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「八咫烏」より

八咫烏(やたがらす)は、口下手だから、黙っている。一言主が、手ぶりをまぜて納得のゆくように話した。処遇条件も語った。
「それで、どうです」「よい」
拍子抜けするほど、あっさりと天鈿女命(あまのうずめのみこと)はひきうけてしまった。
「もうひとつ頼みがある。それに付随して」
一言主は、天鈿女命の顔色を読みつつ、
「あなたの憑き神も頂戴したい」
「当然なことである。巫女がゆけば憑き神もゆく。巫女と憑き神は一体である」
巫女は、それぞれ、自分なりの憑き神をもっていた。樹の霊の場合もあるし、きつねの場合もあり、稲の霊の場合もあり、ふるい先祖の場合もあった。天鈿女命の憑き神は、太陽の霊ということであった。
「ありがたいことだ。お名前は、なんという名です」
「天照大神(あまてらすおおかみ)という」
「良いお名前だ」
一言主はうなずいた。そのとき、天鈿女命の視線が、じっと八咫烏の顔を見つめはじめた。
「お前─」急に目をほそめた。
「天鎮女(あまのしずめ)の息子ではないか」
「似ている。この宇陀の巫女であった天鎮女は、流れて牟婁(むろ)の海族の国へ行ったときいている。その子がお前ではないか」
「‥‥‥」
「相違あるまい。この天鈿女命の目は、人の目ではない。神の目である。お前の血が、どこのたれからきたかは、この目にはありありと見えている」
八咫烏は動揺をおさえかねた。しかし、なおもだまっていた。自分の血のいずれを標榜したほうが有利であるかわからないときは、沈黙しているのにかぎった。混血児として八咫烏が生きてきた智慧であった。


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