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"期待"は空想、"信頼"は実相

 どうもtakuhoです。
最近、ホームページ作成の案件に手を出し始めようかと思い勉強中ですが、なかなかに解読が難しくて手を焼いています笑
ただ、実装できた時の楽しさが尋常じゃないので、これもまたハマりそうだなと思っています笑

 さて今日は、「"期待"と"信頼"」というテーマで書いていこうかと思います。

現代世界

 「頑張れ!」という応援の言葉、近年は使いづらくなってきているそうです。理由は、「頑張れ!」と言うと「これ以上何を頑張ればいいんですか?」という風に思ってしまう人がいるから。まあ、確かに自分より頑張っていない人に頑張れと言われると腹立たしく思うのはそうかもしれないですね。

 ただ、これを「怠惰ゆえでは?」という意見も否定できないのは事実です。責任を人に全て投げてしまう傾向にある人が「頑張れ!」と言われると「この状況や苦しいのは俺のせいじゃないのに、どうして俺が頑張らないといけないんだ!」という思考に至ってしまう可能性があります。しかし、これは自分に何が足りていなかったのか、という分析をサボっているからこそ起こってしまう問題でもあります。

 そのため、頑張れという言葉にはミスマッチが起こることがあるということになります。では、なぜこのようなミスマッチが起こってしまうのか。僕なりに出した答えは"「"期待"と"信頼"」が混同してしまっているから"というものです。

期待と信頼

 期待と信頼の2つに関しては似ているようで実は全然違う言葉です。
期待とは

ある人がそれをするのを(他の人が)あてにし、心待ちに待つこと。将来それが実現するように待ち構えること。

Oxford Language

であり、信頼とは

信じてたよりとすること。 信用してまかせること。

Oxford Language

です。
もっと噛み砕いて言えば
期待=能力値が100の人に120の働きを望むこと
信頼=能力値が100の人なら100の働きはできると思うこと
です。
 つまり、期待とは空想(できないことをできると勝手に思うこと)であり、信頼とは実相(できるという事実に目を向けること)ということになります。

 この違いを理解しないままに「頑張れ!」という言葉をかけてしまうことは配慮が足りないですし、この違いを理解しないままに「頑張れ!」という言葉を変な意味で受け取ってしまうのも非常識だと僕は思います。

期待せず信頼せよ

 もちろん期待することは悪いことではありません。現段階で出来なくとも来年には出来ている可能性があることに希望を抱くことは、人間の成長を促します。しかしそれが大きくなり過ぎてしまうと、現実より空想の方が大きくなってしまい、オーバーヒートしてしまう可能性が高くなります

 そのため、特に他人に対しては"期待"ではなく"信頼"を向けるように心がけるといいと思います。信頼は前記した通り、今できることにフォーカスを当てることができるため、「できることをやればいい」という感覚にすることができ、過度のプレッシャーを感じることなく、"「信頼されている」という責任感"を感じることができると思います。

 全ての物事に言えることですが、ありすぎもなさすぎもよくありません。
大事なのは、適切な量と適切な場所です。期待も信頼も適切に使えば自分や他人の成長を促し、間違って使えば自分や他人をだめにします。
 自分や相手の"適切"を見つける努力は確実に必要なんだと僕は思っています。

最後に

 いかがだったでしょうか、「"期待"と"信頼"」。題名で期待は空想なんて書いたが故に"期待=良くないこと"と思ってしまった方がいましたら、勘違いさせてしまいすいません。
 どちらも人間の成長に必要なものですが、こと対人関係においては期待より信頼の方がより適切なプレッシャーを与えられると思います。

 相手に合わせて"期待"と"信頼"を使い分けることのできる、かっこいい大人になりたいものですね。

それではまた

takuho

 

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