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クレタ人は嘘つきだとクレタ人は言う


※この記事は2021年12月30日にstand.fmで放送された内容を文字に起こしたものだ。

「クレタ人は嘘つきだとクレタ人は言う」。この表現について一度考えてみてほしい。クレタ人は嘘つきなのか?それとも正直なのか?ということだ。

最初だけ見ると、クレタ人は嘘つきのように聞こえる。ところが後半は「クレタ人が言った」と表現しているから、「クレタ人は嘘つき」という表現そのものが嘘になる。つまり、論理で詰めると、クレタ人は正直者ということになる。

しかしそうなると、正直者であるはずのクレタ人は、わざわざ回りくどい言い方をして「嘘」をついたことになる。初めから「クレタ人は正直者」と表現すればそれで済むはずなのに、なぜか混乱させるような表現を使っていることで、言葉に矛盾が起きている。

・これは古代ギリシアの詩人エピメニデスという人物によって作られた「エピメニデスのパラドックス」というものだ。パラドックスというのは簡単に言うと、「物事への常識的な理解に反する形で真実を表現しようとする言説」のことで、日本語で表すと、逆説とか背理などと呼ばれたりする。他に有名なパラドックスで言うと「アキレスと亀のパラドックス」などがある。

なんでこんな話をしたかと言うと、「言葉の論理の限界」について知ってもらいたかったから。

例えば、「メディアの報道することは絶対正しい」と言う認識している人は今ではあまり多くないだろう。ところが、メディアが過剰に煽り立てた報道を真に受ける人は一定数存在する。

去年から始まったsars-cov-2に関する感染者数の報道がその象徴だろう。検査の絶対数を増やしたこと、かつ検査そのものも完璧ではないから、偽陽性や偽陰性の結果も出してしまう。その上、遺伝子変異まで起こるから検査キットがいつまでも使えるわけでもない。だから、感染者と陽性者をイコールにはできないし、感染者が増えている原因がウイルスそのものや国民のエチケットにあると一概に判断することもできない。
こういうことはウイルスに限らず、原発や法律にも言える。

ところが、「言葉の論理の限界」を知らないことで、その過剰な報道を事実として受け取って、「言葉の矛盾」について考えようとしない人はどうしても出てくる。

僕も以前はそういう人間のうちの一人だった。僕はそれまで「目上の人の意見は全て正しい」と勝手に思い込んでいたので、学校の教師や監督コーチ、親、職場の先輩などの意見に対して、何も考えずただ盲目的に信じて「言葉の矛盾」について考えようとしなかった。それを続けた結果、人に都合良く利用されて、後で問い正してもシラを切られて終わる。そうして、人と関わるのが嫌になった時期があった。なので今では、「言葉の矛盾」についてよく考えるようになっている。

僕は皆さんに同じ目には遭ってほしくないし、僕自身も同じ目に遭わないように、「言葉の論理の限界」についてはできる限りアンテナを張っている。

「このメディアが好き」とか、「この人が好き」というのは皆さんそれぞれあるはずだ。僕もyoutubeやstand.fmのようなメディアは好きだし、尊敬する著名人もたくさんいる。
ただ、知っておくべきは、「自分の好きなメディアや尊敬する人が、いつも正しいことを述べているとは限らない」ということ。
人間は、僕も含めて完璧な存在でない。それを理解しつつ、矛盾を見つけたらとことん咀嚼して、「自分なりの考え」を持つことが大事ではないかと思う。最終的にその考えが合ってる合ってないというのはあまり関係ない。
「なぜ自分はこう思ったのか?」その理由を自分の言葉で説明できることが重要なのだから。

好きなメディアや尊敬している人の言葉だからこそ、「言葉の論理の限界」については観察しておいた方がいいという話。

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