菓子三原則

核三原則というのがある。核兵器を持たず、造らず、持ち込ませずというものだ。それが、わたしの場合は、菓子三原則は、お菓子を持たない、造らない、持ち込ませずと、同じことになる。それは危険なもので、わたしにとっては、甘いもので汚染され、糖尿病など死に関わる病気を併発する毒と同じなのだ。

 それで、青森にいたときは、スーパーに行っても、ぐっと我慢して買わないようにした。買ってもいいのは、ハイマンナンのこんにゃく畑とか、ところてんとか、スルメとか、おしやぶり昆布とか、口寂しいおやつでもカロリーがないとか糖分がないものに限られた。味気ない食生活を送っていた。それで、ケーキを作ったりもしなかった。たまに仏壇にと持ち込むやつがいる。それは阻止することが難しい。ドアの前に貼り紙で、「菓子持ち込み禁止 できれば果実にしてください」と、書いても、すでに買って持参してきた人には悪い。わたしが古本屋で働いていたときは、店によくお菓子の差し入れが入った。お客さんたちが持ってくる。実に美味しそうなおはぎとか、大判焼きなどを持ってくるのだ。そのためには、わたしの首からプレートを下げて、それに「餌を与えないでください」と、動物園のように書かないといけない。

 それでなくても仏壇があるから、うちに来る遠来の客は手土産を持ってくると、仏壇を拝んで供える。たいていは菓子折なのだ。仏壇のある部屋でわたしは寝ていたが、枕元に菓子が積まれる。食べてはいけないと自分で禁止しているものが、目の前にぶら下がっている。それは残酷な拷問だ。夜中にそのことばかり考えて眠れず、えい、死んでもいいと、菓子箱のパッケージの隅を破って、そこからひとつ菓子を取り出すと、食べていた。ひとつかふたつと、ほじくっては食べる。翌朝、おふくろが、仏壇を拝みに来ると、菓子箱の端に穴が開いている。「おや、頭の黒いネズミが出たな」と、笑う。


 東京に出てきたときも、パンとお菓子はよく作った。連れと一緒に生活していたときもだが、いま千葉でひとり暮らしをしていても、パンやケーキは作ってしまう。そして食べて後悔するのだ。コロナで小麦粉がスーパーの棚から消えたことがある。最近になって、ようやくどこでも売っているようになったが、奥さんたちが、部屋で退屈なので、パンでも焼こうか、ケーキでも作ろうかかと、普段したことがないことを一斉に全国的にやられたので、イースト菌も探してもなかった。ようやくみなさん飽きてきて、在庫も積まれると、いまでは普通の値段で買える。

 この前もブールを焼いたが、オーブンレンジのトレーいっぱいの大きさだから、焼きあがったパンは大きなもので、食パンの2斤分はありそうだ。すると、そればかり毎日食べないといけなくなる。半分は冷凍しておいた。ケーキもそうだ。ホールでフルーツと生クリームをふんだんにのせても、一人だから、食べきれない。三回ぐらいに分けて、ようやく食べてしまうが、そのカロリーはすごいだろう。まだ売っているものを買ってきて食べていたほうが、小さくてよかった。何人かでいただくと、それでもいいが、一人で四人分も一気に食べて、晩飯はいらないなと、ケーキが主食になると、緩慢なる自殺に等しい。

 だから、最近は、スイーツコーナーをスーパーの買い物のときに通りかかると、目を瞑る。呪文のように、買わない、作らない、持ち込まないと、一人ぶつくさと言っている。

 自分がケーキ屋の息子で、工場で修業もしたが、あれほどバターとバニラの匂いが、嫌になるほど嗅いで、まだ作って食べたいのかと思う。甘いものを欲しがる病気なのだ。

 先日は病院の栄養指導の先生に、食生活を聞かれて、オリゴ糖とはちみつも糖分ですから、パルスイートみたいな人工甘味料を使いなさいと言われて、いまはそれでコーヒーや料理にも使っているが、ケーキには使えない。砂糖の性質がケーキには大事なので、それに代わるものでは使えないのが多い。黒糖も使っている。少し高いが、まだミネラルなどあるから体にはいいかと。ただ、味が変わる。自然の甘さを出すために、酒粕をパンやケーキのねりに混ぜたりもした。低カロリーで糖質カットは自分で作るとなると材料が大変だ。それよりは、少しの量だけスイーツを買って食べたほうがよさそうだ。コンビニのスイーツも最近はグレードアップして専門店と遜色のないものを並べている。また安い。どうしてもそんなところに目が行ってしまう。

 自分はスイーツは食べていないと、そう公言しても、太ってきているから、秘密裡に持ち込んだり、隠して食べているのがバレてしまう。三か月に一度の内科の検診では、どういう運動と食事をしてきたか、血液検査が証明する。動かぬ証拠を突き付けられて、すみません、と、医者には叱られているいい年のじじい。甘いものから乳離れならぬスイーツ離れしなくては。