最終幕『魔界』

 長野県軽井沢町。山奥の林に囲まれた邸宅の周りに、無数のサイレンと警官の怒号が鳴り響く。数分後、1発の銃声が聞こえた。警察が踏み込むと、身長の低い小太りの男が一人、頭から血を流して倒れていて、その場で死亡が確認された。
 建物の中からは、エンバーミングされた遺体が数体出てきた。警察が把握している行方不明者であることが一目で分かる遺体もあった。そのうちの一人は、井上幸作だった。彼は住愛ホームの社員で、林洋一の上司だった。林の死後、勤務中に急にいなくなり、そのまま行方不明となっていた。

 強羅誠。財界・政界の大物や暴力団と広く繋がりながらも、あらゆる層の人間から「依頼」を受け、時には自分で実行したり、或いは手下を使ったり、闇の世界で何十年も暗躍してきた。一部の人達の間で「魔王」と呼ばれた彼は、人の命を何とも思わぬ冷徹さとは裏腹に、表向きは愛嬌に溢れ、本名を平気で晒してPTA会長をやったり団地に住んだり、「表」の世界でも存在感を放っていた。
 彼は複数の別荘を隠し持っていたが、河村はそのすべてを調べ上げていた。また強羅は持病が悪化し、思うように身動きが取れず、医師からも先は長くないと聞かされていた。その情報も入手していた河村は、強羅の居場所を絞り込むことができた。娘の罪を背負って裁かれようと覚悟していた河村だったが、凌介の渾身の説得によって翻意した後、強羅の情報を警察に売った。
 どうせ先も長くなく、拘置所に入れられて取り調べを受けたり、法廷に立ったりするのは自分の性に合わない。そう思った強羅は、自分の喉下から真上に銃口を向け、いつもの不気味な笑いを浮かべながら引き金を引いた。

 ある人からは愛され、ある人からは酷く恐れられ、またある人からは愛と恐れの両方の念を同時に持たれた「魔王」にとって、あまりにも呆気ない最期だった。

***

「あなたの本当のお父さんが、すべて喋りましたよ。」阿久津が低い声で語りかける。
 「本当のお父さん?何それ?一日も一緒に住んだこともないし、あたしに会いに来たこともない。まあ、別に会いたいとか思ってませんでしたけど。母とずっと昔に何回か一緒に寝たからあたしの父なんですか?馬鹿馬鹿しい。」口の奥に何かが引っかかったようないつもの口調で、陽香は吐き捨てて言った。
「あなたが、強羅誠さんの下で色々働いていたと聞きました。強羅さんは、あたなにとってどんな存在でしたか?」
 「はい。あたしにとっては父親みたいでしたよ。実際は『強羅くん』て呼んでましたけどね。彼もあたしのことを娘のように思ってくれてたはず。仕事を与えてくれて、うまくできたら褒めてくれて…。」
「どのような仕事ですか?」と今度は落合が挟む。
 「色々ですよ。人を幸せにするためのお手伝いです。」
「具体的には?」
 「知りたいですか?・・・教えませええええええん!」大声でそう言う陽香に二人の刑事は一瞬尻込みする。

「もう一つ、お知らせがあります。」阿久津はそう言ってからしばらく間を置く。
「強羅誠さんが亡くなりました。」
 本木陽香は平静を装ったが、明らかに動揺しているのを見て、阿久津は畳みかけ、彼の隠れ家を警察が特定して取り囲んだところ拳銃で自殺したことを生々しく伝えた。

 「ふ・・・しょうもね。」またまた吐き捨てるように陽香はこぼす。
「ん?何がですか?」落合が聞く。
 「あたしには散々あんなこと言いながら、自分の命はいとも簡単に奪うんだ…。」
「あんなことって、何ですか?」と落合は問いかけるが陽香は構わず続ける。
 「結局皆そうやって、私を助けるとか言いながら見捨てるんだな。一星だって、私の自殺を止めて、シンデレラがどうのとかカッコつけてたくせに、『共依存でした』とか訳の分からないこと言ってあたしを見捨てた。強羅くんも、私の面倒を見るとか言いながら、そうやって私を見捨てて死んでいく・・・。」陽香の目には涙が溜まっていた。

 阿久津は河村が話した事件の真相を、相良真帆殺害と林洋一殺害の2点に絞って陽香に話し、自白を促そうとするが、その話になると陽香は口を固く噤む。阿久津は強羅の死に話を戻した。

「我々がどうやって強羅の居場所を知ったと思いますか?」陽香は何も答えない。
「河村さんが教えてくれたんですよ。強羅のすべての隠れ家を調べ上げていて、持病のことも。そこから、今身を隠すならここしかないって所を、教えてくれたんです。」
 「あいつ・・・」陽香は込み上げる怒りを絞り出すように言う。
 「強羅くんは、私に何かあったらあいつが助けてくれる、実の親だから、とかずっと言ってた。でも全部嘘だった。あいつは親として私のために何一つしてくれなかった。そして私を育てて、生き甲斐を与えてくれた人を死に追いやった。あいつなんか、死んじまえ!」陽香は震えながら吐き出す。

「陽香さん、お母さんのこと覚えてる?覚えてない?どっち?」
 「覚えてますよ。」
「お母さんのこと、好きだった?」
 「はい。」
「お母さんは、19年前に転落事故で亡くなった。しかし、もしあれが事故じゃなくて、命を奪った奴がいたとすれば、さっきの『死んじまえ』よりも更に強い怒りを感じる?感じない?どっち?」
 「そりゃ、もう、感じるに決まってるじゃないですか!」
「その人物が、強羅誠だったとしたら?」
 「え?」
「河村さんは、そいつを追い詰めてくれたんですよ。」

 阿久津は、19年前の転落死の真相を陽香に伝えた。亡くなる数日前に両親に残していたダイイングメッセージのこと、それから愛知県警の協力で行われた再調査のことも伝えた。実は、愛知県警の当時の担当者が既に定年退職し、闇社会とズブズブでない若手刑事が引き継いだだめ、神奈川県警に非常に協力的で、再調査がスムーズに進んだのだった。その結果、陽香の母静香が泊まっていた部屋に出入りしていた男を特定した。その男は別の罪で収監中で、獄中で聴取したところ、強羅誠に依頼されて静香を殺害したことを認めたのだった。阿久津はその全容を陽香に語った。

 陽香は激しく泣いた。自分を育て、自分に生き甲斐を与えてくれた人物が、自分の唯一の家族を奪った張本人だったのだ。そうとも知らず、10年以上も彼のためにあらゆる悪事を重ねてきたことへの後悔、虚しさ、絶望感が荒波の如く陽香の胸を打ちつけた。
 数カ月前に、相良家失踪事件に関連した傷害・脅迫などの罪で起訴された陽香は、橘一星の証言によって「シンデレラの呪い」から解放されていた。今、その更に前から強羅誠によってかけられていた「魔王の娘」の呪縛が、溢れる涙によって解かされつつあった。

 本木陽香はすべてを認めた。

***

「おめでとう!!!」
「ヒューヒュー!」
「二人ともお似合い!!」

 亀田運輸カスタマーサービス部は、共に大きな花束を抱える男女を盛大に祝う歓声で満ちていた。

 「石川ちゃん、こっちの席に移ってきてから本当大活躍なんだから。二宮さんのロスを補って余りある働きぶり!絶好調だとは思ってたけど、まさか結婚相手まで見つけちゃうとはこれは驚いたよ!」鴨井晴子が歩み寄って祝福する。
「あははは!でも、鴨井さんもうすぐ産休に入るんで、その分もっと頑張らないとですね!」石川が鴨井のお腹を見ながら満面の笑みで返す。
 「でも、これで鴨井さんもだいぶ気が楽になったんじゃないですか?」目白小夏が割り込んで言う。「石川ちゃんのおかげで、誰かさん、鴨井さんに会うたんびに顔を背けて不機嫌な態度とることもなくなりましたもんね!」
 「本当だよ。ずっっごく感謝してるんだから。ほら、あんたも、幸せになるんだぞ!」

「っっっっっすね!!!」小峯祐二の陽気な声が部署内に響き渡った。

 石川と小峯が祝福されているのを見届けた太田黒部長は、そっと給湯室に入り、椅子に腰かけた。
「大丈夫ですよ。こんな僕にも、幸せが訪れたんですから。望月君はまだ若いし、真面目で、思いやりがあって、僕なんかよりも何倍も性格が良い。きっと、陽の光が、やさしく照してくれるときが来ます。」
 「あ、どうも・・・。」望月は小声で頷く。
「あ、今日昼から有休とったら?僕が代わりに申請してあげるよ。」
 望月が答えないでいると、太田黒は脳内に電球のアイコンが灯ったかのように口と目を大きく開いて言う。
「そうだ!僕も昼から有休取って、君らがいつも行ってるとこ行こうよ!『至上の時』だっけ?僕が奢るからさ。あ、相良君も誘おうか。男同士で、パーっと飲んじゃおう。どぅ?」
 「あ、それいいっすね!」表情が少し晴れた望月だったが、隣の部屋ではしゃぐ小峯の声がまた耳に届き、鬼の形相で舌打ちしながら支度をしに出て行った。

***

「もしもし、一星?」
 「瑞穂ちゃん、元気?」
「まあ、ぼちぼち。事件のことは全部聞いた。一星もちゃんとやることやったみたいだね。私は今回何もできなかったけど、無事解決して何より。」
 「いや、瑞穂ちゃんがいなかったら、この展開もなかったと思うよ。最初に望月さんが相談したのも瑞穂ちゃんだったし、俺の背中を押してくれたのも瑞穂ちゃんだった。離れていても、瑞穂ちゃんの存在感は未だに僕たちにとってこれだけ大きいんだな、て改めて知らされたよ。」
「はいはい、もうそんなんええから。で、何か用?」
 「うん。実は俺、プロキシマ辞めることしたんだ。アメリカで大学院に行くことにした。プログラミングと経営と、あとはソーシャルワークについてもっと学びたくて。それを報告したくて。」
「ほぇ!これまた何で?どうせまた、何か超絶カッコつけな理由なんでしょ!」
 「いや、俺今までは、人を笑顔にしたい、人の役に立ちたい、そのために自分に何ができるんだろう?て考えながらやってきたけど、俺、自分の感覚で人が求めているものや必要としているものを、勝手に決め付けちゃってたなって思って。本当に、社会の隅々で生きている人たちが、リアルにどんな問題と直面しながら毎日生きているのか、そういうのを一から学び直してから、それを生かしたビジネスをまた将来やろうかな、て思ってる。」
「へえ。やっぱり超絶カッコつけだった。」
 「ちょお、そりゃないでしょ。」
「冗談だよ。一星ならきっとできる。頑張って!」
 「ありがとう!また、ちょくちょく近況報告する。」

***

「第二代プロキシマ代表取締役社長就任、おもでとうございます!!!」

土井光四郎の声と一同の拍手がプロキシマのオフィスに響く!

「ありがとうございます!前のしゃっちょよりも、さらに業績上げるし、びしばし厳しく、でも正しくやりまっせ!海江田君、違法なネトストは厳しく対処します!光四郎は、楽して金儲けしようって考え捨てて、もう少し真面目に働いてくだせぇ!金城君は、2人の見守りお願いねっ!」

 「ちょっ、誉社長、あんま厳しくしないでくださいよ!」と海江田が子供のようなねだり声で言うと、フロアが笑いに包まれる。

 プロキシマは、橘が始めたオンラインサロンを中止し、起業を目指す若者のための支援プログラムの開発に着手。充実したコンテンツと起業後の支援継続を軸に、より絞り込まれた客層に届いていく戦略へシフトした。
 新社長・相川誉の舵取りのもと、プロキシマは次のステージに向かって漕ぎ出していた。

***

「よーし!週刊追求プレミアム、『炊飯器失踪事件―真・真相編』、来週発売に向けて、皆で書き上げるぞ!」週刊追求デスクの飯田修が、長机を囲む他の6人に号令をかける。

 「まあ、これで元編集長、死刑とか無期とかなくなって、数年で出て来れそうで良かったっすね。」
  「脅迫と死体損壊・遺棄ぐらいですもんね。ああ、出所してもこっちに戻って来るつもりはないって言ってましたね。」上原が両角に向けて返す。
 「まあ、今空白になっている編集長職も、時期に埋まりそうですし。ね!」そう言うと両角と上原は前に立っている飯田を凝視した。
「いやいやいや、まだ正式に決まった訳じゃないんで。とりあえず、『真・真相編』、皆よろしく!」

  「あ、強羅誠についても、もう書いちゃって良いですよね?」上原が確認を取る。
 「そりゃそうでしょ。元編集長が何で今まで書かなかったか、そこも大きなポイントっすよ。」両角が後押しする。
  「ああ、あと、橘君、アメリカ行くんだって。それも何か書いてあげようか。」
 「おお!『キラクソ、アメリカンドリームに向かって出発!』とか、どうっすか?キラクソ感が更に増して、良いんじゃないっすか?」
  「いやあ、もうちょっと穏やかに書いてあげましょ。今回の解決の立役者の一人なんだから。」

 数カ月前に『週刊追求プレミアム 炊飯器失踪事件―総決算』を出したばかりだが、悪びれることもなく、他の人が尽力して解決したものを自分たちの手柄かのように書き、世間の盛り上がりと共に懐を膨らませていく。河村が去った後も、週刊追求はあらゆる事件やスキャンダルを通して、世論と共鳴し、また世論を形作っていくのであった。

***

―――
拝啓
河村俊夫殿

 貴殿執筆の小説『魔界』を読了致しました。ここに、不肖相良凌介、謹んで論評差し上げます。
 相変わらず叙述的な理由なく難読漢字を多用する癖が強いと感じましたが、内容には大きな感銘を受けました。一般読者が知りようもない闇社会の事情が、様々な実際の事件の真相と共に克明に伝えられていました。ドラマや小説の中だけでなく、身近にあることとして、読者を強く引き込む世界観が見事に形成されていると思いました。
 記者としての経験を通して培った知識と洞察を存分に活かし、警察やマスコミ関係者でさえ全く知らなかった数々の事件の裏側の真相を実名と共に告発したことには、貴殿の新たな覚悟と信念を見せられた気がしました。等々力、椚田、成見沢など、闇社会との繋がりから多くの人を恐怖に陥れてきた勢力に対する警察の捜査も進み、重鎮を含む関係者の逮捕も近いと報じられています。
 また、自身の娘が、恐ろしい闇の世界の呑まれてしまい、善悪の判断もままならぬ頃からあらゆる悪行に加担させられた悲壮な経験が生々しく描かれていました。出所以来、今まで一切関わりを持てなかった娘さんと真摯に向き合い、互いの情報や経験を共有し合って『魔界』の恐怖と絶望を世に伝える父親の姿は、友人として貴殿をずっと見てきた私からしても、新鮮かつ人情味溢れるものとして、心を打たれました。
 想像を絶するような生い立ちを乗り越え、感情の整理もなかなかつかないであろう中で、自身が見聞きしたこと、経験したこと、携わったことを告白した陽香さんの勇気にも敬意を表したいと思います。
 今後、編集長時代以上に、駅のホームで後ろからいつ押されるか分からない生活が続くかもしれませんが、貴殿の益々の活躍と、陽香さんが長年受けてきた傷が少しでも癒され、父子の良好な関係が続くことを心より祈念致します。

2024年11月9日
相良凌介
―――

「凌介の奴、本にぎっしり書き込んで、律儀に最初から最後まで批評して送ってくれたよ。褒め言葉のオンパレードで、くすぐったいぐらいだ、ははは。まあ、俺からしたら、小説では全く歯が立たなかった相良先生に、こうやって批評してもらえるだけで嬉しいよ。」
 「良かったね、お父さん。」
「ああ、でも陽香、お前のおかげだよ。色々あって訳が分からない中で、勇気をもって話してくれた。実際にその世界を経験した人の生の話ほど、刺さるものはないからな。俺だけじゃ絶対に書けなかった。ありがとう。」
 「お父さんも、懲りずに何度も私を訪ねてくれたから。私が外に出られる頃には、どうせ世界も大きく変わってるし、もともと何度も死のうと思った人生だから。でも、お父さんは気を付けてね。」

 河村は、死体損壊・遺棄と脅迫罪などで懲役2年の実刑判決を受けて服役し、2024年3月に出所した。本木陽香は、2件の殺人事件で起訴されたが、幼少期から受けた凄惨な洗脳や支配などが考慮され、懲役18年の判決が確定した。河村は出所前から陽香と手紙を交換し、出所後は頻繁に陽香が収容されている女子刑務所を訪れ、面会を重ねた。初めは心を閉ざしていた陽香だったが、陽香を守れなかったことを心から悔いる父・河村の姿を見て、自分の罪を被ろうとしてくれた人、そして自分を強羅の束縛から解放してくれた人を、少しずつ信頼するようになっていった。
 河村は獄中で既に自身の経験や情報に基づくノンフィクション小説を書き進めていた。そして出所後は、陽香から実際に強羅に命じられて実行したことや、強羅周辺で見聞きしたことを聴き取って纏め上げ、2024年11月3日に、『魔界』を出版したのであった。それは、相良真帆の命日でもあった。

 「よし。じゃあ、俺は仕事があるから。」そう言って河村は席を立つ。

 「また来てね。」鉄格子の向こうから聞こえる陽香の声は、父親に甘える少女の声だった。

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