愛媛松山未踏地紀行2

 道後温泉に着いた。駅がかわいらしい。みんな写真を撮っているのが判る。ぼちゃんのカラクリ時計などはあまり興味がない。新しく作られた観光名所や復元されたところには入りたいと思わない。道後温泉といえば、必ず出てくる古い温泉が本館だが、そこに入りたいとやってきたのだ。入口でまた検温と熱のある人は入れない。電話番号と時間と名前も書かせられる。衣服はロッカーに直に入れないでとビニールの袋を渡された。厳重なのは、東京ではそんなでもないのに、地方のほうがかなり神経を遣っているのが判る。風呂は銭湯の古いといっても、そんな古さは感じなかった。五人くらいしか入っていない。さらりとしたくせのない泉質で、熱くもないので、長く入れた。銭湯料金より安い。宮崎駿の千と千尋のアニメに出たような建物が売りで、人力車もずらりと並ぶ。

 その温泉の真ん前にある店が一六タルトの店だった。半分閉めている。売店だけ営業しているようだ。社長のTさんとは昔は同業でつきあいがあった。息子さんもわたしと同じくらいの年だが、いまは代替わりをしていると見たが、観光土産も厳しいのだろう。どうしているのかと、心配になる。それは歩いてみて、商店街すべてがそうなのだ。

 道後公園は湯築城跡になっていて、そこに市立子規記念博物館がある。それも目的だった。子規と漱石のファンではないが、ここに来たら、それしかないのでもない。文化人だけ挙げても、すごい人ばかりなのだ。伊丹十三、碧悟桐、虚子、山頭火、安倍能成などがいる。他にもメモするのがバカらしいほどいる。

 青森とも関連するのが弘前出身の陸羯南が子規を見出したことだ。わたしが千駄木で暮らしたときは、近いのでよく根津に行ったが、そこに陸羯南の家があり、並びに子規も暮らしていた。いまは鶯谷のラブホテル街の中に子規の家が保存され公開しているが、そこにも何度か自転車で行ったことがある。

 次第に夕方になる。暗くなる前に、もうひとつ行ってみたいところがあると、道後公園を抜けて、住宅地を歩いて、石手寺に向かう。それも地図はグーグルマップを頼りに歩いていたら、すぐ近くまで来ていた。あまりにも暑く、喉が渇いたので、コンビニで休憩。石手寺を聞いたら、10分くらい先にあるというが、3分で着いた。筋向いに見えている。そこがまた面白い。お遍路さんの札所で有名なのだが、入口からして、何がなんだか分からないほど、そこは巡礼のアミューズメントパークなのだ。テントが張ってあり、台車に生活道具を積んだホームレスが門前で暮らしているようなのだ。乞食みたいに土下座している座像がある。そこにもどなたか賽銭を上げていた。龍の大きなのがいる。七福神もあちこちにいる。境内では、和讃みたいなのがばあさんたちの声で唱和されているが、それは録音を流しているようなのだ。マントラとか書かれている洞窟がある。中に入ってみたが、ずっと続いて、真っ暗だが、人が何人かは入れる洞窟のずっと奥に明かりが見えるから、抜けられるのだ。その通路にはお地蔵さんみたいなのが、ずらりと置かれていて不気味だった。誰もいなかったが、わたしは一人わくわくと興奮しながら、なんという雑然としたそのなんでもありありの寺という遊園地というより、化け物屋敷みたいなと楽しんだ。ゴミもすごいし、参道には店もずらりと出ていたのだろうが、みんな閉めていた。寺ももうすっかりとやる気がない。少し片づけたらどうなんだと、住職に説教したいくらいだ。あれもこれもと、硫黄島玉砕の鎮魂コーナーもありと、盛りすぎなのだ。

 ああ、面白かったと、帰りがけ、ファミマの前に古い石灯篭があったりする。コンビニの敷地内に石灯篭? それもまた意外な組み合わせてで、面白い。その向かいの句碑の中に「分け入っても分け入っても…」の有名な山頭火の句が大きな石に刻まれてあったが、そこで詠んだか。あちこちで、お遍路さんたちを呼び止める看板がある。ホテルや旅館、食堂なども熱心だ。わたしもそのうちにしたいのだが、バスで回るのは二週間ぐらいで八十八か所全部回れるのか。わたしの場合は歩き遍路で、それは平均で50日かかるのだそうだ。1400キロもないが、その成功率は30%とある。挫折する人のほうが多い。結願というのは簡単なものでないほうがありがたい。

 まだ時間があったので、道後温泉のほうに戻って、伊佐爾波神社の石段を上まで上ってみた。さきほど、その下から見上げたが、見ただけでギブアップしたのだ。せっかく来たので、上までと、ふうふう上り切ったら何もない。それと、探しても見つからなかった湯神社の石段が見つかる。それも上って上まで行ってみる。いい運動になる。湯神社は、地震で湯が出なくなった昔に、みんなで拝んだ神様を祀っている。温泉が湧くということは、地震も関係はありそうだ。四国は地震などあまりないと思っていた。7年前に、弘前から松山の娘さんのところに行った従兄が、挨拶に古本屋に来たとき、わたしは、松山というとあまり地震もなくていいところじゃないですかと、そう言って、ご夫婦で松山に引っ越した翌月に震度5の大地震に見舞われた。四国と地震は無縁と思っていたが、そうでもないのだ。

 空の散歩道というのもガイドに出ていたが、それは湯神社の裏手にあった。境内から温泉街が見下ろせる。そこに足湯もあり、カップルがいちゃついて足を漬かっていた。恋人たちの聖地というのもあって、いまはそう勝手にでっちあげて、若いカップルを呼び込むのだ。別れの聖地というのも作ってもらいたい。

 歩き疲れ、汗びっしょりで、温泉に入ったが、また同じ。道後温泉駅にたどり着いて、動きたくない。そこに路線バスが止まった。誰も乗っていないのが可哀想だと、また飛び乗った。今夜泊まるホテルが中心地にある。そこを通るとあったので、無人で走るよりはと、乗ってあげた。すると、後で途中からおばさんが一人乗ってきたが、ガソリン代も出ないだろう。このバスだが、空港から乗ったときに、pasmoも使えると思ってタッチをしたが反応なし。伊予交通か、独自のカードを発行しているらしい。

 疲れ果てて、ホテルにようやく着いた。すっかりと街中だが、天然温泉がある。まずは、荷物を置いて、晩飯を食べにアーケード街に出る。どこも居酒屋などで、全国チェーンの店には入りたくないし、地元の珍しい店がないかとメニューを覗いて歩いて、ようやく雰囲気のいい和食の店に入り、じゃこ天など地元の名産が入ったものなどつまみながら、生ビールを飲む。わたしがビールを飲むのは正月以来のことだ。一人になってからは、ビールなんか飲んだことがない。暑くて喉がからからなので、まずいビールも美味しく感じられた。

 ホテルに戻り、風呂に入りにゆく。地下670mから汲んでいるという源泉は弱アルカリ性でつるつるになる。36℃くらいだから、ちょうどいい。五人くらい入っていた。観光客というよりビジネス客ではないのか。湯あたりのようにふらりときた。疲れと暑さと酔いがよくない。さっさと上がる。

 いま、部屋でこのブログを書いている。ゆうべは3時間より寝ていなかった。寝不足で出てきたが、眠くはない。旅の時間が勿体ないと思うのだ。