見出し画像

セイントアンガーでありたい

リーガルリリー『Cとし生けるもの』ツアーファイナル
2022/02/08 中野サンプラザホール

瑞々しい哲学、ネオテニーの咆哮、乱反射する日常。そんな、しょうもないメタファーを使って説明する必要はない、リーガルリリーは圧倒的に「ロック・バンド」だ。

ギター、ドラム、ベースがジャカジャカ鳴っていて、導かれるままCDを手に取って、気づいたらライブのチケットも買っている。僕の中の「ロック・バンド」の定義は、そうやって僕を突き動かす存在を指していて、リーガルリリーはそういうバンドのド真ん中として、目の前に突然現れた。

乱高下するヴォーカルはあどけなさを残しながらも芯があるという矛盾めいた調子で踊り、ジャキ、ジャキ、ギャーンと掻き鳴らされるギターと共に空を浮いている。ドシャドシャ降り注ぐ雨のようなドラムが、広大な海のようなベースと混ざり合う。美しくて、尊い。そしてかけがえのない、今だけの光景、輝き。それが見えた気がした。

しかしその輝きは、もしかしたら僕の涙だっただろうか。たかはしほのかが高校生の頃に一番だけ作り、大人になって残りの部分を完成させたという「教室のドアの向こう」。ギターを優しく奏でながら歌い上げる彼女の姿を視て、自分自身もとっくに教室のドアの向こう側に来てしまった、それは哀しいことか、嬉しいことか、よく分からなくなった。

いつの間にか東京凹凸、東京パズルに参加させられていた僕は限りのあるホタルイカの素干しをなんとか手に入れようとして生きていたのだろうか、まさにイカゲームじゃないか。僕だって光り方を探している一介の「C」だ。光り方を知っている人間など一握りだろう。じゃあきっと、僕は光り方を探しに中野へ来たんだと思う。

怒りが発するエネルギーでさえも肯定する「セイントアンガー」。ああ、もう敵わない。自分の心の狭さ、しょうもなさを自覚する。そして、前を向く。自分もセイントアンガーでありたい。うん、少し光り方が分かったんじゃないか? 全ての「Cとし生けるものたち」へ照射される眼差しを音に込めて鳴らすリーガルリリーは、僕を突き動かす、正真正銘の「ロック・バンド」なのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?