酒とタバコは完全にやめられた

酒は相方と暮らしていた半年前までは、毎日のように飲まされていた。わたしがいらないと言えば、自分だけこっそりと買ってきて、トイレで隠れて飲んでいた。病気が好むのだ。わたしはつきあいで、晩酌のようにして一緒に飲んでいたが、飲みたくないので、断ってからは、今年に入ってからは、あまり飲まなくなる。まして、一人で千葉に越して暮らすようになったら、数えるほどより缶酎ハイなど買っていない。ウイスキーのボトルを最初に買ったのが、三か月もあったし、梅酒なんか、まだ半分は残ったままだ。このひと月でも一杯も飲んでいないのだ。もとより、酒は好きではなく、つきあい酒なのだ。

 タバコもやめてから二年が経った。もう大丈夫だろう。別にいまは吸いたいとは思わないどころか、スモーキングエリアの前を通るだけで、あのタバコの臭いにむっとする。臭いが嫌いになってくるとは。ヘビースモーカーではなかったし、ふかしているだけの気分の問題であった。連れが嫌いだったので、ベランダに顔を出して吸って、部屋では吸わなかった。いまのマンションではベランダも遠慮しないといけいらしい。

 清掃の仕事をしていたときも、吸う場所はなかった。仕事帰りに神田川の大東橋のたもとにあるタバコ屋の前に吸い殻入れがあって、みんな立ち寄っていたので、そこで一本だけ吸った。警備の仕事では、喫煙場所が休憩室の片隅だけにあって、そこに数人のタバコ飲みが交代で吸いに行っていたが、わたしもそこでは一本だけ。だから、一日に二本くらい吸えればいい。そうして本数も減らし、電子タバコにしたのは三回くらいあったが、それもまずくて、満たされず、やめてからは、自然とやめられた。世の中に喫煙場所がなくなったのが幸いした。街中にもあちこちあったのが、だんだんとなくなる。駅のホームにもあったのがなくなる。タバコ飲みは追いやられ、次第に居場所がなくなる。いいときにやめたものだ。

 前に勤めていた南青山のマンションも敷地内全面禁煙で、吸いたいやつが一人だけいたが、遠くのコンビニまでわざわざ行っていた。いまの学校も校内は禁煙で、来たばかりのころは、児童があまり立ち入らない建物の裏などに喫煙所があったのが、すべて取り払い、最近になって全面禁煙にした。先生方で二人ばかり喫煙者がいるが、一日中禁煙では辛いだろうと思う。会社も役所もいまはどこもそのようで、飲食店もできなくなった。

 こんなときにやめていなかったら、吸いたいときに大変な思いをしなければならない。吸っていたときからだが、気分の問題で、別になければなくてもいいかという、それぐらいの軽いタバコを一日二本ぐらだから、やめてもどうということもない。

 酒は顔がすぐに赤くなるのは、アルコールの分解能力が悪いからだから、やめたほうがいいと友人に言われた。もともとそんなに好きではなく、弱いほうであったが、つきあいだけで、飲ませたら飲むほうかもしれないが、酔わないのだ。若いときは別として、ここ何十年も前後不覚になるほど飲んだこともない。

 ビールの宣伝をしているのを見ても、別に美味しそうとは思わないし、実際、何の酒を飲んでも美味しいと思ったことがない。だから、いまはひと月一滴も飲まなくても平気なのだ。相方と月に一度のランチをしたときはつきあうが、それもワインやハイボール二杯くらいのものだ。食事の友として飲むぐらい。

 こっちに来てからは、一人で飲み屋に行くことはまずない。外食を一人でしても酒は頼まない。なければなくてもいいのはタバコと同じだった。その二つをやめたら、健康的なんだろうが、思えば、酒もタバコもストレス解消でリラックスしたいために飲むのだろう。いまのわたしにはストレスがない。吸いたい、飲みたい気分のときがない。精神的にも健康なのだと思う。なければいけない人はどこか満たされていないのだ。星の王子様は、アル中の住む星に行って、どうして酒を飲むの?と聞く。のんべえは酔っぱらって答える。酒を飲むのを忘れたいからだよ。

 心配なのは相方のことだ。精神病が酒を好む。取り上げたら怒る。どうして飲むのと聞いたら、妄想で苦しんでストレスがあるのだ。むしゃくしゃするから気分転換で飲んでいる。酒とタバコは現代人の病理のいい薬なのだろう。