第九幕『天誅』

 2021年11月3日、失踪中の相良光莉のスマホの電源が入ったことを凌介から聞いた河村は、カメラマンの両角と共に群馬に向かった。警察による捜索が終わり、もう夜になっていた。帰ろうとしていた河村は、一本の電話を受ける。

「両角ちゃん、ごめん。今急用が入った。近くの駅で下ろすから、悪いけど電車で帰って。今ならまだ終電あるから。」

 河村は電話で聞いた住所へと車を走らせた。周りに何もない寂しげな場所に、ぽつんと立っている空き家があった。鍵は壊されていて、中に入ると一人の女性が倒れていた。見たことのある顔だった。相良真帆ではないか!脈はもうない。背中に注射針の跡があった。河村の電話が再び鳴る。

「どういうことだ!なぜ相良真帆を!」
 「娘さん、今回は、勝手にやったみたいですよ。北関東で時々仕事を頼むことがあって、その時に使っていた空き家が乗っ取られてて、鍵も変えられていたから。最初は指輪を奪うだけの予定だったのが、抵抗されてつい、て言ってました。まあ、私が頼んだ仕事以外であんなことをするのはいけませんね。私から厳しく言っときますよ。はははは。」

***

 「俺が大学を卒業して週刊追求で働き始めてからすぐのこと。ある女性実業家と関係と持った。名は熊澤静香。飲食店やナイトクラブなどを経営していて、取材しているうちに仲良くなった。度々会って、記事のネタになるような業界の話をたくさん聞かせてもらった。彼女についての記事も書いた。そのうち彼女は妊娠した。俺も下ろせとは強く言えず、静香は産む決断をした。それが、陽香だ。
 でも、まだまだぺーぺーの俺が、既に名前が通っていた熊澤静香なんかと一緒になれるわけがなかった。一応金銭的な援助は申し出たが、金に困ってなかった彼女は全て断った。
 陽香が5歳の時、静香は名古屋のホテルで転落死した。闇の組織に消されたことは明らかだった。椚田財閥、成見沢興業などの大手グループは、彼女の台頭によって縄張りを侵食されていた。当時の俺には、そんな大物に太刀打ちできる力はなかった。
 静香は自分が狙われていることに気付いて、陽香を既に友人に託していたが、その友人も奴らに取り込まれていった。椚田や成見沢と関係のある大手企業のOBで、本木茂男って奴が陽香の養父になった。何も分からない陽香を使って、静香が築いた事業も財産も、全部あいつらが呑み込んでいった。
 陽香は基本的に施設暮らしだったが、うまく馴染めず逃走や暴力沙汰を繰り返した。そして中学になった時、あいつが俺に提案してきたんだよ。今思えば、まさに悪魔の囁きだった。『私が面倒を見てあげましょうか?幸せにしてあげますよ』て。

「あいつって?」ずっと静かに聞いていた凌介が河村に尋ねる。

 「強羅誠だよ。社会の闇と、あいつほど繋がってる奴はいない。まさに『魔王』だ。ただ、その時の俺はまだそこまで知らなかったし、悪い噂がまとわりつく連中の中でも、まだマシな方だと思っていた。どうせ陽香はロクな大人に引き取られるはずもなかったし、これ以上酷くなることも想像できず、あいつに任せることにした。
 そしたら強羅は、陽香に『仕事』を与え始めたんだ。最初のうちは尾行や盗聴、盗撮程度だったが、そのうち窃盗や恐喝、時には殺しもやってたかもしれない。逐一把握してたわけじゃないが、ありとあらゆる犯罪に使われてたんだよ。陽香は優秀だった。うまくやったら褒めてもらったし、生き甲斐も感じてた。まあ、少なくとも強羅は俺にそう言ってた。後で、一星から自殺未遂の話を聞いたら、本当はそういう生き方が間違ってることを知ってて苦しんでたのかもしれないけどな。」
「橘君との関係については?知らなかったのか?」
 「ああ、全く知らなかった。強羅もかなり後で知ったらしい。闇の世界で悪事に手を染める陽香にとって、一星との関係は一時のオアシスだったんだろう。まあ、あいつが王子様に見えたのも、当然かもしれない。
 そうこうしているうちに、俺は編集長まで昇りつめて、仕事も急激に忙しくなっていった。ここ4-5年は、陽香については俺から聞きに行くことはほぼなくなった。記憶から消そうとしていたわけではないが、もう俺にはどうにもできないって、半分諦めてたんだ。
 そしたら、3人の失踪事件で群馬の山奥に行った時、帰る直前に強羅から電話があった。埼玉にある空き家にすぐ来てくれ、父親として見といた方が良いって。まさかだよ。何で真帆ちゃんが…。あとで分かったが、陽香は以前から便利に使える空き家としてそこに目をつけていたが、亀田運輸のトラックがそこに止まったのをたまたま見たんだよ。そいつを尾行して、運転手から鍵を奪って合鍵を作った。3人が失踪した時、光莉ちゃんが家出だというのは知っていたから、その空き家を思い出して、凌介は亀田運輸勤務だし、世間から隠れるには最適な場所だからそこに何かあるかもって、そこまで勘付いてたそうだ。鍵が変わっていて自分のが使えなかったが、中に誰かがいたのは分かったらしい。明け方に戻って鍵を壊して入り、真帆ともみ合いになった。3人同時失踪に見せようとしていのもあって、目についた指輪を奪おうとした。『家族を捨てたんだから、ちょうどいいよね』て。最後は陽香が押さえつけて、注射で筋弛緩剤を打って気絶させた。俺がついた時には、とっくに息絶えてた。
 絞殺に見せかけるために、俺は力いっぱい真帆ちゃんの首を絞めた。それから遺体と、持ち物も全部まとめて車に乗せて、週刊追求の資料室にひとまず移してから、強羅にエンバーミングを頼んだ。今まで陽香は、強羅の指示で色んなことをしてきたけど、今回は完全に自分でやったことだ。だから、俺が背負うしかないって思ったんだ。彼女がこうなったのは、俺の責任も大きいからな。今回のは流石に強羅も呆れてかなり厳しく叱ったらしいが。まあ、陽香をそんな風にしたのはどこの誰だ、て話だがな。
 それで、エンバーミングも陽香に自分でやれって強羅が指示した。今までにも手伝ったことはあったし、葬儀屋で働いてたから遺体の扱いには慣れていたけど、自分でやるのは初めてだったらしい。腕前は実に見事だった。
 真帆ちゃんの遺体を見つけたのが11月3日。強羅が遺体を引き取りに来たのが4日。5日に空き家に行ってみたが、完全に燃やされてたよ。強羅が誰かを使ってやったんだろう。
 あとは、お前の言う通り、真帆ちゃんを埼玉まで連れてった小手川って奴を見つけた。真帆ちゃんが使ってた携帯の履歴から分かった。金を渡して、ここから遠く離れた場所にある運送会社に転職先を強羅に紹介してもらった。お前が言った通り、黙らせるならちゃんと黙らせれば良いって強羅も言ってたよ。俺は、陽香の殺しを俺に後処理させたんだから、こっちの処理も俺のやりたいようにやらせろって何とか言いくるめた。」

***

「失礼します。週刊追求編集長の河村と申します。」
 「あ、はい、どうも。」
「実は、炊飯器失踪事件と関連して、橘一星さんを取材していまして。橘さん、ここのパン屋によく来るって聞きましたから。彼、家族がいなくなった相良凌介さんと協力しているんです。」
 「ああ、そうですか。光莉ちゃんと仲良かったですからね。」
「光莉さんと最初に出会ったのも、ここって聞きましたが。」
 「そうなんです。二人とも、うちのアンバターフランスをとても気に入ってくれて。夕方頃に、売り切れる前に最後の1個をゲットしようとたまたま同じ時間に来て、譲り合っているうちに仲良くなって。その後も一緒に買いに来たり、一緒に食べたりしてました。」
「光莉さんがいなくなってからは、買いに来てますか?」
 「橘さんは、今でも時々来ますよ。この前も、いつものアンバターフランスを2個買っていきました。」
「2個ですか?なるほど・・・。」

***

 「俺にとっても、全体がパズルみたいで、まだフレームもぼんやりとしか見えてなかった。空き家に居たのは真帆ちゃんだけで、光莉ちゃんも篤斗君も居場所がさっぱり分からない。携帯の履歴から、真帆ちゃんが単独での家出だったのは分かった。でも、それなら何で指輪があった所に光莉ちゃんのスマホもあったのか?訳が分からなかった。因みに、11月いっぱいは、真帆ちゃんになりすまして菱田さんとは何通かメールした。
 世間は3人同時失踪だと思ってる、だったら俺もそのように見せかけよう、てなったんだ。そのために、子供達2人の居場所を先に突き止める必要があった。まずはローファーとスマホ、明確な痕跡が出てきている光莉ちゃんを優先させた。そして光莉ちゃんと付き合っていて、3人同時失踪をやけに強調している一星に目をつけて、週刊追求プレミアムの記事にするという名目で色々調べたんだ。一星と光莉ちゃんがよく行ってたパン屋に話を聞いたら、一星が最近アンバターフランスを2個買ってたらしい。てことは、光莉ちゃんも一星と一緒にいるんじゃないか?と思って。後は講堂で話した通りだ。脅迫文を送ると、素直に従ってくれた。
 でも、一星にあれこれ指示を出してたのには、もう一つ理由があった。群馬のスマホと指輪の件から、陽香と一星も繋がってるって疑ってた。そして、光莉ちゃんの監禁を偽造した動画で、それが確信へと変わったよ。あの背景の血の塗り方は、完全に陽香だった。
 俺は施設に入ってた陽香に会いにいくことはなかったが、動向は常に気にかけていたし、作品展なんかにこっそり足を運んだこともあった。芸術の才能があるとは聞いていたが、かなり独特のセンスだった。血しぶきや暗闇などをイメージした作品が多かったんだ。
 あと、俺は光莉ちゃんが一緒にいることを凌介に教える動画を送るように言っただけで、背景をああしろとか、両手を縛れとか、そのようなことは何も言ってない。その後の指示でも、俺が実際に送った脅迫文の内容を超えた残酷なものになっていた。俺が『光莉さんがこの文章を読み上げる動画を作れ』と指示したのが、棺桶の中で拷問された状態で読んでたし、『光莉さんの血を新居にまけ』ってのも、わざわざ書かなかったが俺は当然赤いペンキか何かを使うと思ってたのが、実際に大量の血を抜いてたからな。あれは、光莉ちゃんに申し訳なかった。」

「何でわざわざそんな指示をしたんだ?」

 「俺の小説のためだよ。12月ぐらいから書き始めてたんだ。この事件をノンフィクション小説にしようってな。それで、犯人候補は色々いたし、誰でも良かった。もし全部ダメだったら、俺が犯人として捕まれば良い。そうやって小説を書き続けているうちに、小説の流れに沿うような出来事を起こそうって思うようになっていった。お前が世間に疑いの目を向けられる、そして精神的に追い詰められていく。その流れを崩すわけにいかなかった。だから一星の脅迫は続けたんだ。ただ、あまりにも陽香がやり過ぎていたから、光莉ちゃんが解放されるプランを練ろうとした。そしたら一星の奴、俺よりも先に自分で実行しやがった。
 篤斗君に関しては、概ね講堂で話したとおりだ。過去にあった事故から中村圭樹君を割り出し、そこから木幡由美と『かがやきの世界』に辿り着いて、教祖と取引をして篤斗君を返還させた。まさかあんな風に返すとは思ってなかったがな。」

「林君は?あれも、陽香さんがやったのか?」

 「ああ、そうだ。一星や瑞穂ちゃんが林をやけに疑い出してたから、あいつは俺の中で犯人役の第一候補になっていった。俺は過去の真帆ちゃんとの不倫も知っていたし、林は外面は良いが肝心な所で保身しか考えないよう奴だから、行動も読みやすい。こいつでいいや、て思ったよ。林に真帆ちゃんの財布が入ったロッカーの鍵を送り付けてハメたのも勿論俺だ。
 林が死んだ夜、俺がお前に電話かけたの、覚えてるだろ?言った通り、一星が居場所を突き止めて情報をくれたんだよ。そしたら、また電話がかかってきたよ、強羅から。『林さんを探してるんでしょ?ここに行けば会えますよ。あ、運良ければ、娘さんにも会えるかもしれません』てな。
 例のガソリンスタンド付近に行くと、闇の中を走り去っていく女の影が見えた。はっきりとは見えなかったが、陽香だって分かった。陽香が出てきた方へ行くと、洗車機の中に赤い車が見えた。その中に、頸動脈を切られていた林が居たんだ。すぐに強羅に掛け直したら、あいつはこう言った。『どうされます?お父さん?SDカードは抜きとったので、動画はいかようにも編集できますよ。今回は、娘さんわざわざ左手でやったみたいです。』
 俺が書いているストーリーどおりに行くなら、この殺しも俺が被る運命なんだと思った。そこに置いてあった包丁を手に取って、腹や胸を11回刺した。包丁の後始末は既に話した通り、菱田さんを使った。菱田さんを脅して色々やらせたってのも、俺で間違いない。林殺しは、おそらく等々力からの依頼だろう。SDGsタウンの件での大規模な贈賄が暴かれたし、あいつは保身のために全部喋ろうとしていたしな。
 あの後、強羅の奴を問い詰めた。『殺しで人は幸せになんかなるのか』て。『だから死刑制度がある』とか訳の分からんこと言ってはぐらかしてたけどな。真帆ちゃん殺しは俺が罪を被る。林殺しも俺で構わない。でも、真帆ちゃんが大切にしていたお前ら家族は、これ以上傷付けることは避けたかった。だからお前と子供達だけには手を出すなって、釘を刺した。まあ、釘を刺したというか、札束握らせて逆に相良家を守るよう依頼したんだ。それが、あいつのやり方だからな。ああ、あとその時に、林がつけていた時計を渡されたんだ。それだけは奪うように陽香に頼んでたらしい。
 あとは、ほとんど既に話した通りだ。一星が勝手に芝居を打って光莉ちゃんを解放した。その後俺は、警察が客観的に分かる方法で陽香の情報を教えた。少しでも早く逮捕してもらうためにな。」

「何で娘の逮捕を手伝った?」

 「流石に、これ以上殺しを重ねてほしくなかったし、一星と一緒に居た頃は、一星がブレーキを掛けていた部分もあったと思う。それが外れた今、光莉ちゃんにだって何をするか分からない。強羅は当然陽香の家は知っていたから、陽香の逮捕と同時に強羅をそっちへやって、一星を解放して罪を被るように脅迫文を渡した。
 一星が至上の時で盛大に芝居を打った時は、うまく行ったと思ったよ。でも、細かいところで辻褄が合わないのをお前が一早く気付いたんだ。だから最後の犯人候補として二宮瑞穂に目を付けた。林が昔分かれて自殺した彼女がいたってことは知っていたが、調べていくうちにそれが瑞穂ちゃんが姉さんだって分かってな。それでやっと時計の意味も理解した。
 だが、最後はハッキングされて、小説のデータを抜き取られた。あれでもう観念したよ。凌介が真実に辿り着き、俺が首謀者として捕まる。それで良いと思った。そして、今に至る。

 これで全部だ。俺の知ってることを全部話した。あとは、もうお前に任せた。どうせ、全部録音されているのは知ってる。お前や、警察で、好きなように処理すれば良い。ただ、こんなことを言える立場じゃないのは承知だが、陽香にはできるだけ寛大な処置をお願いしたい。」

「ありがとう、河村。これが正しいんだよ。絶対にそうだ。お前の告白は無駄にしない。そして陽香さんのことも、何とかする。」

 「ありがとう。ああ、凌介、もう一つ。この住所、警察に伝えてくれ。」河村はそう言うと、ペンを取り出して紙に綴った。そして低い声で言った。

 「そろそろ、魔王も天誅を受ける時だ。」

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