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今、私たちがマスクをする理由

新型コロナウイルスによる生活の変化、その一つがマスクの着用だ。
それまで風邪をひいた人や花粉症の人などせいぜい2〜3割が付けていれば多い方くらいだったマスクを街ゆく人ほぼ全員が付けるようになった。

それによりマスクの品薄が起こり、価格の高騰やドラッグストアへの大行列、個数制限や店員への怒号が話題になり、転売が盛んに行われたことから法律で規制される事態にまでなった。
現在ではマスクの品薄は解消されつつあり、50枚入りで1箱2000円程度払えば市中でも入手可能になってきた。また繰り返し利用可能な布マスクやデザイン性に富んだマスクも販売されるようになってきた。

夏を迎えるにあたってはマスクを付けての活動の困難が予想されることもあり、スポーツメーカーなどからは夏でも快適に過ごせるようなマスクが発表され、話題となった。
このニュースに対して、ある感染症の専門家は感染防止に約立たないと苦言を呈していたが、マスクの着用は感染対策ではなくマナーであるという反論が相次いだ。

その通りで、私たちは今、ただ感染が怖くてマスクをしているのではない。
公共の空間でマスクをすることがマナーになりつつあるのだ。

マスクの効果はいくつかあるが、外からウイルスの侵入を防ぐというよりは、自分が持っているウイルスを外へ出さないという効果の方が高いと言われている。つまり今ある感染を広げないという効果だ。
別の言い方をすれば、マスクをすることによって自分が保菌していても相手にうつさないように配慮しているというアピールができるとも言える。

自分が感染しないためという自己の利益というよりは、感染を広げないという意味で他者を含めた社会的な利益を創出するということで、マナーとの親和性も高い。
だからこそ、今ではマスクをせずに出かけるだけでマスクをしてないと咎められたり、マスクをしていない人を咎めたくなるような気持ちになってしまうのだ。

ちなみに私は接客業のアルバイトをしており、バイト先ではマスクの着用が義務付けられている。お店には従業員用の使い捨てマスクがあるので、それを使っているのだが、バイト先への道中は自分のマスクをする。こちらは使い回せるタイプで、通勤のほかにもちょっとした買い物や散歩の時なども利用している。
マスクが手に入るとはいえ1箱2000円のマスクを買いたいとも思えないので、使い捨てのマスクはあまり使わないようにしているのだ。使い回せるマスクが衛生的だとも感染を防げるとも思っていないが、してないと良くない目で見られるかもしれないと思うと、イヤイヤ付けている面もある。

さて、この件について考えてみて思い出したのがイスラームにおけるヒジャブだ。ヒジャブとはムスリム(イスラームを信仰する人)の女性が頭を覆うためにつける布のことで、最近ではフランスの政教分離政策の一環で公立学校でのヒジャブの着用が禁止されたり、男性による女性抑圧のシンボルとして見られたりと否定的な見方をされることが多い。

そんなヒジャブの元々の意味は「覆う」「保護する」。性欲を持て余す男性の魔の手を女性の魅力的な部分を隠すことで避けようとしたものなのだ。
元々自分の身を守り、相手を加害者にしないためのライフハック的なツールだったものが、時代を経て抑圧の道具とみなされている。

マスクも口を覆うものという点でヒジャブと似ている。もしマスクの着用がマナーとして世に根付き、制度と化せばヒジャブと同じものになってしまうかもしれない。

マスク着用のムーブメントが今後どのようにして社会に根付くのか、また根付かないのかは気になるところである。

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