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イルカ的知性とレンマ的知性

タヒチに行って美しい海を潜っていたら、もっと海の中で「自由になりたい」と思った。それであれば、一度プロに教えてもらうのがいいのでは、と考えて調べているうちに日本にジャック・マイヨールの弟子だったという人がいることを知る。ジャック・マイヨールがモデルとなった映画『グラン・ブルー』を過去に見たことがあり、彼のエッセイも読んだことがあった。あんなに海の中で自由になれる人を僕は他に知らない。

僕の中では、そんな素潜りとイルカというイメージが強かったのだけど、他の本も読むうちに彼は色々な海底遺跡などを探索していたことを知る。まさか、アトランティスだとか、ムーだとかそんな言葉が出てくるなんて思っても見なかった。それはそれでとてもロマンがあって面白いのであるが、でも、なぜ彼はそれらを見つけたり、それらに引き寄せられてしまうのか。

『海の記憶を求めて』の解説の部分で映画監督龍村仁は、

 本書の冒頭で、ジャックは与那国島の海底にある謎の巨石遺跡に、素潜りで潜ったときに湧き起こってきた”体感"について語っている。実はこのことはとても重要なことで、ジャックの、一見脈絡なく見える人生遍歴、思想や行動のすべての原点がこの"体感"にある、と言っても過言ではない。
 イルカとの交流、素替り世界記録への挑載。水中出産プロジェクト、アトランティスやムー大陸への飽くなき興味、これらのすべてがこの、"体感”に繋がっているのだ。与那国の海に潜ったときジャックは、素潜りはもちろんのこと、ウェットスーツもつけず、裸だった。

「素潜りをしているときは、五感覚に大きな制約が課せられるため、自分をとりまく世界を平静に“知的に"分析する時間は皆無と言っていい。そのとき働く”知覚作用”は、直接的、動物的、瞬間的であり、私に言わせればかなり”正確かつ確実"なものである。潜在意識に入り込んで直感に働きかけてくるこの“知覚作用"がわれわれを裏切ることはめったにない」

僕たちはそういう知性があることをどこかで知っている。よくも悪くも直感なんて言葉は日常的に使われている言葉であるし、その言葉自体を疑問に思う人はない(その人が直感的かどうかは別として)。そして、ジャック・マイヨールはそれを知覚作用だと説明している。それは何か神から与えられた彼だけの特別な感覚なのではなく、きっと誰もが持っている知覚作用なのである。

今、中沢新一氏が提唱する「レンマ学」について自分なりに研究を進めているのであるが、このジャック・マイヨールの“体感”はまさにレンマ的知性と呼ぶことができるのではないだろうか。
しかし、その体感はどのように生まれるのだろうか。そのことについて龍村氏はこう語る。

水深一〇五メートルのグランブルーの世界で、普段は一分間に六〇回である彼の脈拍が、一分間に二〇回に落ちていた。また、体内に残されていた新鮮な酸素が、普段の循環とはまったく違う回路で心臓と脳に集中してくる"ブラッド・シフト”という現象も起きていた。この生理現象は、水生哺乳動物であるイルカには起こっても、人間には起こり得ないと思われていた現象である。イルカと同じ生理現象が全身に起こっているとき、イルカと同じ「知覚作用」が働き、イルカと同じ"知性"が発現しないと誰が言えるだろうか。目には見えない、耳には聞こえない”微細"な情報を一瞬に把握する”知性"がそのとき働くのではないだろうか。
 ダライ・ラマ法王がおっしゃっている。
「私たちが普段“心"だと思っているのは、極めて粗雑なレベルの"心"です。深い瞑想状態に入ったとき、あるいは生命が危機に瀕したとき、逆に活性化してくる心があります。
それをチベット仏教では”微細心”と呼んでいます。この”微細心"こそが、時空を越え、種の違いを越えて自然界のすべての生命を繋いでいる心なのです」

ここで科学的な生理現象と、ダライ・ラマ法王の言葉を引用しているのが面白い。それは、人間の本質とつながっていることを表しているのではないだろうか。

 ジャックの理想は、われわれ人類が、いまの陸生哺乳動物としてのこだわりから解放されて、水陸両性哺乳動物に進化することだ。人間的「知性」とイルカ的”知性"を併せ持った存在に帰還することだ。かつてこの惑屋に存在し、超高度な巨石文明を築いた謎の水陸両性人間の記憶を取り戻すことが彼の夢なのだ。ノンフィクションとフィクションの両方の型を持ったこの本は、まさにジャックのその考え方を象徴している。と言えるだろう。

水陸両用性哺乳類に進化できるのかはわからないが、しかし、人間的「知性」とイルカ的"知性"を併せ持つことはこれからの時代に必要なことなのではないだろうか。人は論理的に考えようするがロゴスだけでは説明できないことがたくさんある。それを無理にロゴスだけでなんとかしようとするから無理があるのだ。そもそも、ロゴスにはもともと二つに意味があり、それは今一般的に使われているロゴスともう一つはレンマである。元はその二つが合わさってロゴスとして形成されていたのだ。

それがいつからかレンマ的知性は失われて、ロゴスはロゴスとして分離してしまったのである。だから、僕たちにはもともとロゴス的知性とレンマ的知性の両方を併せ持っていたのである。それを思い出し、活用することがこれからの時代に必要になってくるのである。

そのことをジャック・マイヨールは海、イルカを通して教えてくれている。まさかこんな形でレンマ的知性の事例に出くわすとは思ってもみなかったが、レンマとは何かを考える時にジャック・マイヨールの生き方はとても参考になるのではないだろうか。そして、きっと多くの人たちが、ジャックのように生きたいと思っているのではないだろうか。

もう一度自然と一体になりたいのだと。その頃に還りたいのだと。

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