張り。
「そんな程度じゃ、良い小説は書けませんよ、刑事さん。でも、調べ甲斐のある謎じゃないですか。その謎を自分で説いて、良い小説が書けそうなら、私も協力しますよ。私は今、これを書くので忙しいですから。」そう言って河村は書きかけの「魔界」という小説の原稿用紙の束を振りかざした。
 今日はここまで、と言わんばかりに阿久津と落合は留置所を後にした。

***

 淀川の河川敷を歩いていた二宮瑞穂のスマホが鳴る。
「もしもし、一星?久しぶり。」
 「ああ、瑞穂ちゃん久しぶり。大阪はどう?
「おお、絶好調やでー。もうたまらんわー!」瑞穂はわざとらしく大阪弁で答える。「で、どうしたの?」
 「まあ、事件がいろいろ進んでるし、近況報告的な。」そういって橘は、凌介や望月などから聞いた情報を二宮に伝えた。
 「で、昨日、警察が俺のところに来た。そして衝撃の事実を知らせてきた。本木陽香が、河村俊夫の娘だったって。」
「え!!!?何それ?」
 「そう、俺も全く同じリアクション。さっき言った埼玉の空き家の近くのNシステムのカメラに、陽香と河村が運転してる車が映ってたらしい。警察の見立てでは、陽香がその空き家に行って真帆さんを殺害して指輪を奪って、スマホを置いたのと同時に指輪も投げ捨てて、その後に河村が空き家に向かって後処理をして陽香の罪を被ってるって。」
「で、警察は何で一星のところに?」
 「俺が6年以上前から陽香と繋がってるから、家族のこととか知ってるか、て。」
「一星は本木がやったと思う?」
 「流石に殺人まではないと思いたいけど、分からない。」
「一星は、これまでずっと彼女を庇ってきた。でもそれは、本木陽香への優しさではなく、結局保身でしょ?自死から救ったのは勿論正しいけど、その後に『シンデレラ』とかふざけたこと言って、それがきっかけで寄生虫みたいに一星にくっついて、色々人を攻撃して傷付けてきた。そこに自分の責任があることを認めたくないから庇ってきたんじゃないの?」
 「・・・そうかもしれない。」
「で、彼女の生い立ちとか、家族のこととか、何も知らないの?」
 「うん。両親は既に死んだって言ってて。里親や施設を転々としながら育ったことは知っているけど、それ以上詳しいことは何も…。」
「そう。でも、もし本当に本木が殺しをやっていたら、それを庇うのは絶対に間違ってるからね。一星は、彼女の罪にいつも言い訳をつけて、彼女は悪くない、自分が悪い、とか言ってきたからね。今では、全体の事件が、私たちが思っていたのとは違うかもしれない。一星は、そこを明らかにして、彼女がちゃんと裁かれるようにする義務があるよ!」
 「うん、そうだね・・・。」
「もうさあ、一星の訳の分からんプライドとか、救世主とか親孝行な息子のイメージだとか、そういうの全部捨てないと、本当取り返しのつかないことになるから。」
 「うん、だから、瑞穂ちゃんに相談した。そうやって、俺のこと全否定してくれるからね。」
「おう!いつでも全否定したるわ!」
 「はい、ありがとう。」

***

 橘一星は、週刊追求の事務所に来ていた。目の前には、カメラを構えていた両角猛と、手帳にメモを取る準備をしている上原啓太がいた。
 「久しぶりっすねぇ、キラクソさん!」両角猛が上機嫌に言う。
「ここに自ら足を運ばれるとは、どういった風の吹き回しですか?」と上原が柔らかめのトーンで尋ねる。
  「追求の皆さんも、ある程度ご存知だとは思いますが…」そういうと、二宮に説明したのと同様に、事件が迎えた新展開の概要を述べてから、警察から河村と本木が親子だったと知らされたことを告げる。これには追求の2人も唖然とした。

「それで、河村元編集長と本木陽香の関係について調べたい、とのこと。因みに、本木陽香さんについて、一緒に『恋愛ごっこ』みたいなのしてた時とか、些細なことでも何でもいいんで、何か情報ありますか?」上原が尋ねる。
  「生い立ちについては、全然話してくれませんでした。小さい時に両親がなくなった、とだけ。あとは、時々興奮した時に秋田弁が出るってことぐらいですかね。」
 「ほう。じゃあお母さんが秋田出身、とか。」両角がこぼす。
「ちょっと、調べてみましょう。ちょうどこの前、資料室にあった昔の記事などの完全デジタル化が終わったんですよ。簡単に検索できるようになってますし、『秋田』で引っかからなければ、元編集長が書いた記事を全部辿っていけば、何か出てくるかもしれません。」
 「それ、どんだけ時間かかるんすか。」と両角がつつく。
「時期はある程度絞れるので、そんなにかからないと思いますよ。ちょっと待ってください。」そう言って上原はノートパソコンを持ってきて、カタカタ打ち込む。
「本木陽香が生まれたのは1998年。元編集長が追求に入ったのは95年。とりあえずその期間で検索・・・。おお、候補が出てきましたね。河村元編集長が書いた記事で、『秋田』が含まれるものが9件。」
 「グルメとか観光名所の記事ばっかっすね。」一緒に画面を眺めている両角が呟く。
  「ん?これ、開いてみてください。」橘がある記事を指差す。

――1997年2月号『若さと嗅覚で男社会に切り込む敏腕女性実業家』――

 そこには、「熊澤静香」という名の女性実業家の活躍ぶりが書かれていた。1991年に大学のために上京してきた彼女は、在学中に横浜市内にカフェをオープン。その後、株の売り買いなどで資金を集め、潰れそうになったバーやクラブなどを次々と買収して立て直し、数年後には横浜と東京の歓楽街に計20店舗以上を所有するまでに至ったそうだ。
 旧来の縄張り意識と利権で動いていた経営者が多くいた中で、彼女は斬新なアイデアと堅実な経営を通して実力で成功を収めていったそうだ。

「なかなか優秀な人ですね」と上原が言うと
 「でもこういう新キャラって、あっけなく消されたりするんすよねぇ」と両角がシニカルに返す。すると自分のノートパソコンを取り出し検索をかけていた橘が、目を丸くして言う。
  「あ!両角さんの言う通り!これ!」
 2人は橘のパソコンに一斉に目をやった。そこで橘が見つけたニュース記事は、熊澤静香の死についてだった。2003年10月、名古屋市のホテル一室のベランダから転落死。享年30歳。警察は事故として扱ったそうだ。
  「家族のことや、子供がいたとか、そういうのは全然出てきませんね。」と橘が言うと、
「元編集長は、その記事以来、熊澤静香については何も書いていませんね。」と上原が続く。
 「でも秋田出身、『香』の字が一緒。これ、あり得ますよ。」と両角。
「彼女が経営していた店の多くは、横浜市中区に集中していますね。20年以上やってる店を調べて、当たってみますか。」
 「よーし、行こう!」両角がそういうと、上原と両角は早速出かける準備をした。橘もつられるように同行した。

***

 横浜市中区での聞き込み調査は難航した。熊澤静香について知っている人はいても、それ以上証言したがる人がなかなかいない。ある居酒屋の店長が「ここを真っすぐ行って左に曲がれば、小さな路地があって、三件目ぐらいに雀荘がある。そこのオーナーならきっと話してくれるよ。」と教えてくれた。

 雀荘のオーナーは、白髪で覆われた頭下げて挨拶し、人の気配を気にしながら、しわだらけの手で奥の方を指し、3人を中へと招き入れた。

「熊澤静香。その名前を聞くのは随分と久しぶりだ。最初に横浜で店を出すってなった時に、色々手伝ってあげたし、その後も一緒に飲みに行ったり、他の店長といざこざになった時に仲裁したりしたよ。彼女ほど優秀で、客のことを考える素晴らしい経営者はいなかった。でも女ってだけで不利に扱われた。複数のオーナーがグルになって彼女の事業の拡大を阻止しようとしたこともあった。静香が死んだとき、警察は事故として処理したが、消されたのは誰の目にも明らかだった。」
 「消されたって、誰にですか?」上原が聞く。
「椚田財閥だ。この辺の暴力団と関りが深く、色々な事件の裏にいると噂されている。今では勢いも衰えてきたが、未だに密接に繋がってる店も結構あるからな。儂はもうこんな歳だし気にせんがな。まあ、おたくらも、もし記事にするなら、気を付けろよ。」
  「あの、つかぬ事をお聞きしますが」と両角が口を挟む。「男遊びについては、静香さん、どうでした?」
「ある程度は派手にやってたよ。でも、だらしないという感じではなかった。自分の事業拡大のために戦略的にやっていたんだ。女として、男には常に足元を見られるし、露骨な妨害もあった。でも彼女は、度々関係を持って、その男らをコントロールすることで対抗していったんだよ。」
 「因みに」今度は上原が割って入る。「娘さんが居たという話は?」
「ああ、いたよ。儂も何度か会ったことがある。誰の子かは誰も分からない。でも、娘さんができてから、静香は男遊びをやめたんだ。それによって、同業他社の男どもからの風当たりがきつくなったが、それでもめげずに事業を拡大していった。その中で、静香も自分の命がいつ狙われるか分からないと考えたのか、死ぬ一年ぐらい前から、娘さんの世話を知り合いにほぼ全部託すようになった。静香が死んでからは、そのまま引き取られていったと思うが、結局どうなったか儂は知らん。」
 「娘さんって、もしかしたら、この人ですか?」上原が写真を見せる。
「ああ。だいぶ前だし、小さな子供だったから分からないけど、面影はあるな。」
 「この人、名前は『本木陽香』です。」
「ああ、思い出した。そう、ハルカちゃんだった。なぜその苗字になったかは知らんな。」

 雀荘のオーナーにお礼を言ってから、3人は週刊追求のオフィスに戻った。淹れたてのコーヒーを嗜みながら、上原が切り出す。
「とりあえず、熊澤静香が本木陽香の母親であることは確定ですね。おそらく、元編集長は取材しているうちに仲良くなって、そういう関係を持って、陽香が生まれた。」
両角が割り込む。「でも当時の元編集長は、20代のペーペー。財閥グループの大物とつるむような女性と堂々と交際したり、ましてや結婚なんかできるわけがない。」
「元編集長は、熊澤さんに絡んでる闇の勢力にビビッて、そのことを書かなくなった。そして数年後に転落死。その後の陽香の動向がまだ不明ってところですね。」
 「どっかのキラクソ・・・あ、いや、王子様と出会うまでは。」両角は厭味ったらしく言う。
  「ちょ、両角さん。今は一緒に協力してんすから、そういうのナシで行きましょうよ。」
 「分かった分かった、ごめん。」
  「陽香は、そこそこ良い私立の学校に行ってたし、河村さんかは分からないですが、誰かが手厚く援助していたのは間違いないと思います。」

「で、これからどうします?」上原が問いかける。
  「週刊追求さんの方針とは相容れないかもしれませんが、今日分かったことは警察に言った方が良いと思っています。我々が得た情報から、警察だけがアクセスできるところもありますから。
「まあ、今回の目的は事件の真相解明で、まだ記事を書くわけじゃないんで、いいんじゃないですか?」と上原。両角も頷く。
 橘はコーヒーを飲みほしてから軽く一礼し、週刊追求の事務所を後にした。

***

カタカタカタ・・・カタカタカタカタ・・・カタカタカタカタ、カタン、カタカタカタカタカタカタ・・・

 静かなオフィスに響くキーボードの音。その音の主は、海江田順二。株式会社プロキシマのプログラマーだ。終業時刻をとっくに過ぎたプロキシマのオフィスには、海江田の他に社長の橘一星と、Webデザイナーの相川誉も残っていた。
 「一星、これ無茶だよ。てか、これでオリジナルを突き止めたところで、違法な情報入手だから警察は証拠として使えないよ。」相川がなだめるように言う。
「分かってる。でも、まずは真実を突き止めること。俺らが今ハッキングしようとしているのは、所詮犯罪者のデバイスだ。真実を突き止めて、それを警察に言えば、そこから犯人をちゃんと罪に問うように警察が正規の方法で辿り着いてくれるはず。海江田さん、どう?」
  「時間はかかるけど、今のとこ順調そのもの!俺は、社長が言うならできることは何でもしますぞ!」

 橘と海江田がやとうとしていたのは、等々力茉莉奈所有の車のSDカードに映った林洋一殺害のシーンの加工動画のオリジナルの特定だ。SNSには、橘が林の首を掻っ切るところが一瞬流され、すぐに削除された。プロキシマではその動画をすぐに保存していたが、それ自体は当然加工後のコピーで、そこからオリジナルを割り出すことはできない。まず動画をアップしたアカウントを辿り、動画アップが行われたデバイスを突き止め、そのデバイスにハッキングしてデータを抜き取る。そこにオリジナルが無ければ、所有者のメールをハッキングし、コピー動画の送信データから送信元のデバイスを割り出し、そこを再びハッキングする。これの繰り返しだ。

 「じゃ、あっしは先に失礼しますね。」そう言って相川は退社する。
「お疲れ!」ハモるように言うと、橘と海江田はそれぞれパソコンに向かって作業を続ける。暗闇に包まれたオフィス街で唯一灯りがともった窓の向こうで、カタカタカタ、カタカタカタと、明け方まで延々となり続ける…。

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