不健康診断

いまの勤め先は、ちゃんとしている。健康診断を見ていて判る。前に勤めた会社では、いい加減なところは、すっかりと手抜きで、診断項目が少ない。レントゲンも心電図も血圧も採血・検尿もしないで、問診と体重、視力と聴力と、簡単なもので終わる。それで何が判るのか。前に勤めた警備の会社では、本当は法律で年に二回の健康診断をしなければならないとされていたのを、年に一回よりしないで、ごまかしていた。一人ちゃんとやれば一万円以上はかかるので、安く本社近くのクリニックと契約しているのだろう。

 この学校、わたしが入社して10か月近く経って、三回目の健康診断だ。わたしの場合は、病院三つに定期的に通っているし、薬もいただいているので、どこか悪いと、すぐにそのどれかの病院を受診するから、健康診断で何が見つかるというものでもない。結果は会社に送られ、会社から本人に郵送されてくる。それを毎年、職場の仲間同士で見せ合った。みんな不健康で、評価がAからEまであるのだが、Eばかりの人もいる。それは要治療で、再検査の下なのだ。もう病気確定で、治療をしないと死にますよと、そう言われているような仲間もいた。それでも病院に行かない、薬も飲まない。具合はどこかしこ悪いのだろうが、それに体が慣れてしまっている。ある日、突然、重症化して、病院に担ぎ込まれて、そのままお陀仏となる。そういう人をいままで相当数見てきた。医者が怖いというよりは、何をされるか怖いというのと、いくらかかるかという医療費の心配と、仕事ができなくなるという不安もある。われわれは契約社員なので、休業はつかないで、休んだ分は出ないのだ。ぎりぎり生活ではやってきている低所得者ばかりだ。それでも命あってのものだねで、死んだら何もできない。


 健康診断は先生や事務の人たちは、校庭に専用の車が何台も入ってきて、理科室などを臨時の検査室にする。保健婦さんも学校にはいるから、手際よく夏休みを利用してやっていた。われわれセカンダリーは、結婚式場も持っているので、そのホールを検査室にして、何百人かの社員の健康診断を行う。外の駐車場にはレントゲン車が二台止まっている。検査項目はほとんどすべてだった。大腸がんと胃がんの検査は、事前に検便で調べたりする。昔は検便というと、何故かマッチ箱に入れて小学校に持って行った。クラスと名前の書いた紙をマッチ箱の上に貼って持ってゆく。それでいつだったか、中学のときにいたずらして、姉の机の上にマッチ箱の中に味噌を入れて、置いておいたら、怒るどころか、大喜びしてわたしのところに持ってきたことがある。そんな姉だった。

 いまはトイレで流せる印刷した紙を便器の中に敷いて、そこに的もあり、うまく中央に出してくれと、それを小さな棒に採取してケースに入れるとある。それが、なかなかうまくゆかない。水洗は水の上で沈むのだ。トイレットペーパーをいっぱい敷いてとあるが、あまり多いと詰まる。検尿も事前に容器に入れて持参する。採血と心電図と血圧、体重と胴回りのメタボなどは普通だが、仕事上、耳の聞こえが重要になる。前の警備では、人手不足で誰でも取っていたが、耳の聞こえが悪いおやじも採用していた。それが、センターに座って、無線が鳴っても聞こえない、警報音がけたたましく鳴っていても、平然と座っていた。これでは火災が起こっても知らん顔だ。その人はすぐに辞めさせられた。頭は悪くてもいいが、視力と聴力は最低線がある。保安と防災の仕事だから、見えません、聞こえませんでは務まらない。

 問診もあった。どこか悪いところはありませんかと、事前に調査票に書かせられている。わたしの場合は、背中が痛い。それと連動して胃が痛い。みぞおちの辺りが痛くなる。若いときに十二指腸潰瘍をやったことがあるが、ずっと胃薬も飲んでいなかったのに、このコロナで精神的ストレスからか、じばらくぶりで胃薬の世話になった。食欲もない。それは世間一般に増えているコロナ関連の不定愁訴だろう。翌日にはけろりと治る。本当に悪かったら、ずっと痛みは続くのだろう。それがたびたび起こるのだ。

 胃のレントゲンでは久しぶりにバリウムを飲んだ。以前は何も味がしなかったが、レモンシェークみたいな味がした。すみません、バナナ味はないですか?と忙しい係の人をからかっていたら怒られる。

 専業主婦というのは、勤めていないので、自営業もそうだが、一年に一回の健康診断もしない。相方は、千代田区から毎年来る無料の健康診断には必ず行っていた。血圧以外はどこも悪くはない。高血圧が心配だが、病院と薬を嫌って、通院はしないのだ。三男の義母さんが、先日亡くなったが、それとて、健康診断をしていれば、乳がんなど早期発見で助かったかもしれない。あの人も医者と薬嫌いだった。それで転移して手遅れで助かる命も助からなかった。

 わたしの場合はおかげ様で、行く先々の会社で健康診断はやるので、持病で仕事に支障があれば断られる。採用の前に、契約している病院に行かせられ、診断書を書いてもらうことになっていた。去年の暮れにアルバイトで、学校とは別に街頭警備、イベント警備の会社で二か月だけ働いたが、そこでも内科に行かせられた。だから、この一年で四回も健康診断をしたことになる。悪くなってはいられない。

 青森の友人もつい先ごろ亡くなって、周囲は癌でバタバタと逝っていれば、自分の番も来るかと構えてしまう。わたしもまだやり残していることがある。それを達成しないうちは死ねない。富士山の山頂に死ぬまでに登ることと、四国八十八か所の歩き遍路をやりたい。そのことは後でまた書きたい。

 健康診断とはおかしい。健康である人は調べなくてもいい。不健康であるかどうか調べるのだ。年取ってくると、何かが見つかる。一病息災という言葉が好きで、無病息災でないほうがいい。持病のひとつふたつ持っていたほうが、おふくろのように長生きする。病院と薬はどうしても世話になる。日頃は食べ物でそれを補いたい。医食同源で、口に入るものを薬と思って気を遣っている。周りに迷惑はかけられない。最後は這ってでも自立して生を全うしたい。だから、わたしには介護保険なんかいらないのだ。役所に行ったらそう言って笑わせている。