愛媛松山未踏地紀行3

二日目は海だった。天気も悪くはない。関東の海は禁止されて泳げないが、四国は遊泳かできる。どこに行くか、ネットで調べてきたが、迷うところだ。港からフェリーで島に渡ると、海の綺麗な人気スポットはいっぱいある。その中で、鹿島という松山の北のほうにある島に行くことにした。バスで松山駅に出る。予讃線の電車に乗る。高松行とあった。沿線には今治などがある。四国は小さいから、歩いてみると、なんだ、すぐ隣かとなる。北海道で暮らしたり、東北も広いから、その感覚でいたら、香川県も普通電車で行けるところなのに驚く。

 伊予北条で降りる。歩いてすぐに港がある。大きな鳥居が建っている。島にある鹿島神社の鳥居なのだ。どんな島かと見たら、100m少しより離れていない沖合だ。それなら泳いでゆけるだろう。だけど、海流があるから、甘く見て泳いだら、流されたりする。フェリーというより渡し船。ちゃんと発着場がある。まだ10時過ぎなので、観光客はいないで、島に用事のある職員さんたちが四人待っていた。船賃は高齢者は往復でたったの110円だ。バスより安い。しかも3分で島に着く。観光案内は友近の声で一応、ちゃんと流している。すぐ着いた。観光案内所もあって、おばさんが一人いる。無人ではなく、食堂もある。小さな島だが、海水浴とキャンプ場があり、夏休みは賑わうのだろうが、人がいない。渥美清も俳句をひねり、その句碑がある。そこにも俳句ポストがある。どこでも俳句ポストばかりで、さすが俳句の街という感じはする。

 登山道があり、標高120mもないが、20分くらいで島の山頂にある展望台まで行けるとある。人がしばらく入っていないと思うのは、蜘蛛の巣が張っていたからだ。息を切らして登った。こんなところで心臓発作を起こして死んでも、誰も来ないと見つからないだろうな。島の上には城塞跡があった。こんなところにも城を築く。展望台に出た。恋人たちの聖地と、愛の鐘が吊っている。どこにでもあるものをどうして真似るのだろう。頭に来て誰もいないことだし、半鐘みたいに鳴らしてやる。それで作句してポストに入れようか。

 恋人の聖地にひとり鐘乱打

 眺望は抜群だ。島が点在する瀬戸内の風景はいままでも見たが、何もない海よりは島影のある海がいい。明石の従兄のところに何度も泊まったが、生前に、明石海峡に二人して立ったとき、ロシア人はこれを川かと聞いたそうだ。そんな話をしたのを思い出した。ボルガの川幅は対岸が見えないくらい広いところがある。津軽海峡もアイヌはしょっぱい川と呼んでいた。どうでもいいことを思い出した。

 下に降りてくると、海水浴場がある。さあ、泳ぐぞと、見たら、家族連れが三組来ていた。誰もいないと不安だが、チビたちが砂浜を走り回り、若い夫婦と若いおばあちゃんがいた。孫の相手をしてボール投げをしている。いいなあ。女の子たちは、傘をさして海に入っていた。日焼けが怖いなら、水着なんか着て入るなよ。

 海水は冷たかった。もう秋なのだ。外は猛暑でも水の冷たさで季節は進んでいるのを知る。砂浜に子供らが玩具にしているのが土器のように見えた。なんだろうと、砂浜のあちこちにある陶片を手にしてみた。そんなに古いものではなさそうだ。波打ち際に打ち寄せられていても不思議ではない。イタリア南端のメッシーナの陶片を浜辺で拾い集めて土産にしたこともある。浜辺では石に興味があり、よく拾ってみる。

 潜る岩場は立ち入り禁止でロープが張られていた。崖が崩落すると警告が書かれていた。仕方なく、水中メガネはバッグに仕舞う。島の北側には、夫婦岩のようなものが海上にあり、二見が浦と同じく太い注連縄を張るようだ。鹿島というのは、鹿島神宮とは関係があるのか。島に鹿の飼われている鹿園がある。柵から呼びかけたが、みんなシカトする。餌も売っている。餌にしか反応しないのだ。放し飼いのほうがいいのに、鹿も泳いで、すぐの本土に逃げたら農家が迷惑すると考えて柵に入れてあるのだろう。

 昼過ぎて、帰りに駅前の和食処を見つけて入ってみる。意外とセンスもよくいい雰囲気の店で、北条といえば、鯛めしが名物なので、鯛の釜めし定食を頼んだ。出てきたのは、味噌汁とおしんこみたいなものではなく、天ぷらに茶碗蒸し、8品の小鉢に創作料理が並び、それでたったの1200円。客はコロナで少ないが、こんな店もがんばっている。味も抜群で、滅多に褒めないが、店の人に満足とお礼を述べた。


 次に向かうのは、双海シーサイド公園という、今度は南の伊予市からさらに予讃線で行ったところにある日本の夕日百選に選ばれた、そこも恋人たちのいちゃつく場所なのだ。松山駅で乗り換えるが、乗ったのが一輌のディーゼルだった。乗り換えのときに、あいつから電話。今度いつ会えるのと。三日後に仕事明けで土産も渡すからと急いで電話して、列車に飛び乗る。すっかりとローカル線で、マニアはたまらないだろう。アナウンスが録音で流れるのだが、乗る時の注意を流すとき、整理券をおとりくださいと言う前に、「ひっつ」と必ず言うのだ。ひっつとはどういう意味か。気になって、後で駅員さんに聞いたが、知らないとつっけんどん。

 伊予上灘という無人駅で降りた。愛ある伊予灘線というのだそうだ。地元の若い人たちのエールが駅にいっぱい貼られていた。廃線になるところを復活したのだろうか。犬の駅長と猫の福(副)駅長がいるはずが、サボってどこかに行っている。渚まで下りたら、がっかり。来年まで公園は工事のため閉鎖と、海にもロープと柵がしてあって降りられない。ここは私有地のようだ。道の駅も建て直し、公園も綺麗になるのだろう。せっかくここまでちんたらちんたらとディーゼル車で来たのに、ぎゃふんだった。夕日が沈むまでまだ1時間半はある。それまで猛暑の中を国道で待つのもアホらしい。何もないところで、民家はあるが、店は駅前に一店だけ。その二階が喫茶レストランと書いているが、閉鎖中だ。売店ではなんでも売っている。衣服まで少し吊っている。田舎の雑貨店なのだ。猫よりいない。おやじを読んだらブスッとして出てきた。不愛想だ。アイスを買って、駅の待合室で食べる。誰もいないのが女性が一人来る。一時間に一本あるかないかの列車を暑い中待つ。持ってきた文庫本を読む。文字のない国のことを書いた川田順造の本。アフリカのモシ族のことだ。なんでももしもしというらしいと、ジョークをどこかで言おう。

 無駄に時間を潰して、松山行の列車が来たので乗った。落日が車窓から見えたが、水平線には雲があり、どうせ、日没を待っても、海に沈む夕日は見えないのだ。昨日は調子よく、すいすいと充実していたが、二日目はついていない。

 松山に着いたらすっかりと暗くなっていて雨。路面電車で市内のホテルに近いところで降りる。なんだかんだと食べて晩飯はいらないな。だけどコンビニでドリンクと少しサンドイッチなど夜食に買ってホテルに向かう。道後温泉の手前だが、あちこちで温泉のボーリングをしている。まだホテルが建つのだ。そのくせ、わたしが泊まるホテルの真向いのホテルはコロナのせいか潰れていた。観光はもろ今回はかぶってしまった。8時近くに着いたので、風呂に入って、テレビのニュースと天気予報ぐらいでつまらない。BSが面白い生物のいる惑星を見つけるプロジェクトというのをやっていて見てしまう。ブログを書いたり、ベッドに横になったりしていたが、疲れている。若いときと同じ行動パターンなのだが、年を忘れている。


 三日目は帰るだけだった。いい天気で、天気には恵まれている。台風も中国に逸れて、影響はなかった。朝飯がつくが、バイキングはコロナで中止、弁当にしている。それとコーヒーなど飲んで、空港まで行こう。松山駅までの路線バスで、そんなに満員でもないのに、二人のおやじが乗り口を塞ぐようにわざと立っていた。それでわたしの前の女性は、まあと困惑したように、乗れないでいた。わたしは無理に乗り込むと、阻止するように、体で押してくる。喧嘩になりそうだ。松山にもおかしいやつがいる。どうでも乗ったもの勝ちだ。前列の席が空いたのでそこに座る。

 松山駅から空港行のリムジンに乗ろうとしたら、路線バスの空港行が先に来たので乗った。女子高生たちでいっぱいだ。それでも席が空いていたので座れた。朝のラッシュで渋滞しているが、余裕で早めに来たから焦らない。次々に乗客は降りて、最後はわたし一人になる。空港まで30分とかからなかった。

 空港で土産を買う。職場の二人と、あいつに銘菓のタルトとじゃこてんの煎餅を。じゃこてんは空港でも売っているが、実は、昨日、スーパーで買ってリュックに入っている。ホテルの冷蔵庫で凍らせていた。空港では一枚150円だが、スーパーでは4枚でその値段だった。 

 ポンジュースをロビーで飲む。どこでも売っているものだが、昨日飲んだふるふるゼリーのみかんのドリンクがうまくて二本も飲んだ。最後までみかんだ。スーパーで昨日買った珍しい聞いたことのないザボンより小さいのが三個で198円と安かったので、列車を待つ間とホテルなどで食べてしまう。

 飛行機は定刻だ。10時半に飛び立って、成田に昼過ぎに着く。月末でギガがないのでスマホは低速化していた。バッテリーもなくなる。明日は仕事だ。現実に引き戻される。またひと月働いて、来月末には石垣島だ。旅のために働いている。楽しみは温泉と旅、それしかない年寄りになる。