vol.105 映画「FIRST SLUM DUNK」から学ぶ

こんばんは、
たくです。

今更ながらスラムダンクの映画版を観ました!
かなりおもしろかったので今日のネタとして使わせてもらいます。

内容にも触れるので嫌な方はご注意下さい!


では、いきます。

この映画は宮城リョータに焦点があたっていて、
原作とオリジナルの融合のようなストーリーになっています。

その中でもリョータが幼少の時に身内が相次いで亡くなります。

特に、リョータのお兄さんが12歳で亡くなるんですが、
そのことが家族の中でトラウマになっていきます。

りょうたは心のどこかで、
「兄ではなく自分が死ねばよかったのに・・」
ということを心のどこかで申し訳なく思いながら生きています。

それぐらい、兄はスポーツ万能で、
皆から慕われるような人格者でした。

だからこそ、母親も本心では
「自分よりも兄に生き残って欲しかったんだろうな・・」
と思っていると信じていました。

そんな描写を見て、思ったことがあります。

それは、
「命を与えられているなら、
 亡くなった人の分まで一生懸命に生きないと」

ということです。

リョータの兄は”高校バスケの王者を倒したい”
という夢を持っていましたが、不慮の海難事故でついえてしまいました。

もう亡くなってしまった人は夢を追いかけることができません。
食事を取ることも、寝ることも、愛することもできない。

無念だったと思います。

だからこそ、まだ時間がある人間は、
その人達の分まで頑張らないといけない。

「僕が代わりに死ねば良かったのに・・」と後悔している時間はないのです。

これはアニメの世界の話だけではありません。

例えば、戦争中の話で言うと、
特攻隊で沢山の若い人たちが亡くなりました。

その人たちも、まだまらやりたいことがあった筈です。

でも、死んでしまったらできません。

日本を守ってくれた人がいたおかげで、今僕たちが生きていられるので、
その人達の無念まで背負って生きていく必要があると言うことを感じました。

話はスラムダンクに戻りますが、
映画の中でリョータは兄の夢見ていたことを代わりに達成しました。

山王戦を通して、
俺が兄の代わりに死ねば良かった
と考えいたのが
兄の無念まで背負っていける男に成長したのです。

僕も命がある限り色んな人の想いを背負って一生懸命生きていかないとな!

と思わせてもらいました。

最近、気が抜けていたので自戒も含めて!


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