vol.2 「在り方の定義(後編)」

vol.1にて、『在り方』の概念についてはなんとなくご理解頂けましたでしょうか?
なんとなく。で問題ありません。
なぜなら、私も探求中です。恐らく終わりはありません。完全なものなど、何一つ存在しないこともまた原理だからです。
追求し続ける姿勢がある限り、新しい世界は姿を表します。

在り方は人それぞれです。
在り方に正解などありません。
在り方は変わることだってあります。

『在り方』は決めるものですので、「こんな人で在りたいなあ」とか「こんな人になりたいなあ」といったものは『在り方』ではありません。
今この瞬間、自分がどういう存在で在るか。というものです。

若干難しく感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、実は『在り方』を決めていない方も『(受動的な)在り方』を持っています。
例えば、親の前での『(受動的な)在り方』は何でしょうか?
上司の前での『(受動的な)在り方』は何でしょうか?
友達の前での『(受動的な)在り方』は何でしょうか?

ある特定の方の前では、怒られないような『(受動的な)在り方』かもしれませんし、優しい『(受動的な)在り方』かもしれませんし、控えめな『(受動的な)在り方』かもしれません。
これらのように、相手や状況によって『(受動的な)在り方』が変わる方がほとんどだと思われます。

『在り方』を決めるにあたって、直観的に決めるのも良し。
または、『(受動的な)在り方』から公約数を取るように決めるのも良し。
なりたい姿や将来の夢、目指す世界観から逆算して、それらの未来のために今どんな『在り方』にするか決めるのも良し。

正解や不正解はありません。
正解など誰かが決めたものでしたかないからです。
この議論に時間を費やしても、終わりなどありません。
あるのは正解ではなく、”本質”のみです。

つまり二元的な世界に終わりはありません。
優しいから良いわけでも、怒るから悪いわけでもないです。
反対に、怒るから良いわけでも、優しいから悪いわけでもないです。
表があれば裏があり、男性がいるから女性がいる。
上下や良し悪し、善悪の存在する世界で、他人と比べる不要なのかもしれません。
ポジティブシンキングなども不要なのかもしれません。

このような二元的な世界からくる『在り方』は、澱みを生じます。
例えば、人に優しくする『在り方』だとします。
二元的な世界からくる優しさは、思考的です。
「優しくしなきゃ」とか「優しくしておこう」とか「雰囲気を悪くしないように優しくしよう」というもの。

「余計に難しいじゃないか」と思われる内容だったかもしれませんが、確かに現代人にとって難易度は高いかもしれません。
現代人はなぜ『在り方』に辿り着きづらいか、『在り方』がもたらす人間関係などなど、これから詳しく発信していきます!

次回は、「私の在り方」についてです。
それでは良い一日をお過ごしください!!


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